惨劇①
封卵をみて僕は、正直、足がすくんだ。というよりも、頭がフリーズした。直感した。それが割れない、中身が孵らない未来は訪れないと。僕が今、この瞬間にどれだけ急いでトアン卿や卵を攻撃しても無駄だ。卵を奪って、たとえばインベントリの中に放り込んだとしても、無駄なこと。
なぜなら、卵はすでに孵りかけていた。魔力がうごめいているからだ。
トアン卿は卵をシャルロット様めがけて投げようとした。
僕は、とっさに転移魔術で卵をどこか、会場の外へ飛ばそうとして、門を作った。それとほぼ同時に、どこかから飛んできたナイフが、トアン卿の腕を刺し貫いて、その手から卵をこぼれ落とさせた。卵は、転移魔術の門に入った。
「クリム・ホワイト!」
ベルさんの怒号が飛んできた。
「シャルロット様を――」
ベルさんの言葉は最後まで聞こえなかった。会場の天井のあたりが、突然崩落したからだ。ベルさんがいたあたりに、瓦礫が雪崩を打ったように落下した。
「ベル!?」
僕はシャルロット様のところへ転移して、叫んでいる彼女を抱えて、さらに転移魔術で会場の外へ脱出した。もちろん、卵を投棄したのとは正反対の方向だ。
転移魔術で飛んだ先は、川の真ん中だった。浅い川だった。ばしゃっと水がはねて、足首まで濡れた。
会場から、百メートルくらい離れた場所だと思う。
「ベルは!?」
「逃げてください、シャルロット様」
べきべきと音が聞こえた。石やガラスが砕け散るような音だ。振り返ると、巨大な魔物が会場を壊していた。
おそらく、僕が転移魔術で飛ばした卵が、転移中に孵って、こちら側に無理矢理出てきてしまったのだろう。シャルロット様から遠ざけることはできたが、それだけだ。僕たちが脱出している間に会場は壊されてしまった。
「ベルさんは、僕が探してきます」
「私も行くわ」
「ダメです。ここにいてください」
「ビスキュイも、いるのよね」
「ここにいてください」
「クリム」
シャルロット様は動きやすくするためか、ドレスを裂いた。
「私を連れて行きなさい。あれを始末するわよ。これは、命令」
シャルロット様は血の気の失せた白い顔でひきつった笑みをみせた。
「僕一人では、力不足だというわけですね?」
「そうよ。あなたは機転は利くけど、単純な強さはないでしょ」
「……」
シャルロット様をあの巨大な魔物に近づけるわけにはいかない。
仕方ない。これは緊急事態だ。
「……驚かないでくださいね」
「え?」
僕はインベントリから、仮面をとりだして、装着し、目隠しをむしり取った。
僕は、シャルロット様の前で、密猟者の姿を見せた。
『これなら、僕一人でも十分ではありませんか?』
「……」
『シャルロット様?』
シャルロット様はゆっくりと瞬きをした後、むっと顔をしかめた。そして、手を伸ばして、僕の額にデコピンした。
『いてっ!?』
「言いたいことは色々あるけど、今はこれで勘弁してあげる」
『なにもデコピンしなくても……』
「わかったわ。ベルの救助はあなたに任せる」
『はい』
「私はあれに魔術を撃って、引きつけるわ」
『いやそれは……。……いえ、やはりそれでいいです。助かります』
「早く行きなさい」
『はい』
僕は転移魔術を使って、会場の近くに戻った。
会場は見るも無残な有様だった。もはや建物は見る影もない。二階も三階もなくなって、ひとしくつぶれて平らになっている。野生の犬がゴミの山から残飯をあさるように、巨大な魔物は、その瓦礫の山を前足でかきわけ、鼻先を突っ込んでエサを探しては、噛んで、飲み込んでいた。
魔物は、魔力を取りこんで生きている動物だ。だから強力な魔物ほど、魔力の濃いダンジョンの奥深くに居座っている。そこから出ようとしない。外の世界は、彼らにとって魔力が薄すぎて、生きていくことができないからだ。
この巨大な魔物も同じ。これだけ強力でも、あと一時間かそこらもすれば、魔力不足で勝手に死ぬだろう。
ただし、それはこいつもわかっている。魔力に対する狂気的なまでの飢えを、こいつも感じているのだ。だから、魔力を摂取しようと必死にエサを探している。
比較的魔力を豊富に含んだエサ……つまり人間を、探しているのだ。
この巨大な魔物は、これから死ぬまでの小一時間、王都中を荒らしまわり、人を殺して回るだろう。殺して食べて、そして魔力不足で死ぬのだ。おびただしいほどの被害を出して……。
僕は、シャルロット様が助かるなら、それでもかまわないと思う。シャルロット様以外の人間がどれだけ死んでも、僕なら都合のいい理屈をならべて、どうにかこうにかすぐに元通りの精神状態に復帰できると思う。
しかし、シャルロット様は、そうじゃない。
彼女は、皇女としての責任感からか、見知らぬ人間であろうと、決して見捨てない。ベルさんのことはもちろん誰より大事にしているが、見ず知らずの他人であっても、助けを求めていれば、自らの命も顧みずに助けに行ってしまう。助けられなければ、自分のせいだと責めに責め抜き、苦しみ抜いてしまう。
もしも、ここで魔物が好き勝手したあげく自然死するようなことになったりすれば、シャルロット様は心を閉ざしてしまうだろう。とても、ハッピーエンドなど望めないほどの自責の念を抱えてしまう。
難儀なものだ。こんな突発的なラスボス強襲イベントでも、ハッピーエンドのためには逃げることも許されない。
まさに、「ラスボスからは逃げられない」というやつだ。




