本⑪
フロイの表情は短時間で、わずかだが様々に変化した。部屋は薄暗かったし、もともとフロイは表情が豊かな方ではないのでそこから感情を読み取るのは難しかった。しかし、最終的には負の感情が勝ったようだった。
「……これは、いったい、どういうことですか? なぜこれを私に?」
フロイの声には怒りがにじんでいた。
「邪教徒の私に、なぜ?」
「……」
「クリムさん」
「君に渡せと、言われたからだ」
僕は観念した。どう考えても「まともな嘘」が思いつかなかった。
「誰に?」
「わからない」
「わからない?」
「……確証はないけど、たぶん、フォルトゥーナだと思う」
がたっと音がしたので顔を上げると、フロイが少しよろけたらしかった。顔色が悪いように見えた。
「大丈夫?」
「敵対してる宗教の、実在の神が私のことを認識してるのに、大丈夫なわけがない」
「えーと……ごめん」
「……」
フロイはゆっくりとシンボルを手に取った。顔に近づけ、目を細めてじっくりと観察している。
僕は黙ってその様子を見ていた。ただし、耳は限界まですませていた。イニチェとユンの寝息が乱れやしないかと、気が気ではなかった。
「……ずいぶん古そう」
三分ほどして、フロイはそう言った。僕はうなずいた。
「そうだね。千年前のものらしい」
「馬鹿にしてる」
フロイはシンボルをながめたまま眉をひそめた。
「フロイのことを子供だと思ってる」
「いや、本当なんだけど……」
「どうしてそんな古いものを、渡すの? 似たようなものは、探せば売ってるでしょ?」
「それは僕も思った。ちょっと見てもいい?」
フロイは一瞬ためらったが、僕の手にシンボルを乗せた。
僕はシンボルをランプの灯りに近づけて、よく観察した。
「やっぱりだ」
「なに?」
フロイはシンボルを受けとって、同じように眺めた。
「なにがあるの?」
「継ぎ目だよ。よくみれば、ところどころに隙間がある」
「ホントだ。……これがなに?」
「たぶん、それにそってずらせば、形が変わると思う。パズルみたいに」
「ぱずる?」
「かしてくれる?」
「……いい。自分でやってみる」
「壊さないようにね」
僕はフロイが「パズル」に取り組んでいるのをながめながら、わざわざこれをあのダンジョンまで取りにいった理由を考えていた。
フロイの言うとおりだ。このシンボルが欲しいなら、教会に行けばいい。聖教会はもちろん入信者を拒まない。邪教徒であることさえ明かさなければ、容易く手に入れることができるだろう。
このシンボルはたぶん、寄木のからくり箱のようなものだろう。決まった手順通りに動かせば、形を変えられる。このような技術はすでにかなり古くなって少なくなっている。なくなったわけではないが、作品は少ないし、まして作れる人はもっと少ない。わざわざシンボルをこの形式で作る意味はない。
すでに聖教会が普及しきった現代では。
千年前はまだそうじゃなかった。この世界にはまだ別の宗教があって、聖教会は新参の宗教だった。当時の支配者はその別の宗教にご執心で、聖教会を弾圧していた。
この特別なシンボルはその時のものだろう。
聖教会のシンボルを所持しているだけで罪に問われるような時代の品物だ。ただ、今は隠すべき相手は社会ではなく、一番身近な仲間だというところが、異なる点だろう……。
「君は……そのシンボルに惹かれているの?」
「……」
フロイはしばらく黙って僕の顔を見つめた後、こくりとうなずいた。
「理由を聞いても?」
「ずっと本を読んでた……。外の世界の本を。それで、シーザー教と何が違うのかを考えてた。私が思うに……私たちは、お互いに誤解していると思う」
「誤解?」
「うん。こっちは彼らの信じる運命というものを誤解していて、むこうは私たちの信じる自由を誤解している。それだけだと思う」
「それだけなのかな」
「もちろん違う。単純に相手をつぶそうとしてる奴もいると思う。偉い所にいる奴はそう。でも、根本的なところ……大半の人たちはそういう誤解がある。問題はそっち」
「その誤解を利用されていると?」
「そう」
聖教会はフォルトゥーナを信仰している。フォルトゥーナはかつて実在したとされている「人物」だ。実際のところ、最初から人間だったのかどうかはもはやわからないのだと思う。その正体や出自について記された教典はあるが、記述はあいまいで、そのせいでいくつもの分派が生まれた。解釈の違でできた派閥だ。最初は人間で自力で神に到達したとか、他の神に認められて神になったとか、最初から神だったとか。過激なところでは、フォルトゥーナはただの人間で、この世界は彼女の夢の中に過ぎない、などというものまである。一番主流なのは、「最初から神だった」派だ。この国で一番影響力のある派閥でもある。
話が逸れたが、聖教会は「運命」も信じている。フォルトゥーナがそれを説いているからだ。細かい内容までは比べていないが、おおよそは前世の世界の運命と同じ意味だ。人生や世界の成り行きは定められているとか、そういう話だった。
一方で邪教、もといシーザー教が信仰しているのは「自由」だ。神は信仰していない。「フォルトゥーナはいなかった」と信じているわけではない。「いるのはわかっている」が、「神ではない」とか「崇める対象ではない」とかそういう感じだ。極めて個人的な見解だが、「運命などというもので人間の自由を束縛しようとするな」みたいな反抗心とか束縛を嫌う精神が根底にあるのではないかと思う。個人的な見解になってしまうのは、僕が接してきた邪教徒の数が極端に少ないからだ。というか、地下牢の番人がこうだった。
イニチェたちとはあまり信仰に関する話はしていない。僕もそんな話は振らないし、イニチェたちも振ってきたことはなかった。なんとなく揉めそうな気がしたからだ。
運命と自由。単純に考えるとたしかに相反する考え方のような気もする。運命を信じれば人間の意志なんてないかのように思えてしまうし、自由を信じれば運命のような壮大なものとの繋がりを失ってしまうようにも思える。
おそらく特にショックが大きいのは、運命を否定される方だろう。なんとなくだけど、運命を信じている人は、運命という「大きな流れ」に従っていれば間違いはないといったような考えを持っているのではないかと思う。
運命を信じて生きていれば「間違える」ことはない……。
僕は前世では完全な無宗教だった。自分が死ぬまで、神様なんてこれっぽっちも信じちゃいなかった。転生するときに実際にあった今だって、別に「信じて」いない。いることを知っているだけだ。あいつについて考えることはあっても、祈ったことは一度もない。外国にいる友達、というのが一番適切な表現だと思う。
少し脱線した。
だから、運命や神様を強く信じている人をみると、そんな風に「間違えたくない」人なのではないかと、僕なんかは思ってしまう。聖教会がシーザー教を「邪教」として排斥するのは、そんな精神的な基盤である「運命」を否定されるという、いわば「恐怖」への反抗心なのではないか、と想像している。
「私は、運命にしても自由にしても、同じことを言いたいだけだと思う」
「え?」
「これは、私の解釈だけど……全然正しいかどうか、わからないけど……。誰にも話したこともないけど……」
「大丈夫だから話して」
「……ちょっと待って、考えをまとめるから」
フロイはそう言ってしばらく黙った。けれども、手は動かしている。歯車のシンボルをカタカタと動かしながら、考えているようだった。
僕はフロイが一定のリズムでシンボルを折りたたんだり展開する様子をみつめていた。
やがて、フロイは口を開いた。
「……王都から、南のアチチまで行こうとしたら、どうやって行く?」
アチチというのは、王都からずっと南にある都のことだ。
「え? どういうこと?」
「大ざっぱには、陸路か、海路がある」
フロイは僕の戸惑いを無視して続けた。
「陸路だって、経由するルートは一つじゃない。いくつもある。立ち寄る町や村は選び放題」
「うん」
「同じ道をあるいたって、どこをどう歩くかはその人次第」
「なるほど、なんとなく、わかってきた。運命もそうだっていいたいんだね?」
「そう。運命がどの程度まで決められたものかはわからない。陸路と決まっているだけか。立ち寄るポイントが決まっているのか。おおまかなルートが決まっているのか。このルートだと一本に決められているのか。それは、わからなかった。聖教会は、運命を信じてるくせに、そのへんの定義はバラバラしてる」
「ルート一本でも自由と共存できるの?」
「できると思う。そもそもフォルトゥーナが重視しているのは、ルートが決められているかどうかじゃない。決められたルートが困難でも、できるかぎり精一杯進もう、っていうことをフォルトゥーナは言っている」
「へえー……。思ったよりもまっとうなことを言って――」
「……と思う」
「ん? ああ、そう……。じゃあ、言ってるかも、か」
「シーザー教だって、同じ。運命という言葉に反発して「人間は自由に生きられる」っていう教えを作ったんだけど、それは野放図に生きることを良しとするっていう意味じゃない。こっちの結論はまだ理解できてないけど、たぶんフォルトゥーナと同じ結論になってると思う。視点が違うだけで」
「あ、じゃあ……」
「うん。フロイは別にシーザー教が嫌になったわけじゃない。聖教会もいい、と思ってるだけ」
「そっか。安心したよ」
「これ、ありがとう」
フロイは元の歯車太陽型から打って変わってただの立方体になったシンボルを揺らした。
「大事にする。あと、話を聞いてくれて、ありがとう。ずっと誰かに聞いて欲しかったから、スッキリした」
「それはよかった」
僕はフロイの差し出す手を握り返した。
「僕も話せて楽しかったよ、フロイ」




