薔薇の肖像⑤
トアン卿がいるというレストランの前で馬車を下りた。かなり治安のよさそうな通りだった。通行人は着飾った貴族ばかりだ。その全身の衣服やアクセサリーの値段の総額は、地方の平民が生涯で稼ぐ金額の数十倍に相当……しても不思議はないなと思った。
レストランの手前でショコラは僕を振りかえった。
「忘れていました」
ショコラは腕輪を手渡してきた。
「これをつけなさい」
「なんですか?」
「……」
彼女は、僕が腕輪をつけたのをみると、僕の目隠しを無言でむしり取った。
「ちょっと!?」
「ちゃんと消えてますね」
「え?」
彼女の言うとおりだった。呪いが消え、視界がクリアになっていた。僕の沈黙の仮面と同じ効果か。待てよ、じゃあ……。
「この腕輪、呪いの相殺以外にどんな効果があるんですか?」
「知りません」
「えー……」
「勝手に外さないように。あと、貴重なものなので、絶対に失くさないように」
「ええー……」
「ほら、入りますよ。近くの席で会話を盗み聞きしましょう」
僕は腕輪を外すのをあきらめた。
「もう誰かがいるのではないのですか?」
「……」
どうやらさっきの言葉は提案ではなく、命令の類だったらしい。ショコラは僕のことなどまるで無視して、レストランに入っていった。僕はあわてて彼女のあとから店に入った。
すぐにウェイターがやってきて、席に案内しようとした。
しかし、ショコラは彼を無視して、店を一望すると無言で歩き出した。僕は、無言で微笑むウェイターに少し頭を下げながら、ショコラについて行った。
店の奥の席についた。テーブルには、前の客のものと思われる皿がまだ残っていたが、ウェイターたちがそそくさとやってきて、あっという間に持ち去った。
「ご主人様」
ショコラは自分を指さして、小声で言った。次に僕を指さす。
「下僕」
「執事、でいいですよね?」
「……」
彼女は無言で扇を音を立てて広げ、自らをあおいだ。横柄な視線で店内をじろじろとながめる。こちらをちらちら見ていた他の客たちは慌てて目をそらした。ちょっと目立ってはいるが、まあ、貴族にもこういう人はそれなりにいる。こういう場合、意外といいカモフラージュになるのかもしれない。
しばらくすると、耳が慣れて、金属と陶器の音があちこちから聞こえるようになった。
と、男の低い声が聞こえてきた。
「まったく、遅いな。ミント伯はまだか?」
「道が混んでいるのでしょうか」
「食べ終わってしまうぞ」
どうやらショコラの背後の席の会話らしい。ついたてで見えないが、ショコラがここに座ったということは向こうにいるのがトアン卿なのだろう。もっとも、見えたとしても顔を知らないので、僕にはどのみちわからないが。
「使いをやって、様子を見てきましょうか」
「ああ」
トアン卿はぶっきらぼうに言った。
「ついでに、伯を見つけたら、急ぐように言ってこい」
「承知いたしました」
執事らしき人物はほとんど九十度近く腰を折り曲げて、席を外した。初老の男性だ。彼は店の外まで行くと、しばらくして戻ってきた。それとほぼ同時に、僕たちの席に注文を聞きにウェイターがやってきた。食べたい料理があったのだが、僕が何か言う前にショコラが注文を済ませてしまった。一応、僕の分も頼んでくれたのだが、もちろん食べたい料理ではない。
「どうも、表の通りで馬車の事故があったようですね。それで遅れているのでしょう」
「事故?」
「十字路でぶつかったようです」
「馬鹿どもが……」
トアン卿はとっくに食事を終えたらしく、イライラした様子で黙って席に座っていた。貧乏ゆすりでもしているのか、カタカタと小さな音が聞こえてくる。
僕たちの席へ料理が運ばれてきた。その料理を半分程食べ終えたところで、小太りの男がトアン卿の席へついた。
「いやあ、遅れて申し訳ない、トアン卿」
「遅いですな、ミント伯」
「申し訳ない」
ミント伯は汗をハンカチでぬぐいながら言った。
「馬車の事故があったようでして……」
「知っています」
「あの、それで、トアン伯は……」
「父は知りません」
「まだ、言っていただけていないのですか?」
「ええ」
「約束が違うではありませんか」
何の話だろうか。全く見当もつかないが、後ろ暗い話をしているのは間違いない。ミント伯は慌てふためき、非難するような口調にもかかわらず、声を落としているからだ。
聞きとれているのは、魔術で音をひろっているからだ。
ショコラが会話を聞いているかどうか、その表情からはわからなかった。
「約束を破った、というなら、伯も遅刻をされた」
「それは……私のせいではない。そもそも、話のレベルが違うでしょう」
「まあ、そうですね」
「そうですねって、トアン卿……」
「まだわからないのですか、ミント伯」
「なにが?」
ミント伯の声色がいよいよ怒気を増してきた。
「そうしてもったいぶっていれば、父上のようになれるとでも?」
「父上に、あなたのことをどう伝えるかは、俺の心次第だとご理解いただけていないのか?」
「っ……」
ミント伯は息を飲み、数秒後、押し殺した声でトアン卿を責め立てた。
「脅すつもりですか! しかし、私にも、トアン卿、あなたを追い詰める材料の一つや二つ……」
「それはもう処分しました」
「それ、って、え……?」
「あなたが証人にしようとしている人間は、すでにないのですよ」
「ない……?」
「ええ。ないのです」
「殺した……と?」
トアン卿は答えなかった。なにやら物音がした。どうやら執事がなにかを取り出して、テーブルに置いたようだった。それを一目見て、ミント伯は息をのんだ……ようだった。
そして隣のテーブルからは、取り乱したミント伯の荒い息遣いだけが聞こえてきた。
「どうかな、ミント伯」
トアン卿が言った。
「ご自分の立場がわかってもらえただろうか」
「……わ、私にどうしろと」
「変わりません。これまで通り、私の指示通りになさってください」
「お父上への口添えは……」
「ミント伯」
トアン卿の言葉で、ミント伯は息を飲んだ。
「これまで通り、です」
「……わかりました」
ミント伯は席を立った。彼の注文を聞きに来たウェイターが呼び止めるのも聞かず……というより目に入っていない様子で、店を後にした。横顔がちらっと見えたが、毒でも丸のみにしたかのように真っ青な表情だった。
しばらくして、トアン卿も席を立った。彼が店から出て、僕は思わずため息をついた。
「主人の前でため息など、行儀が悪いわよ」
「まだ演技する意味、あります?」
「ふん……」
ショコラは扇を閉じると、懐にしまった。
「会話は聞きとりましたか?」
「ええ、まあ」
「証明できますか?」
「トアン卿は人殺しをやるような男なんですか?」
ショコラはちょっと面食らったような表情を見せた。
「驚きました……。口先だけかと思っていましたが、やりますね。及第点をあげましょう」
「合格点の間違いでは?」
「では、あの会話の意味は? わかりましたか?」
「そうですね。予想でしかありませんが……。ミント伯はトアン卿に依頼された仕事をしたのでしょう。おそらくは合法的なものではありません。どちらから言い出したことかはわかりませんが、ともかくミント伯はトアン伯とのつながりが欲しかった。父親の方ですね。トアン卿がその橋渡しになってくれると期待した。仕事も長く続けるつもりはなかった。おそらく一度きりのつもりだったのでしょう。
しかし、トアン卿はもっとずっとどうしようもなく、悪人だった。彼には最初から、父親に口添えするつもりなんか無くて、ミント伯を利用することしか考えていなかった
……。こんなところでしょうか。裏付けも何もありませんが」
「……」
今度は、ほとんど表情に変化を見せなかった。声が聞こえなかったのか、と疑うほど何のリアクションもない。ただ無表情のまま、僕の顔をじっと見つめている。
「あの……聞こえていますか?」
「聞こえています」
「なにか、間違っていましたか?」
「……」
「あのぅ……?」
「間違っていません」
「え? だったら……」
「ちょっと、正し過ぎて、キモいな、と思っていました」
「え?」
「まるで殿下のようです。私の頭の中をのぞく魔術など、使っていませんよね?」
「それって、殿下のこともキモいって言ってます?」
「今の発言、報告しますよ?」
「理不尽です」
「さっきも言いましたが、あなたの推測は当たっていると思います。トアン卿とミント伯につながりがあるらしいことはわかっていましたが、どうしてミント伯が片棒を担いでいるのかはわかっていませんでした。あなたの言ったとおりの状況なのでしょう」
「ミント伯は何の仕事をしているのですか?」
「魔剣の密造です」




