白い世界、10
絨毯のように真っ赤な雪原を、僕たちは走った。
ときどき足を取られたのは雪のせいだけではないだろう。あまりにもどぎつい色彩のせいで、目が地面との距離を錯覚してしまうのだ。
また、僕は転んだ。
「ちょっと、大丈夫なの!?」スクエラが僕の腕の中で叫んだ。「私も自分で走った方がいいんじゃないの?」
「大丈夫。ケガはない?」
「それは……大丈夫、だけど……」
「じゃあいいよ」
最初はスクエラも走っていたのだが、僕が抱えて走るより遅いと思ったので、抱えることにした。キャリオ様はリズリーが抱えている。リズリーは足が速そうにはみえないが、意外にもかなり速かった。直線的な加速は苦手ではないらしい。
しんがりはレオンハルトだった。
「魔物はどう?」僕はスクエラに尋ねた。「レオンハルトに追いつきそう?」
「そうね、えーっと……」
スクエラは僕の左肩から身を乗り出して、後ろを見た。息をのむ音が聞こえた。
「近いわ! もう目と鼻の先!」
「あと何メートル?」
「あと……三百メートルくらい!」
僕は魔物の速度を暗算した。
「あと三十秒くらいかな」
「そうなの?」
「そうなの」
とても山小屋まではたどり着けない時間だった。
だが、後ろの魔物のレベルはおそらくレベル5を下らない。ゲームでは、スカーレットの中の魔物のレベルは最低でも5だった。【暴走する生命】のボスだったヘッジホッグがたしかレベル4くらいだったから、あれより強いのがごろごろいると思っていい。
レオンハルトでも、まだきついだろう。キャリオ様でも治療できないほどの大けがをするかもしれない。
そうなれば、この先に進むのは絶望的だろう。
わかっていたことだ。
スカーレットに行くと決めたときに、わかっていたこと。
ただ……もうちょっと運が味方してくれるんじゃないかとは思っていた。
つまり、セーフティゾーンが目の前にあるんじゃないか、とか。
これ以上、愚痴っても仕方ないか。
要するにだ……。
『秘密主義者の仮面を取る……いや、着けるときが来たみたいだね』
僕は【沈黙の仮面】を装着し、アイマスクを外した。スクエラは僕の瞳をのぞきこんで嬉しそうに抱きついてきた。
「これからはずっとその格好なの!?」
『いや、これ魔力を消耗するから、すぐに外すよ』
僕がそういうと、彼女はブーと子供のように口をとがらせて非難がましく僕をにらんだ。
「魔力くらい、私があげるのに」
『君、魔力そんなに多くないでしょ?』
「しぼりだせばなんとかなるわよ」
『しぼりだしちゃダメでしょ』
「なんで仮面つけたの?」
『じゃあ、おろすね』
「やだ」
『……おろすね』
僕はスクエラをおろした。振り返ると、リズリーが走ってきていた。僕の顔をみて、驚きに目を見開いている。
そのさらに向こうでは、レオンハルトが僕たちに背中をみせていた。もう間に合わないと判断して、魔物と戦う覚悟を決めていたようだ。レオンハルトらしいと言えばらしい単独行動か。
さらに向こうで、紅い霧のようなものが吹きだしている。つまり、雪の下を這い進んでくる魔物がおこした亀裂や衝撃で紅い雪がはじけて舞っていた。
「なにをするの?」スクエラが尋ねた。
『レオンハルトに加勢してくる』アルテミスから魔術を実行した。『魔物の位置を探索。並行して、火炎の魔術を詠唱しろ』
『命令を受理しました』アルテミスが応答する。
「私も行く」
『残念。おいていきます』僕は微笑んだ。『リズリーと一緒に山小屋にむかってて』
「あっ、ちょっと!?」
後ろで非難がましく叫んでいるスクエラをおいて、僕は前に出た。
驚いているリズリーとすれ違って、レオンハルトのところに走った。しかし、計算が間違っていたのか、魔物が速度を上げたのかわからないが予想よりも早く、僕が追いつく前にレオンハルトと魔物が接敵した。
紅い雪が宙高くまで舞い上がり、その中から、ミミズだかイモムシだかムカデだかを思いきり巨大化したような魔物の影が浮かび、鋭い牙をつけた口吻が雪の霧の中から飛び出してきた。レオンハルトをかみ殺そうと、真っすぐに突っ込んでいく。
「バカなやつだ……」レオンハルトは背中の大剣を抜いた。「俺の力量もわからんとは」
そんな低いつぶやきが聞こえてきた。
しかし、レオンハルトは剣を抜いたあと、その場から動かなかった。ゆっくりと構えと呼べるのかどうかもあやしいような位置に剣を持ち、まるで考え事でもしているかのようにややうつむいて静止した。
いまにも魔物に喰われそうな瞬間まで。
『レオンハルト!』僕は思わず叫んでいた。『危ないぞ!』
「お前――!?」
レオンハルトはこちらを振りむいて、怪訝そうに眉をひそめたように見えた。
その瞬間、魔物がレオンハルトに食らいついた。
『ああっ!? ……ああ?』
……と思ったが、気のせいだった。
一瞬、僕まで殺されるんじゃないかと思えるほどの魔力を感じたと思ったら、魔物の口吻あたりが吹き飛んだ。
どうもレオンハルトは喰われる直前に剣をふったらしい。そりゃあ、レオンハルトがあっさりやられるわけもないが、人騒がせなことこの上ない。余裕ならそうと先に言っておいてほしい。
てっきり僕のせいで死んでしまったかと思った。
「……おい」
魔物の体液をペッと吐きながらレオンハルトが近づいてきた。
目つきが鋭い。仮面をつけた状態でレオンハルトと会うのは三度目だ。初対面が敵対に近い感じだったから、ちょっと警戒されているのだろう。
「貴様がなぜここに……」そういいかけて、レオンハルトは僕の服装をみた。「その服……クリムなのか?」
『あー……。まあ、そう』
僕はしぶしぶうなずいた。レオンハルトに加勢するつもりが、こんなにあっさり倒してしまうなんて。わざわざ変身した意味がなくなってしまった。これではただ正体をばらしただけじゃないか。あまりにもかっこ悪い。ばつも悪い。
レオンハルトはこれみよがしに深々とため息をついた。
「……まあいい。とりあえずみんなと合流しよう」
『そうだね』
僕たちは踵を返して、スクエラたちのいる方へ一歩踏み出したが、そこで足が止まった。
なにかおかしい。
人数がおかしかった。ここからはリズリー、キャリオ様、そしてスクエラの姿がみえる。
しかし、さらにもう一人、おまけがいた。
そいつは、過保護な父親のようにスクエラの背後に立ち、彼女の細い首に剣を突きつけていた。
「こんばんは、勇者諸君。どうか私の話を聞いてほしい」
そいつは、シーザー教の次期導主――大司教イニチェだった。
「私はイニチェ。君たちの敵……邪教徒の一人だ」




