惨劇⑤
しばらく待っていると、上空からクロコダイルが落下してきた。僕のすぐ目の前、ほんの五十メートルほど前だ。そこに二十メートル四方くらいの肉の塊が落下した。
衝撃で地面がトランポリンのように震動して、僕の身体も数十センチほど浮いた。地震というほ大規模なものではない。ごく局所的なものだったが、建物があったらひとたまりもなかっただろう。ここが市街地でなくてよかった。
ただ、クロコダイルはまだ生きていた。これで死んでくれたら楽だったのだが、当然のように生きていた。肉は裂け、骨も折れている様子だったが、それらはみるみるうちに再生した。ダメージを負っているうちにたたみかける、などと思った時にはそのダメージはなくなっていた。
ただ、魔力は大幅に消耗させたはずだ。僕を攻撃した雷撃の魔術だったり、再生でずいぶん魔力を減らしただろう。寿命を十分間削ったくらいだろうか。くそ。まだ三十分以上は元気なのか。くそが。
どうすれば時間稼ぎできるか、などと考える余裕は与えてくれなかった。なにせ相手は数十分後には確実に死ぬほどに魔力に飢えている。まさに死に物狂いで向かってくるわけだ。戦略もなにもあったものではない。
冷静の魔術を使用した。迫りくる巨大な魔物の恐怖を少しでもやわらげたかった。
クロコダイルは頭に対して不釣り合いに小さな足で走ってきた。最初に伸びてきたのは右前足だった。次が左。最後に、ちょっとトラウマになりかけている牙の並んだ大口だった。僕はジャンプして飛びのいた。
見れば見るほど歪なバランスの生き物だ。頭がやたらと大きく、手足が小さい。ワニより長いが、犬なんかよりはずっと短い。もちろん人間とは似ても似つかない。そのせいで、どうにも遠近感がつかみにくい。巨大すぎるせいもあるかもしれない。手足が短いはずなのに、指だけで僕の身長よりも長いとか……たしかに不自然なことはなにもないけれど、相対的なサイズと絶対的なサイズの感覚のズレのせいで頭がバグりそうになる。一種の錯覚でも起こしているのかもしれない。
錯覚を押さえつけながら、クロコダイルの攻撃を避けつづけた。図体の割にかなり動きが速い。一撃一撃が即、死につながるから精神力もごりごりと削られる。冷静を乱用して耐えているが、魔力も余分に減ってしまう。雷撃の魔術の兆候を感じたら、回避に専念した。もう盾はない。避けられないなら、転移魔術で逃げた。魔力が無いから、自分を折りたたんでの回避だ。リスキーだが、こればかりはどうしようもない。死ぬよりはマシなはずだ。
頭が痛い。
怖い。
怖い。
魔力の限界を感じる。
どれくらい経った?
いつ終わる?
シャルロット様は?
転移の門を閉じたから、すぐには来れないのか。
いや、来なくていい。
来てくれるのかな。見捨てられたのかも。
それでもいいか。
よくない。助けてほしい。
僕のことも、ベルさんのように血相を変えて助けに来てほしい。
ダメだ、何を考えている。
目の前の敵に集中しろ。
嫌だ。怖い。
怖い……。
ふと、ビスキュイ殿下の顔が浮かんだ。微笑みを浮かべながら、黄心剣でミント伯を刺したシーンを思い出した。
あっ、そうか。
なんてこった……。
どうも僕は、自分が思っている以上に、はるかに馬鹿なようだ……。
僕は逃げるのをやめて立ち止まった。
目の前で、クロコダイルが大口を開けるそぶりを見せた。雷撃の魔術を撃つつもりだろう。どうにかしなければ死ぬわけだが、避けなかったし、転移もしなかった。
インベントリから紫電剣ミョルニルを取り出す。もちろん、単純にミョルニルで攻撃しても仕方ない。分厚い皮膚でろくにダメージにすらなりはしないだろう。大口を開けた瞬間にカウンター気味に撃ってみることも考えてはみたが、タイミング的には相打ちになる。これは勘だが、おそらく口に電撃を浴びせた程度では一撃で倒せないし、なんなら雷撃さえ止められずに僕だけがやられておしまいだ。
だから、使っていなかった。今までは。
硬い皮膚のせいで使い物にならないと思っていたのだ。
馬鹿だった。本当に。
なにを普通に、勝負などしていたのか。
人間でも何でもない、魔物相手に……。
僕は転移魔術を使用した。
手元から、クロコダイルの心臓のある当たりまで直通の通路を開いた。本来ならダンジョンと同様、高密度の魔力で満ちた魔物の肉体に転移魔術で通路を開くのは困難だ。しかし、折り畳み想定の狭い転移通路を、ごく短い距離、ごく一瞬、開くだけなら、現実的な魔力消費で可能だ。
『警告を破棄。避雷針、展開』
その通路に、ミョルニルを刺し入れた。肉に刺さり、血が刃を伝って垂れた。クロコダイルの身体がこわばったように見えた。
『轟砲雷落、発動』




