本⑩
それからものの十分もしないうちに、イニチェは眠りに落ちた。キッチンでどれだけ飲んだのかわからないが、ワインのボトルの減り具合をみるに、せいぜいグラス二杯弱のはずだ。
……この家に、ワインは置かない方がいいのではないだろうか?
僕はランプの灯りを弱めて、寝室をのぞいた。別に今のうちにフロイにシンボルを渡そう、などと考えてはいない。イニチェをベッドに放り込むためだった。
しかし、
「……クリム、さん?」
すぐ目の前にパジャマ姿のフロイが立っていた。眠そうな目を大きく開いている。
「あなたが、なんでここにいるの? 夢?」
「夢じゃないよ。外でイニチェと会ったんだ」
「イニチェ様は?」
「あっち」
フロイはイニチェがいびきをかいて寝ているのをみると、顔をしかめた。
「……お酒、飲んだの?」
「僕は飲んでないよ」
「はあ……」
「ベッドはどこ? 運びたいんだけど」
「そのままでいいです」
フロイは冷たく言った。
「お腹でも冷やせば懲りるでしょ」
僕は苦笑して、ふと気づいた。
今、この部屋の中で起きているのは、僕とフロイだけだ。
秘密のプレゼントには絶好のチャンスだ。
「フロイ、ちょっと話が――」
言いかけたとき、イニチェのひときわ大きないびきが響いた。
「……」
「あの、話って、なんですか?」
「うん、ごめん、ちょっと待ってて」
僕はイニチェを抱きかかえると、隣の部屋のベッドに彼を放り込んだ。
「これでよし」
「甘いですね。ベッドに投げるなんて」
「君ならどうしたの?」
「床に落とします」
それはなかなかアグレッシブだな、と思った。
「なにか飲む?」
「ホットミルクが飲みたいです」
「わかった」
僕がミルクを温めている間に、フロイは部屋の外にお手洗いをすませにいった。僕がホットミルクをテーブルに置いたあたりで彼女は戻ってきた。
「お待たせ、しました」
「ううん。まあ、飲んで」
フロイは正面にすわり、おそるおそるカップを手に取って一口飲んだ。
「熱い?」
「ちょっとぬるい」
「そう……。実は渡したいものがあるんだ」
「渡したい、もの?」
「うん」
僕は意を決して皮袋をとりだしたが、少し躊躇した。
「……」
「どうかしましたか、クリムさん?」
「ごめんね、もしかしたら君は怒るかもしれない」
「え?」
僕は袋をひらいて、中身をテーブルの上に置いた。
それはシンボルだった。太陽、または車輪をかたどった木製の小さなアクセサリーだ。
それは宗教的なシンボルだった。フロイの信奉する邪教……いや、シーザー教のシンボル……ではない。フォルトゥーナ神を崇める聖教会のシンボルだ。
つまり、敵対宗教のシンボルだった。
フロイは目を丸くした。どうやら眠気は吹き飛んでしまったようだった。




