紅い世界、7
大体二時間くらい歩いただろうか。思っていたよりもずっと静かな行程だった。最初に出くわした巨大なミミズのような魔物や目が七個くらいある狼と、時折でくわすことはあったが、そのたびにレオンハルトがあっという間に倒してしまうので、僕たちの出番はなかった。
消耗が少なくて助かるが、レオンハルトの消耗は激しい。隠してはいるが、結構きついのではないかと思う。
とにかく、二時間歩いたところで、僕たちはスカーレットの中心にたどり着いた。紅い雪の絨毯の中にぽつんとたたずむ半人工的な建造物を発見したのだ。
それは巨大な自然石を積み上げて作った祠……とでもいえばいいだろうか。少し雨宿りに利用できそうな小さな空間が、あった。
外は当たり前に寒いので、なんとなく中に入ろうとした僕やスクエラを、レオンハルトが制した。
「ちょっと待て」鷹のような鋭い目で祠の中の闇をにらんでいる。「キャリオ、あの中がどうなっているか、わかるか?」
「このあたりは特に魔力が濃いから……。エルも目が利きにくいって言ってるわ」
「役に立たんな……」レオンハルトはぼそっと言った。
「いま、エルの悪口言った?」
「いや、言ってない」レオンハルトは即答し、キャリオ様が何か言う前に僕に尋ねた。「お前は? なにかわかるか?」
「僕の目が見えるのも天使と同じ原理だから、見えないよ」
「役に立――」
「クリムのこと役に立たないとかいったら、鼻をつまむから!」
いつの間にかレオンハルトのすぐ隣に立っていたスクエラが瞳孔を開いてレオンハルトをにらみ上げていた。
「言ってない。言ってない、本当に……」レオンハルトは両手を少しあげた。
「……」
スクエラはそのまま五秒ほどレオンハルトをにらんだ後、僕のところまできて無言でもたれかかってきた。疲れたらしい。二時間も歩いたもんな。
「疲れた」
「はいはい」
「頭なでて」
「はいはい」
僕は彼女の言うとおりにした。スクエラは満足そうにうなった。猫か、君は。
「ねー、クリム」スクエラはささやいた。
「なに?」
「死んじゃダメよ」
「うん」脳裏に『スクエラから目を離してはならない』という文章がよぎった。「君もね」
「私も、キャルと同じでしょ?」スクエラは後頭部で僕の胸をぐりぐりしている。表情は見えない。「シャルロット様と比べたら優先順位は、下。だから、私が死んでも、どうってことない。そうでしょ?」
「……」
答えたくなくて、僕は黙っていた。
いくら僕でも口にしたくない言葉くらいある。
「ねー、クリム……」
「うん?」
「ぎゅってして」すこし震える声で彼女はそういい、「……っていったら、してくれる?」と付け加えた。
「……」
僕は迷った。
今、この瞬間、スクエラは間違いなく僕のことを好きだと思っていて。
抱きしめてほしいと思っている。
目の前には、この世界で最も死に近しいダンジョンをさらに深く潜る入り口があって。
僕たちは中に入ろうとしている。
僕は……彼女を抱きしめてあげるべきじゃないのか。
今まで、僕は自分が死んでスクエラを残してしまうことばかり考えてきて、彼女を遠ざけようとばかりしてきたけれど。
スクエラが先に死んでしまうとしたら……。
その場に僕がいることができなくて、彼女が独りぼっちで死ぬようなことがあったら……。
「はぁー……」
僕はため息をついて、スクエラを抱きしめた。
「ん? ……えっ!?」スクエラは驚いて身をこわばらせた。
「自分で言っておいて、驚いたの?」
「そりゃびっくりするわよ……」スクエラは上半身を回して僕の顔を振りかえった。「こんなことしてくれたこと、ないじゃない。なんで?」
「……」僕は黙った。まさか『君が死ぬときに心残りがないように』と思ったなんて、言うわけにはいかない。「なんでもいいでしょ」
「なんでもよくないけど……。まあ、そうね。なんでもいいわ」
「いいんじゃん」
「もうちょっときつくしてよ」スクエラはまた正面をむいてブランコでもこぐように軽く前後にゆれた。「ね? いいでしょ?」
「……ダメ」
「なんで?」
「恥ずかしい……。これが精いっぱいです……」
「そう? じゃあ……私が思いっきり抱きつこうかな!?」
スクエラはぱっと僕の手を振りほどいて、振り返っていたずらっぽく両手を構えた。その姿はまるで……なんだろう、自分を大きく見せようと仁王立ちしてるレッサーパンダがこんなだったかな?
「え? うわっ!?」
僕は本当に飛び掛かってきたスクエラに押し倒されてしまった。
紅い雪がぼふっと煙のように舞う。
「こらー! そこ! イチャイチャするな!」
レオンハルトの声が飛んでくる。
立ち上がると、右腕が重かった。なにかと思えばスクエラがしがみついていた。コアラみたく。
「重いよ」
「軽いでしょ?」
「また怒られるよ」
「モテない男がひがんでるだけ。放っておけばいいわ」
「うん……。でも、怒ってるのはレオンハルトだけじゃないと思うな……」
「え?」
スクエラは少し驚いた様子で顔をあげ、みんなの顔をみた。
リズリーは目のやり場に困っている感じだ。目の前でイチャイチャを見せつけられて気まずいという感じか。
レオンハルトは結構怒っている。「ここはダンジョンの中だぞ……?」という目だ。ごめんなさい。
イニチェはリズリーと似ていて、困惑している感じだろう。両手でユンとフロイの目をふさいでいる。二人はその手から逃れようと抗っている。……そこまでセンシティブなものではないはずだけど。
キャリオ様はというと、僕たちの正面で腕を組み、仁王立ちしていた。
「感動しました!」
目が合うなり、キャリオ様は高らかにそういい、手を叩いた。レオンハルトが制止してもやめようとしない。
「素晴らしいです、執事さん。よく決断しました」
「え? ああ、いえ、それほどでも……」
「いや~、ずっとスーちゃんが悶え苦しんでいるのを隣で見てきた身としては感慨深いものがありますね」
そんなことをいった。なんだこれは。メチャクチャ恥ずかしいんだけど。




