白い世界、3
【未踏の紅】は、未踏破のダンジョンだ。スノータウンから百二十キロほど北上したところには、深紅の迷宮と呼ばれていたダンジョンがあった。
十二年前に【深紅の悪魔】という名の魔王――レベル9に到達し、人の言葉を理解できるほどの知性をもった魔物――が現れて、ダンジョンの一部を破壊。周辺一帯に結界をはって魔力濃度が下がらないようにし、事実上ダンジョンを大幅に拡大した。数多くの人々をその領域に閉じこめて……。
これが深紅の迷宮の暴走……俗に【血の閉幕】とよばれた事件だ。キャリオ様が二番目に預言した事件でもある。
「スカーレットについて、どれくらい知っているんだ?」レオンハルトはそういって、僕をにらんだ。「秘密はなしだ。タネも仕掛けもな」
「あー……、えーっと……」
そういわれて僕は悩んだ。そりゃそうだ。今から僕たちはまさに命がけの危険地帯に行くのだから。
たしかに僕はスカーレットについて、みんなが知りようもない知識を持っている。それは、前世で【バッドエンドは猫も食わない】をプレイした記憶があるからだ。僕は、スカーレットについては、記憶がある。さんざんやりこんだダンジョンだ。地形から出現する敵まで……全部とは言わないが、まあそれなりに覚えている。
問題は、その「知りえない知識をどうやって知ったのか?」という問いに僕が決して答えることができない、というところにある。
僕だって、いいたい。ここをこうやって、こうやれば、クリアできるよ、といいたい。だって、いわないとレオンハルトの言うとおり、マジで誰かが死ぬから。
一応、弁明しておくと僕は「言うか言わないか」では悩んでいない。そうではなく「どうやって伝えるのか」で悩んでいるだけだ。
「レオ、クリムを責めないで」スクエラが僕をかばうように隣に立った。「クリムは秘密が多いけど、好き好んで隠してるわけじゃありません。責めないでください!」
「ありがとう、スクエラ……」
「きゃっ!? 耳元でささやかないで!」
思わず胸が熱くなってお礼をいうと、スクエラは照れ隠しに僕にビンタをくれた。痛かった。
それをみてレオンハルトが肩をすくめる。
「仲がいいのはけっこうだが、それくらいじゃあ誤魔化されてはやれないな」
「じゃ、じゃあ、キス!? キスすればいいのね!? それなら誤魔化されてくれる!?」
「えっ!?」
まさかの発言に僕は度肝を抜かれた。気づけばスクエラに腕をつかまれていた。思ったより力が強い。この数か月の旅の成果が出ている。逃げられない。
レオンハルトは明らかに困惑していた。
「な、なんといったらいいか……」
「止めてください!」僕は叫んだ。
「……じゃあ、秘密を話すか?」とレオ。
「え、ええと……」
「スーちゃん、チャンスです」キャリオ様がいった。応援するように両手を握りしめている。鼻息も少し荒い。「秘密なんてどうでもいいですから、やっちゃいましょう!」
「や、やっちゃってもいいんでしょうか!?」とスクエラ。
「ダメです」これは僕だ。
「構いません。神様もお許しになります。ね、エル?」とキャリオ様。
「じゃ、じゃあ……」
スクエラはいよいよがっちりと僕の腕をつかみ、目を思いっきりつぶって、キスをしようと顔を近づけてきた。
僕は……、
僕は、逃げた。
転移魔術で。スクエラの腕から逃れて一メートルほど、移動した。
「え」スクエラは目を開いた。
その時のスクエラの表情をみて、僕は内臓をわしづかみにされたような気分になった。
僕は目をそらした。
「ご、ごめん」
「ううん、大丈夫」スクエラは笑った。
僕は自分がつくづくイヤになった。これが自分の望みだったはずだ。スクエラが僕のことを嫌いになっていくことが、僕の望みだ。
でも、僕はそうして嫌われていく過程に耐えられるだけの勇気というか、信念のようなものが僕には無いかもしれないと、思い知らされた気分だった。
レオンハルトはため息をついた。
「色々と言いたいことはあるが……俺が一番いいたいことは同じだ、クリム。話してもらおうか」
「え?」何の話か、思い出すのに少しかかった。「ええと……スカーレットについて、でしたか?」
「そうだ」
「それは……」
「必要なら誓いを立ててもいい」
「誓い?」
「ああ」
レオンハルトの顔をみると、彼は目を閉じていた。
「お前が何を話しても、俺はそれについて何も言わない。怒らない。殴らない。行動しない。……不問だ。お前が話す言葉は、ただ消えていく。お前の言葉を聞いて俺はただ知識だけを得る。知識を得て、誰が話したかを忘れる。……これでどうだ?」
「殴らない、というのが不穏ですが……」
僕はため息をついた。
レオンハルトにここまで言わせたのだ。ここまで言ってくれたのだ。これはもう、僕に残された選択肢など無いに等しい。
ちらりと、キャリオ様の肩にとまる小鳥に目をやった。見間違いかもしれないが、レオンハルト同様、目を閉じているように見えた。
「わかりました。秘密は、無し、ですね」
「ああ。無し、で頼む。みんなも、いいよな?」
レオンハルトの問いかけに、全員がうなずいた。
ただ、スクエラの表情だけが少し、暗かった。




