紅い世界、5
僕は火都の事件がどのようなものだったのかを語ることになった。
その初めに、僕は一番重要なことをいった。
「最初に……僕の目的について話しておくね。少し前にちらっと言ったかもしれないけど、僕の目的は、シャルロット様を幸せにすることなんだ」
僕は、自分自身の声が震えていることに気づいた。
自分を殺せる天使を挑発するくらいは平気なのに、自分の本心を話すのは緊張するのか、と我ながら可笑しかった。
「僕はかつて、『本』を読んだと話したね。……まあイニチェたちには言ってないけど。えーと、簡単に説明すると――」
『しなくていい』天使が遮って、イニチェたちに指を突きつけた。『想像しろ。我らの神を想像できん貴様らにはいい訓練であろう』
「へん! 嫌なやつ!」ユンが顔の半分までイニチェの影に隠したまま言った。
『……ああ?』
「ごめんなさい!」
「続きを話すね……」僕がいうと、天使はゆっくり振りむいた。「つまり、本を読んだからシャルロット様のファンになったんだ、僕は。だから彼女を助けると決めた。たとえ……」
僕はキャリオ様をみた。
「天使や神様が敵になったとしてもね」
『……』ガブリエルは黙っている。
「それが大前提。いいかな?」僕はみんなの顔をみた。大丈夫そうだった。スクエラは少し怒っているようだったが。「だからつまり……僕にとってはシャルロット様が最優先なんだ。他のことや、他のひとは、場合や、程度によっては――」
「はっきり言えよ。キャリオに何をしたんだ」レオンハルトが怒りをにじませていった。
「……」僕は言いよどんだ。口にすればきっと、レオンハルトはもっと怒るだろうから。「僕は、キャリオ様が、火都で、邪教徒につかまるよう、手を回した。イニチェに頼んで」
「……」
予想に反して、レオンハルトはすぐには怒りをあらわにしなかった。口をぎゅっと閉じ、顔色は赤ではなく、むしろ白くなっていった。
けれど、僕はそっちの方がずっと怖かった。
僕は続けた。
「キャリオ様に危害を加えるつもりはなかった。僕がそうしたのは……」
僕はゆっくりと息を吐き、瞬きをした。次の一言が、最後だ。
これは確実にレオンハルトをキレさせてしまうという、確信があった。
「……『本』の展開と、現実の展開を、そろえるためだ」
「……キャリオを殺すつもりはなかった、といったな?」
しばらくしてから、ようやくレオンハルトは絞り出すようにしてそういった。絞り出すようというのは……殺意を絞り出して声にしているよう、という意味だ。
「では、キャリオが死なない、という確証があったのか?」
「……」
僕は顔をすこし伏せた。
「なかったよ」
次の瞬間、僕は大きな力で吹っ飛ばされて、壁に身体をしこたま打ち付けた。
痛かった。
衝撃で声がしばらくでなくなりそうだった。
レオンハルトに殴られたのだ。
殴られるだろうな、と予想していなかったら、何が起きたのか理解できなかっただろう。
「……」
レオンハルトは目を血走らせ、ふーっふーっ、と獣のように荒い意気で僕を見つめている。これでも落ち着こうとしているのだろう。さもなければ、こうして殴るのをやめてくれるはずはない。
『……』天使は黙って僕とレオンハルトをみつめ、言った。『レオンハルト、私はそろそろ時間だ。キャリオに替わる。……キャリオにこのことを伝えるべきだろうか?』
「伝えてくれ」レオンハルトは即答した。
『わかった』
彼がうなずき、もう一度、顔をあげた時には、彼女に戻っていた。
「……もう殴ってはダメですよ、レオンハルト」キャリオ様は目隠しをしないまま、レオンハルトにいった。
「……」レオンハルトは答えない。
「返事」とキャリオ様。
「わかったよ」レオンハルトはむすっとした表情で両手をあげた。
「よろしい」キャリオ様はそういって、目隠しをまき直した。「さてと、執事さん。少々、質問よろしいですか?」
「ろうぞ」殴られたせいでうまくしゃべれなかった。
「あなたは、シャルを幸せにできそうですか?」
「……」
やわらかい声だった。
こんなに寒い雪山で、その小屋の中で、仲間だと信じてくれていた人たちに嘘がばれて、疑念とか、怒りとか、そういったものを向けられて――まあ自業自得なんだけれど――それでもどうにかして取り繕おうと斬り合うようにして虚勢をはってたところに、ふと小さな花を見つけたような気分だった。
それでいて、その質問は、今日一番難しい問題だった。
僕はすぐに答えられなかった。
「……わかりません」丸々一分近く考えてでた答えがこれだった。「わからないこと、上手くいかないことだらけです。全然、もう、わからないんです。今の、この展開だって、予定になかった。でも、こうするしかないんです。お願いします、どうか協力してください……」
しゃべっているうちに、いつの間にか泣きつくような調子になってしまった。
つい、自分が感じていた不安をそのまま口に出してしまっていた。
こんな予定ではなかった。
もっと効果的にキャリオ様の心を揺さぶることをいって、協力してもらえるようにしなければいけないのに。
これでは、いたずらに不安をあおるだけじゃないか。
確信もないのに、火都でキャリオ様の命を危険にさらしておいて、その成果すら曖昧になったといっているようなものだ。
これでは……。
「いいでしょう……。私はあなたを信じることにしました」
「えっ?」
見上げると、キャリオ様は微笑んでいた。
「ずっとあなたの本心がわからなかった。天使は嘘じゃないと言ってはいましたが、どうも違うような気がしていて……。ずっとね。でも、あなたが今言ってくれたことは、私が本当だなって思えたから」
「で、でも、僕はあなたの、ことを……」
「死んでもいいって思ってたって?」キャリオ様は微笑んでいる。
「……はい」僕はうなずいた。
「私だって、大差ないわ。嫌いな司教……大聖堂に一人、私が大っ嫌いな人がいるんだけどね。いろんなところから賄賂をもらったり、あくどくて、女癖が悪くて、私のこともエロい目で見てきて、酒癖がひどくて、おまけに体臭も――」
「あの、キャリオ様?」悪口をつらつらと並べるキャリオ様を思わず制した。「いったい、何の話ですか?」
「そんなくそやろーとシャルの命のどっちを取る?って言われたら、私は迷わずシャルを取るわ。あのくそ司教は地獄に堕ちればいいのよ。……あ、エル、本当に手配しなくてもいいのよ。半分冗談だから。でもまあ……エルがどうしてもっていうなら、止めないけど、でも……」
「あのぅ……」話がどうも脱線気味なのでもう一度口をはさんだ。「どういうことでしょうか?」
「うん。それでいいわ、エル。……優先順位は誰にでもあるって話です」キャリオ様は微笑んだ。どっちになったのだろうか。「あなたにとってシャルが一番であって、それ以外の誰かよりも優先されるように、私にも私の優先順位があります。誰だってそうです。意識してないだけ。それはごくごく自然なことだし、誰かに非難されるようなことでは、決してありません」
キャリオ様は小鳥をなでた。
「あなたは、ちゃんと覚悟をもって決めただけなんですよ。それは責められることではありません。胸を張ってよろしい」
「あ、ありがとうございます……」僕は気づけば感謝を述べていた。そして、どうしても一言いいたくなった。「あの……一応言っておきますけど、僕、キャリオ様のこと、嫌いじゃないですよ……?」
「ふふ……。わかってますよ」
キャリオ様は一瞬、レオンハルトを振り向いた。レオンハルトは目をそらした。
「レオンハルトは腹を立てていますが、同じことです。優先順位の問題。彼はあまり頭がよくないですから、あなたのことを糾弾するつもりだったと思いますが、安心してください。その野望はここについえました。……そうでしょ?」
「……俺の頭は悪くない」とレオンハルト。
「まだ糾弾するつもりですか?」
「……。いや、もういい……」レオンハルトはそっぽをむいたまま答えた。
「ね? 天使も、怒ってるけど、邪教徒にだってそんなことはできないって怒ってるけど、たぶん、理解はしてくれたと思うの。彼らはすごく厳しいけれど、けっして人の心をひとかけらも理解できないわけではないから……」
「そうなんですか?」
キャリオ様の肩の上の小鳥に目を向けたが、強めの魔力を僕の目をめがけて撃ってきて、ちょっと危なかった。
「うっ!?」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です……。では、その、僕はどうなるのでしょうか。あと、イニチェたちは……」
「不問です。そうよね?」
キャリオ様は自然に微笑みながら、レオンハルトやみんなの方を振り向き、エルをそっとなでた。
「どなたか、異議のある方はいらっしゃるかしら?」
誰も、手をあげなかった。
誰も、口を開かなかった。
キャリオ様は、僕を振り向いた。
「決まりね。それじゃあ……レオに殴られたところを、治療しましょうか。ずいぶん痛そうですから」




