本⑥
一時間ほど落下した。
解決策は考え続けたが、何も思いつかなかったので為すがまま、落ち続けている。ここまで広大な空間となるともはや異なる世界なのではないかと思える。だが、転移したのなら、ほとんどノータイムでここに飛ばされていたから、物理的な距離は大して離れていないはずだ。
まさか、メッセージの送り主の狙いはこれだったのか? 無限に広がるなにも無いダンジョンに僕を誘い込んで、抹殺するつもりだった?
……その可能性は考えたくないな。希望がなさ過ぎる。
とにかく、地面を探そう。どこかに必ずあるはずだ。どこかに……。
『こんにちは』
不意に、耳元で声がした。
「ぎゃあああ!?」
『そんなに驚かなくても……』
声はややしょんぼりして聞こえた。しかし、声のする方を見ても、なにも無い。暗いのだから当然だと思ったが、照らしても何も無かった。
……幻聴か?
『幻聴では、ありませんよ?』
「心の声でも読めるんですか? それとも、単に幻聴なんですか?」
『心は読めません。幻聴でも、ないです』
声は不思議な感じがした。周囲に物体がないにもかかわらず、エコーがかかっているようにあちこちから聞こえてくるようだった。最初は耳元から聞こえたが、音源が複数になって僕の周囲をふわふわと旋回しているようだ。なんだそりゃ。
「じゃあ、なんなんですか? 幻聴が一番しっくりくるんですが」
『私は、幽霊です』
「なんだ、幽霊か」
『……自分で言うのもなんですが、そのリアクションはおかしい』
「僕の住んでいた家、幽霊屋敷って呼ばれてたんですよ。幽霊の一人や二人、いまさらです」
『へえ、では幽霊に会うのは初めてではないと?』
「……そういえば、初めてです」
『怖くないのですか?』
「……怖くなってきました。怖いです」
『そうですか、そうですか』
心なしか音源が上下している気がした。うなずいているのか?
『やはり一度くらい誰かを怖がらせないと。いやあ、幽霊冥利に尽きますね』
「勝手に尽きないでください」
『いやあ、失敬』
幽霊は「あはは」と軽く笑った。
『なんせ、千年も待っていて、初めてのお客さんですからね。はしゃぎたくもなる』
「初めて? ここは廃棄されてから百年も経っていないはずでは?」
『こんな殺風景なところ、誰も来やしませんよ』
幽霊が呆れたように言った。そりゃそうだ。でも、この闇しかない場所を「殺風景」と表現するのは違うと思う。
『そもそも、入りたくても入れませんし。この場所は資格を持つ者にしか来ることができないんです』
「……?」
僕は首をひねった。
「どういう意味ですか?」
『鍵を持っていない者が、あの門をくぐっても何も起こりません。ただの飾りにしか見えない。大半の者が、そうでしょう』
「その、鍵を持っていたら……」
『ここに来ます。あなたは鍵を持っているのです』
「心当たりがないです」
『本当に?』
そう言われて、はっとした。あの本か。
「鍵とは、本のことですか?」
『鍵の見た目を、私は知りません。それを出せますか?』
「はい」
僕はインベントリの中から本を取り出した。うっかり落としそうで、おもわず手が震えた。
『なるほど』
幽霊が満足げにうなる声がきこえた。
『それが鍵で間違いありません』
「そうですか。この本の主を知っていますか?」
『著者のことですか?』
「まあ、そうです」
『知りません。見たところ、この本はあなたよりずっと古いが、せいぜい作られてから二百年といったところでしょう。おそらくもっと若い』
幽霊のいう「古い」「若い」という表現が気になったが、口は挟まなかった。千年前なら一般的な言い回しだったのかもしれない。
『千年前の時点で、私にこの場所の管理を頼んだ人物とは別でしょう』
「それは誰ですか?」
『巫女です。今もいると思います』
「いますね」
『厳密には、巫女ではなく、天使またはさらに上位の存在でしょうね』
「真意は知っていますか?」
『いいえ』
「この場所は何なんですか?」
『港のようなものです』
「港?」
『すぐにわかりますよ。それより私も聞きたいことがあるのです。王国はまだありますか?』
「王国?」
幽霊は僕たちの国の名前を告げた。
『まだありますか?』
「あります。ここはまだその国ですし、僕も国民の一人です」
『そうですか。よかった』
「なにか縁でもあるのですか?」
『私の弟が作った国です』
「えっ」
『弟とは生前、色々あって疎遠になっていたのですが、弟の作った国がまだ続いていてなによりです。どうなったのか気になっていたのですが、これで心置きなく消えることができます』
「消える?」
『千年もこの暗闇の中にひとりぼっちでいると、それなりに退屈を感じるのですよ』
「はあ……」
それは果たして「それなり」というレベルでおさまる退屈なのだろうか?
『おっと。そろそろ時間ですね』
「時間? なにかまずいんですか?」
『あと二十メートル左へ移動できますか?』
幽霊は僕の問いを無視して言った。
『ええと、十三秒以内に』
「もっと早く言っておいてくれませんか!?」
僕は必死で風の魔法をだして、移動した。
『おお、すごいすごい。まさかできるとは』
「おちょくってますか!?」
僕は息を切らしながら言った。
『いえいえ、まさか』
「それで、次はどうすれば?」
『動かないで』
「え?」
『動かず、じっとしていてください』
直後、足が地面に触れた。着地はもっと乱暴なものになると思っていたが、綿毛の海に着陸したようにソフトなものだった。
『はい。地面を用意しました。進んでください』
「どっちへ?」
『思う方角でけっこうです』
恐る恐る足を踏み出すと、たしかに地面があった。ゆっくりと歩いた。
「どこまで行くんですか?」
『しばらく』
「これは意味のある行為なんですか?」
『その問いよりは、ありますよ』
「さっき、この場所は港のようなものだって言ってましたけど、どういう意味ですか?」
『いい質問ですね。タイミングがいい』
「え?」
『止まって。そう。両手を出してください』
「こう?」
僕は水をくむように手を出した。
『そうです。どうぞ……』
闇の中から、白い手が伸びてきて、心底ぎょっとした。
その手は、僕の手の上に古びた小さな袋を乗せた。
「び、びっくりした……」
『そちらをお持ち帰りください。……まだ開けてはなりません!』
幽霊の鋭い声で、僕はあやうく袋を取り落とすところだった。
「もう! 何度もおどかさないでください!」
『説明しないうちに開けようとするからです』
幽霊はしれっと言った。
『……さっき、港とはどういう意味か、聞きましたね』
「え? ええ、はい」
『港とは、船の停泊所です。そこでは荷の上げ下ろしが行われる。私は、あなたが必要としているものを渡しました。あなたも、私が必要とするものを渡してください』
「そんなもの、持っていますか?」
『その腕輪をもらえませんか?』
白い手は僕の左手にはまった腕輪を指さした。どうやら、ショコラがくれた腕輪のことを言っているらしかった。
「これ、ですか……」
『なにか不都合でも?』
「人にもらったものなので。いや、借りたもの、なのかな」
『事情を説明すればいい』
「なにをどう説明するんですか。それに彼女は怖いんですよ」
『女性はそういうものです』
「……それもそうか」
僕は腕輪を外して、幽霊の手に乗せた。幽霊は腕輪を大事そうに握りしめ、闇の中に引っこんでいった。
「なぜこの腕輪なんですか?」
『これは私が弟に渡したものです』
「え、でも、じゃあ千年以上前のものなんじゃ……」
『アーティファクトなら、不自然じゃないでしょう?』
幽霊は笑った。
『腕輪をありがとう。健闘を祈ります、どこかの世界の旅人さん』




