笑顔の正体①
次に意識を取り戻したとき、僕は椅子に縛りつけられていた。それに気づくと同時に、いままでに感じたことのないすさまじい疲労感に襲われた。ここがどこかとかいった現状の確認なんてどうでもいいから、すぐにでも横になりたかったが、あいにく手も足も動かなかった。
しばらくするとその疲労感にも慣れてきて、状況について考えることができるようになってきた。
初めてビスキュイ殿下の屋敷にきたときも、わけもわからぬまま拘束されていた。それに似ているが、その時は傍に誰もいなかったし、地下深くの部屋に閉じこめられて、どこにいるのか、どこの誰にやられたのか全然わからなかった。
しかし、今はまるで真逆の状況だった。
目の前にはビスキュイ殿下がいる。立派な椅子を前後逆にしてすわり、その背もたれに腕をもたせて笑っている。そこは屋敷の玄関ロビーだった。地下室ではない。
そして周りには、屋敷の使用人がずらりと並んでいる。
「種明かしといこう」
ビスキュイ殿下が言った。
「といっても、わざわざ教えるつもりはない。質問したいことはあるか? 答えてやるから言ってみろ」
「……」
声が出なかった。口元に手をやると、仮面がまだついていた。このせいで声が出ないのか。
魔術で仮面の呪いを中和して外そうとしたが、うまく魔術が使えなかった。そもそも、自分を縛っている縄すら、切れない。いや、どうやら魔術がほとんど使えなくなっているようだった。出力が十分の一か、百分の一くらいまで落ちている気がする。
ビスキュイ殿下が何かしたのだろうか……。
「なんだ? 早く返事をしろ」
殿下はイラついたように眉をつりあげた。
演技かもしれないが、それならすぐに「冗談だ」とかいって笑いだす気がする。
殿下が何かしたというわけではない……?
そこまで考えて、一つ思い当たることがあった。
重畳転移だ。僕自身を折りたたんだ弊害が、こうして出てきているのではないだろうか。折り畳みによって肉体的な損傷を受けるより先に、魔術的な機能が損傷を受けたのではないか?
「おい、いい加減にしろ。もう十分時間は経っている。魔力も戻っているだろう。仮面を外すなり、魔術で声を出すなりして、返事をするんだ」
参った。どうしよう、と思っているとショコラが無表情で近づいてきた。
「できないのですか?」
そう尋ねられたので、僕はうなずいた。
「仮面を外せますか?」
首を横に振った。
「魔術で声を出せますか?」
首を横に振った。
「拘束を解けば、筆談できますか?」
僕はうなずいた。
「……」
ショコラは黙って顔を上げ、ビスキュイ殿下をみた。殿下はむすっとした表情で面白くなさそうに、軽く手を振った。ショコラは一礼すると、どこかへ行った。
殿下は煙管に火を入れると、言った。
「筆談には時間がかかる。質問することを考えておけよ」
「……」
しばらくすると、ショコラは机を持って戻ってきた。それを僕の前に置くと、またどこかへ行った。どうやら筆談の道具をそろえてくれているらしかった。
質問か……。聞きたいことはいくらでもあった。
シャルロット様とベルさんはどうなったのか。
あの会場にいた人たちは。
ミント伯は? トアン卿は?
王都の被害は?
この状況はどういうことなのか。
なぜすべてを明かしてくれる気になったのか。
しかし、まずは……。
『あの魔物は殿下が用意されたものですか?』
筆談の道具がそろって、最初に僕はそう書いた。ショコラがそれを殿下に見せる。
殿下はゆっくりと首を横に振った。
「やれやれ、その質問は二度目だぞ。あれはトアン卿の仕業だ」
『あなたが魔剣で洗脳したのでは?』
「違うと言った」
『トアン卿に何をしたのですか?』
「おいおい、もう少し自分の頭で考えたらどうだ? 自分でもできることが、私にはできないと決めつけるのはどうかと思うぞ」
『どういう意味ですか?』
「私も洗脳の魔術を使えるんだ。魔剣無しで」
何秒間か、僕は自分がどんな表情をしているのか全く分からなかった。ただ、気づいたとき、殿下はものすごく楽しそうに微笑んでいた。やはり姉弟なんだな、と頭の片隅で思った。
「いいリアクションだ」
『なぜ殿下が、精神魔術を使えるのですか?』
「邪教徒の魔術だな」
『なぜ?』
「お前と同じだ、クリム。そっくり同じなんだよ」
僕は首をかしげた。殿下は続けた。
「邪教徒どもに捕まっていたことがあるんだ。何年もな。この足は、その時の名残だ」
殿下は足を軽くたたいた。
「気の荒い奴にやられてな」
『どうして、僕と同じだと、知っているのですか?』
「おや? 忘れたのか、薄情だな。お前が話してくれたんじゃないか」
僕の表情をみて、殿下は可笑しそうに声を出して笑った。
「おっと、すまない……。忘れたのも仕方ないな。私がそう命令したのだから」
『僕のことも洗脳したんですか?』
「そうだ」
僕は生唾をのんだ。
『最初に地下で目を覚ました時には、もう洗脳は終わっていたってことですか?』
「そうだ」
『あなたは僕の能力を知っている』
「そうだ」
『あなたは僕の目的を知っている』
「そうだ」
『あなたは僕の正体を知っている』
「そうだ。お前が姉上を救うために転生してきた人間だと、私は知っている」
「……」
なんてこった……。
よりにもよって、この人に知られるなんて……。
よりにもよって、この人に……。
「なんとか言ったらどうだ?」
『シャルロット様も洗脳してるんですか?』
僕がそう尋ねると、殿下は不快そうに眉をひそめた。
「……いや、していない。二度か三度、魔剣で記憶を消したことはあるが、それだけだ」
『命令や自白を強要したことはないということですか?』
「質問には答えた。二度答えるつもりはない」
『シャルロット様はご無事ですか? ベルさんも』
「ああ、無事だ。二人ともな」
僕がほっとしていると、殿下が言った。
「メイドについては、足は元に戻らんようだがな」
「……」
僕は彼女の怪我を間近で見ている。予想はしていた。
「だが、姉上はなにか企てているようだな」
『どういうことですか?』
「さあな。自分で確かめろ」
『あの会場にいた他の人たちはどうなりましたか? ミント伯と、トアン卿は?』
「その二人は死んだ。生き残りはお前の知っている人間を除けば片手で足りるほどだ」
『王都の被害は?』
「二百人ほど死んだ、と聞いたな」
僕は少しためらって、次の質問を書いた。
『あの魔物は殿下が用意させたものですね?』
「そうだ」
殿下は退屈そうに椅子に頭をもたせた。
『なぜ、あんなことを? 結果はわかっていたのですよね?』
「結果とはなんだ? 被害の規模の話か?」
『はい。あの会場の人たちや、王都の人が死ぬとわかっていたんですよね?』
「当たり前だ」
『なぜ、やったのですか?』
「……」
殿下は黙って僕の顔を見つめた。僕も殿下の顔を見つめ返した。
「たとえ話をする」
やがて殿下は言った。
「お前は、ある貴族の屋敷に忍び込んでそいつが持っている宝を盗もうとしていたとする」
「……」
「しかし、その屋敷には強そうな衛兵が何人かいて、宝を守っている。そいつらをどうにかしないことには宝は盗めない。さあ、お前ならどうする?」
『さっきの話と何の関係があるのですか?』
「いいから答えろ。打ち切ってもいいんだぞ」
『その衛兵について調べます。どれくらい強いのか、どういう配置か、巡回ルートは、時間帯は、アクシデントへの対応力は。そういう情報を』
「いい答えだ。私も同じ考えだ。まず最初に調べる。実際に相対するのはその後だ」
『これがどう関係するのですか?』
「今回知りたかったのは、アクシデントに対する対応力だ。私は衛兵の反応がみたかった」
「……?」
一体、誰の反応がみたかったんだ……?
そう考えて、ハッとした。一つの嫌な考えが浮かんだ。
ありえないが、考えれば考えるほど、このアイデアが正しいような気がしてきた。
僕は質問を書いた。ペンを持つ手が震えていた。
『僕の反応を見るためですか?』
殿下はニヤッと笑った。
「そうだ」




