惨劇④
地上に戻ると、ビスキュイ殿下たちはやはりいなかった。まあ地下に下りる時点でいなかったからそりゃそうだけど、いてくれたらとつい期待してしまったのだ。
「どうするのですか?」
『シャルロット様と交代します』
僕はシャルロット様を探しながら言った。地響きが鳴っている方にいるはずだ。
『僕は治癒魔術が使えないので』
「あの魔物を倒せるのですか?」
『倒すのは難しいですね。手持ちの魔力が少なすぎるので』
僕はカートリッジの残量を計算しながら言った。魔物を倒すには到底足りない量だった。
『でも、時間稼ぎくらいはできますよ』
「強がりですか?」
『計算です』
魔力の気配をたどってシャルロット様を見つけた。クロコダイルに遠距離攻撃を加え続けていたようだが、残り二十メートル、つまり目と鼻の先まで肉薄されていた。
僕は即座に転移の門を開いて、通り抜けた。
『お待たせしました、シャルロット様』
「遅いわよ!」
『ちょっと泣いてますか?』
「そんなわけ、ないでしょ!」
シャルロット様は強力な氷結攻撃をクロコダイルに浴びせ、凍結させて動きを止めた。汗をぬぐい、ふうと息を吐いた。
「ベルは?」
『重症です。治癒してください』
「わかったわ。すぐに戻るから」
『少しは削っておきます』
「無茶しないで」
シャルロット様は転移の門をくぐった。
クロコダイルがシャルロット様の氷結魔術を砕いて、ふたたび自由になった。だが、圧倒的な魔力量をもつシャルロット様がいなくなって混乱しているようだ。僕は雷の弾丸を撃って、挑発した。
『こっちだ、こっち』
よほどシャルロット様が美味しそうだったのだろう。クロコダイルの標的が完全に僕になるまで、三発必要だった。
クロコダイルがギリギリまで近づいてくるのを待った。
ひとつ思いついた作戦があった。
『反転重力を三十秒間行使します』
ベルさんとシャルロット様には「時間を稼ぐ」とは言ったが倒せないかどうか試してみたくなった。
アルテミスの機械的な声が響いて、クロコダイルと僕自身を取り囲む領域の重力を書き換えた。天地が反転する。僕らは上空へ向けて、落下した。クロコダイルがわたわたともがいて僕を攻撃しようとするが、その間合いは見切っている。僕を攻撃できないことは、手足の長さからわかっている。魔術でも使わない限りは……。
がばり、とクロコダイルが口を開いた。羊か山羊一頭分ほどもある牙がずらりと並んでいる。すごい勢いで落下しているにもかかわらず、吐き気をもよおすような臭いがした。
その喉の奥から、すさまじいうなり声が轟いた。音というよりは震動に近い。全身がびりびりと震えた。これは単なる物理的な音の攻撃だろうか。それとも、僕の感覚が麻痺しているだけで魔術の類なのか。
その答えは重要ではないとすぐにわかった。咆哮のすぐあとに短く息を吸うタイミングがあり、直後に魔力が集中する気配があったからだ。
混沌とした黒い稲妻のようなものが、のどの奥の闇の中に見えた。ほんのわずか、凝縮にもれた魔力が肌を焼いた。防壁をすべて展開した。七層プラスインベントリの中の二層ふくめ、全てだ。それだけの恐怖を感じた。攻撃される前に攻撃して、中断させる、などという考えは思い付きすらしなかった。
黒い光が閃いて、防壁を半分吹き飛ばしていった。半分というのは、層の半分という意味ではない。奥行きの話ではない。面積の話だ。早い話が、狙いが少しずれていたから、助かった。狙いがもう少し正確だったなら、僕は死んでいた。魔術を使えないと思って油断した。使えないのではなく、使わなかっただけなのか。
僕は防壁を破壊されたときの反動で、上昇への落下だけではなく水平方向への移動ベクトルがかかってしまった。クロコダイルから離れてしまう。重力魔術は対象指定ではない。領域指定の魔術だ。じきに重力魔術の有効射程に捕らえきれなくなる。近づけばいいのだが、たったいま即死級の魔術を目の前で見せられた身としては、全然近づきたくなかった。
重力魔術の使用を中断した。それでも約十秒、五百メートルくらいの高さまでは「落下」したし、ここから地面に衝突するわけだから、さすがに無事ではすむまい。
僕は自由落下が始まる直前の、放物線の頂点、つまり速度がゼロになる瞬間を待って転移魔術で地上に戻った。恐怖にまけて不完全に終わってしまったけれど、これが僕の作戦だ。クロコダイルを重力魔術ではるか上空まで持ち上げて、そこから自由落下で地面に激突させる。僕自身は、転移魔術で地上まで戻ってくる。
実はついさっき、転移魔術のコストパフォーマンスが劇的に向上するアイデアを閃いたのだ。ヒントはフロイに渡した寄木のパズルと……ベルさんのつぶれた脚だった。
正直、このアイデアは自慢できるようなものではない。すでに持っている魔術の組み合わせ――つまり収納魔術との応用だ。
転移魔術はかなり魔力を消費する。それは三次元空間の距離をすっ飛ばすために、高次元空間のトンネルを掘っているからだ。その消費量はトンネルの体積によって変わる。普通にトンネルを掘るときの労力とだいたい同じように考えていいと思う。建築の専門的なことはよくわからないけれど、きっと断面積と長さによって必要な労力が増えるはずだ。掘り出す土の量といってもいい。転移魔術もおおよそ同じだった。
僕は今まで、自分がそのまま通れるサイズのトンネルを掘ってきた。そりゃそうだ。猫しか通れないようなサイズだったら、人は通れない。猫しか通れないトンネルになってしまう。それはそれで少し興味があるが……。
脱線した。三次元的な考えだけだとこうなってしまうが、少し視点を変えると、また別の考え方ができる。インベントリは、僕が転移魔術を応用して作った倉庫だ。三次元のサイズによらず物体をたくさん置いておける。ちょうど本のようなものだ。全てのページをつなげると非常に大きな二次元的サイズになるけれど、それを重ねて三次元的には手に持てるサイズに圧縮している。インベントリもそれとほぼ同じで、三次元物体を折りたたんでページとして収納している本のようなものだ。
わざわざページをつなげたサイズのトンネルを作る必要はない。本が通り抜けられれば十分なのだ。
つまり、転移魔術では三次元的なサイズをある程度無視、というか縮小して考えることができる。折りたたんで小さくできるという感じか。
だから、僕は転移魔術のトンネルの断面積を極小にし、僕自身を折りたたんで、トンネルに突っ込んだのだ。
折りたたんでも、ページにかかれた文字や絵が消えないのと同じで、肉体的な損傷はない。ただ、紙を何度も折ると損傷するように、短時間にあまり繰り返すと取り返しのつかないことになる。インベントリだって、初期は収納と取り出しを繰り返すと物体が壊れてしまうことがよくあった。今は壊れないよう、「丁寧に折りたたむ」ことを覚えたが、それはアーティファクトや消耗品の話だ。
生き物、まして僕自身を折りたたむのなんか、初めてだ。
名前をつけよう。転移魔術と区別したい。
折りたたむから、フォールド、フォールダブルかな。でも少し語感が気に入らない。レプリケートにも「折り返す」という意味があったはずだ。
レプリケート・テレポート……、いや、重畳転移にしよう。
ちょっとごちゃっとしてるけど。




