色褪せた世界、2
僕は執事服に着がえ、シャルロット様の支度もすませて病院へいった。
病院といっても、現代日本でよくみる白くて清潔感あふれる建物ではない。住宅街の裏手にあるレンガ造りの古ぼけた建物だった。決して大きくはなかったが、僕たちが入るときに二組とすれ違った。
受付などはない。ベルさんのいる部屋まで素通りだった。どこかに警備の人間は詰めているのだろうか?
「ちょっと待ってて」シャルロット様は部屋に入る前に僕を手で制した。「先にベルと話があるから。ここで待ってて」
「わかりました」
「……盗み聞きしちゃダメよ」
「しませんよ」
「……くれぐれも――」
「しませんって」
シャルロット様は1ミクロンたりとも信用していない目で僕をみていたが、それ以上は口にせず病室に入った。ベルさんが嬉しそうに、かすれた声を出すのが聞こえた。しかし、すぐにほとんど何も聞こえなくなった。シャルロット様が「静かに」とでもいったのだろう。
一分近くたった。シャルロット様たちはまだ話している。
こうなると、内容が気になってくる。僕は魔術を使って、会話を盗み聞きすることにした。なーに、支援妖精を起動して、ちょっと音波を少し増幅するだけだ。バレないバレない……。
魔術が使えなかった。
「え?」
正確には思ったような魔術出力がでなかった。そもそもアルテミスが起動しなかった。アルテミスの不具合かとおもって、防壁を展開しようとした。魔術師にとって基礎の基礎にして、生命線でもある魔術だ。しかし、防壁はうんともすんとも反応しなかった。
意味がわからなかった。
「クリム、もう入っていいわよ……。あら、どうかした?」気づけば、シャルロット様が戻ってきて僕の顔をのぞきこんでいた。「顔色が悪いわよ、大丈夫?」
「大丈夫、です……」ほとんど上の空でそうこたえ、気を取り直した。「ちょっと……その、くしゃみが出そうでした」
「ああ……そういう時ってあるわよね。出そうで出ない時が」
「えーと、はい」
「ご愁傷様」
「どうも……?」どう考えてもオーバーな表現だとおもったけど、ツッコミを入れる前にシャルロット様はみえなくなっていた。
「さあほら、クリム」
シャルロット様に続いて、病室に入った。
広い部屋にベッドがいくつも並んでいるところは、見慣れた病院と変わらない。ベルさんのベッドは、一番奥の窓際だった。
「久しぶりですね、クリム・ホワイト」ベルさんは少しかすれた声でいった。「私にとっては、三日ぶりくらいですが」
「ええと、僕にとってもそれくらいです」
「そうなのですか、記憶が欠けていると聞きましたが」ベルさんはちらりとシャルロット様をみた。「まあいいでしょう。一人でお世話できそうですか?」
「失礼ね」シャルロット様は僕が返事をする前にいった。「私は自立した立派な淑女よ。お世話なんてなくても平気なんだから」
「僕一人ではとても無理です。早く戻ってきてください、ベルさん」
「なんですって?」シャルロット様に横目でにらまれた。
「今の質問は『大丈夫です』と答えるところですよ、クリム・ホワイト」
「僕の考えでは真逆ですね」
「言うようになりましたね。あなたが戻ってきてくれて、私は嬉しいです」ベルさんは消えそうな声でいった。「一時はどうなるかと思いましたが……」
「ベル!?」シャルロット様があわてたようにいった。「それは言わないでって……」
「クリム・ホワイトはあなたの味方です、シャルロット様」ベルさんはシャルロット様をみた。「わかっているはずです」
「それは、わかってる、けど……」
「クリム・ホワイト」ベルさんは今度は僕をみた。「そうですね?」
「はい、もちろんです」
「シャルロット様とあなたは、少し前までケンカをしていました」
「……え?」その言葉を理解するのに二秒かかった。「僕とシャルロット様がケンカ? 本当ですか?」
「本当です。ですよね、シャルロット様?」
「……ええ、本当よ」シャルロット様はしぶしぶうなずいた。「理由はいわないわよ」
「理由はスクエラさんです」ベルさんがあっさりといった。
「もう! ベル! あなた、私に恨みでもあるの!?」
「こんなことをいうとお二人は怒るかもしれませんが……」ベルさんは淡々といった。「あなた達が不仲になることなど、誰も望んではいません。それこそ、スクエラさんが一番望まないでしょう。違いますか、クリム・ホワイト?」
「僕はケンカの内容を覚えていないのですが……」
「だいたい察しはつくでしょう。心当たりがない……などといったらすべて終わりですよ」
「仲直りさせたいのではなかったのですか?」そういってから、ため息をついた。「心当たりは、あります……。僕がスクエラを、ないがしろにしてる、という話ですよね?」
「そうです」
「……そこについては、触れないでもらえるとありがたいですね」
「クリム、あなた――!」
怒った口調でシャルロット様がなにかいいかけたが、それをベルさんがさえぎった。
「それはなぜですか?」ベルさんが静かに尋ねた。
「デリケートな問題だからです。シャルロット様とベルさんに説明して、理解してもらえるとは思えません。そもそも僕自身、はっきりとした答えを出せていませんから」
「出しなさい」シャルロット様がいった。「あなたはスクエラちゃんを――」
「シャルロット様」ベルさんが再びさえぎった。「お静かに。ここは病院ですよ」
「……」シャルロット様はまだ言いたりないようだったが、口をつぐんだ。
「シャルロット様もわかっているはずです。クリム・ホワイトはスクエラさんを大切に思っています。それでもこんな極悪非道なあつかいをしているのには、きっとなにか理由があるのです」
……いま、僕のことを極悪非道っていわなかったか?
ベルさんはちらりと僕をみて続けた。
「……この前のことで、わかったじゃないですか。最初から分かっていました。この男は得体が知れません。しかし……どうやら私たちの味方です。きっと何かわけがあるのです」
「……」
「シャルロット様」
「仲直りは、しないわ」シャルロット様は怒りを押し殺していった。「でも、わかった。わかってる。から、この問題は保留にしましょう。クリムもそれでいいわね」
シャルロット様は僕に目をくれることなく言った。口調も、僕の意志を確認するというより、なかば命令するようだった。僕はうなずいた。
「はい。かまいません。……ケンカの内容がまだピンと来ていませんが……」
「もう、帰るわね」シャルロット様は僕を無視した。「お見舞いって気分じゃなくなっちゃった」
「仲直りは先延ばしにするものではありませんよ、シャルロット様」
「あーあーあー、聞こえない聞こえない」
「クリム・ホワイト、シャルロット様を頼みます。くれぐれも」
「はい。早くよくなってくださいね」
「フ……。そうしましょう、私の仕事を取られてはたまりませんから」




