薔薇の肖像③
僕はビスキュイ殿下の仮執事となり、トアン卿の調査を手伝うことになった。
もうあの暗い地下牢に戻らなくてもよくなったのだ。
「ここはどこなんですか?」
地下牢とは反対側への廊下を歩きながら、聞いた。
「王都の中ですか?」
「……」
しかし、誰も答えない。ビスキュイ殿下は黙々と杖を突いて歩いているし、ショコラは一度振り返ってから、顔をそむけて、明確に無視した。
しかし、それくらいのことはベルさんで慣れっこである。
「ここはどこなんですか?」
「……ショコラ、答えてやれ。このままだと上に戻るまで、言い続けるぞ、こいつは」
「わかりました」
ショコラは殿下に一礼すると、一瞬振りかえった。
「王都の中です」
「どのあたりですか?」
「……」
そんな調子で廊下を数分かけて進むと、上へ向かう階段があった。階段は十段程度で途切れている。天井が鉄の扉でふさがっているからだ。
殿下は階段の手前で立ち止まった。ショコラがなにやら壁に向かって手を伸ばしている。よく見れば、壁に小さな扉があって、それを開いてなにやら操作していた。なんだろう、と思ったが、その後すぐに頭上の扉がゆっくりと開く音がした。
なるほど扉の操作盤か、と思ったが、出てみれば扉を開いていたのは使用人だった。操作していたのは、どうやらただの呼び鈴かなにかだったらしい。
ビスキュイ殿下は「来い」と言って、歩き出した。僕とショコラはついていった。扉を開けた男は、頭を下げるだけでついてこなかった。彼は門番のようなものなのだろうか。
壁にみせかけた回転扉を通った。
どうやら地下へと続く扉のある部屋は、隠し部屋に相当するらしい。
立派な建物だった。明らかに貴族以上の、それもかなり格式の高い家の屋敷だった。長い廊下に敷かれた絨毯、壁にかけられた絵画、何気なく置かれた壺や花瓶からそれがわかった。
玄関ロビーへ案内された。
正面階段の前で、殿下は立ち止まった。ゆっくりと振りかえって微笑む。
「ここがどこかわかったか?」
「はい。わかりました」
僕は階段を見上げた。
階段の上には一枚の絵がかかっていた。三人の人物が描かれた絵だ。理知的な笑みを浮かべた男性が中心に立っていて、その両脇に子供が立っている。右手には赤いドレスを着た少女、左手には黒いスーツを着た少年がいた。
ブラズ殿下、シャルロット様、ビスキュイ殿下の絵だった。
全員が微笑みをうかべている。しかし、どうも全体的に寒々しい印象を与える絵だ、と感じた。
「ここはローズロール家のお屋敷なんですね」
「ああ、そうだ」
ビスキュイ殿下は、ショコラの手を借りて階段に腰掛けた。
「あの絵、どう思う?」
「いい絵ですね」
僕は嘘をついた。殿下は鼻で笑った。
「見る目がないな。それとも、フリか?」
「え?」
「ま、仕方ないか。お前、辺境の出だっけ? 父親は絵が好きらしいけど、流行りの作品ばかり集めてるそうじゃないか。見る目がないのも仕方ない」
僕はちょっと驚いた。僕のことだけではなく、まさか父上のことまで調べていたとは。
「よくご存じですね」
「あの絵、誰が描いたかわかるか?」
「さあ……。絵はいくつか見ましたが、目利きはさっぱりで……」
「父上だよ」
「えっ?」
心底驚いた。ブラズ殿下に絵の才能があったこともそうだが、こんな一家団欒めいた絵を描いていた、という事実に驚いた。
「意外ですね」
「なにが?」
殿下はまた煙管をふかしている。
「ブラズ殿下が絵を描かれることです。そんな方だとは思いませんでした」
「誰に対しても高圧的だからな。こんな繊細な絵が描けるなんて、思えない」
「……」
「そもそも、こんな家族の絵を描くような人にみえない。こんな穏やかな時間を過ごした覚えも無いしな……。なぜこんな絵を描いたのか。それにしても……」
殿下は振り返って絵をながめた。
「あの絵を見ていると、なんだか寒気がする。お前はどうだ?」
「……」
「おいおい、さっきから黙って、なんだ? ショコラだって、もう少し喋るぞ」
「僕も、寒々しい絵だと思います」
「そうか」
「たぶん、色使いの問題でしょうね。寒色系が多いせいかと……」
「父上はそこまで計算して描いたと思うか?」
「……」
「つまり、家族の絵を描いたらたまたまこうなったのか、それとも、そんな印象を与えるよう意図して描いたのか」
「……」
「だんまりは、無しだ」
「その判断をするには、僕は、ブラズ殿下のことを知らなさすぎます」
「知っている。別にお前の意見が正しいなんて思っていない。いいから、答えろ」
「同じことだと、思います」
「はあ?」
「つまり……意図していないといっても、寒色を使うということはそういうバランスが完成図に組み込まれていたのでは、と……」
「……」
ビスキュイ殿下は、黙って僕の顔を見つめた。
「あの、殿下?」
「いい答えだ。……だが、少し違うな。私が聞きたかったことは、そうじゃない」
「え? ですが……」
「ああ。お前は私の問いに答えたとは思う。違うのは、問いの方だ」
「それは、どういう……」
「部屋で休む」
いきなり、殿下は言った。素早く近づいたショコラから杖を奪うようにして立ち上がり、足早に歩き去った。
殿下が廊下を進んで視界から消えると、僕はどうしていいのかわからなくて、階段の上にかかっている絵をもう一度みた。
やはり、冷たい絵だと思った。




