火都のある日常の話⑧
面白くないと思った。
理由はない。
なんとなく、面白くない。そう思ったのだ。
「……」
「シャルロット様? どうかしましたか?」
「なにが」
「浮かないご様子ですが……」
「そうかしら」
そうだろうな、とは自分でもわかっていた。たぶん、いつもよりも笑顔が少ないはずだ。なんだか笑顔を作る気が起きない。
「のぼせたのかしらね」
「大丈夫ですか? お戻りになられた方が……」
「……」
「どうしました?」
「いいえ」
戻るといったら、クリムはついてくるのかしら?
そんな疑問が脳裏をよぎった。
気づいて、あわてて消した。
口にしなかった。
気づかなかったことにした。
……なるほど。私はどうやら嫉妬めいた感情を抱いたらしい。私は少し笑った。
そうか。クリムがキャルと二人で温泉にいって、マッサージまですることになって、それが気に入らなかったんだ。
そう。気に入らなかった……。
いつもは私のことを気にかけているクリムが、いまだに月に一度アワを吹いて倒れるクリムが、私を置いて私以外の女性と出かけることにしたのが、気に入らなかったのだ。
スクエラちゃんはいい。
彼女はクリムの元婚約者だというし、どちらかといえば、私は彼女を応援している。一度、号泣している彼女を見たことがある。そう、クリムと初めてあった日だ。だから、二人の仲の良さはよくわかっている。
割りこむつもりなんか、毛頭ない。
スクエラちゃんから執事としてクリムを取ってしまって申し訳ないとさえ、思っているのだ。
クリムは優秀だし、ぜひともこのまま執事を続けてほしいと思っている。だが、それと同じくらい腹を立ててもいる。
なぜあんなにも彼女に対して、素っ気ない態度を取れるのか……。
それを考えると、時折夜も眠れなくなる。
もちろん口にこそしないし、表情にも出しはしない。
しかし、煮え切らない怒りのようなものがかすかにだが、たしかにあるのだ。
なのに。
なのに、だ。
スクエラちゃんが我慢してるのに。
私がなにも言わないようにこらえているのに。
クリムは、スクエラちゃんをおいて、キャルと一緒に温泉に行く?
しかも、マッサージですって?
……。
冗談もいい加減にしなさい……。
思い返してみれば、今回の自分の行動は最初から、そういう怒りが元にあったように思える。最初から、キャルのためなんかじゃなくって、スクエラちゃんのために……。
不公平だと思って……。
……。
本当にそうだろうか。
そんな純粋にスクエラちゃんのためだなんて、思っていただろうか。
だったら、普通にクリムを止めて、説教するべきじゃなかったのか。
私は今まで、クリムを叱ったことはない。彼は仕事の面では優秀だったから。ベルはクリムを時々叱っていたけれど、半分くらいは的外れなことを言っている。
おそらく、追い抜かれる心配のせいで、先輩としての威厳を保とうとしてのことではないかと思う。ベルは本当にかわいい……じゃない。そんな話じゃない。
私は、もっとちゃんとスクエラちゃんのことを考えなさい、と叱るべきなのだろう。
おそらくは。
おそらくは……、それが正しい、はずだ。
「シャルロット様?」
振り返ると、クリムが心配そうに私をみていた。
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
私は目をそらした。
確信した。私はクリムのことで上手に怒ることができない。
私は……クリムに嫌われることを恐れている。
私は無言で横になった。
もうなんだか疲れた。悩むのが嫌になった。
ただもう、キャルより先にマッサージを受けるくらいしか思いつかない。その程度の、嫌がらせじみたことしかできないし、したくなかった。
これ以上、何も考えたくない。
これ以上、自分の思考が不純であることに気づきたくなかった。
私はきれい好きなのだ。
「私が先ね」
そういって、キャルをにらむと、彼女は肩をすくめた。
「いいわよ。ご主人様」
「クリム、お願い」
「仰せのままに」
クリムは大仰にお辞儀をした。
***
僕にマッサージするようにいって、シャルロット様は横になった。普段は肩をマッサージするだけだが、今回は珍しく全身のマッサージだ。そうか、いつもはベル嬢に止められるのだが、今日は彼女がいないのか。ベル嬢の注文にこたえて研鑽をつんだ全身マッサージが、ついにシャルロット様に披露できるのだ。感無量である。
うつぶせになっているシャルロット様の身体をはさむようにして、膝で立つ。
なんだか、もうすでに……。なんだろう、ちょっと変な気分だ。【冷静】をかけているけれど、どうも頭がぼうっとする。
大丈夫だ。マッサージはいつもやっている。
今日だって、やれる。やれる。大丈夫。
よし……。
僕はシャルロット様の背中に指を下ろした……。
***
「んはぁっ……!」
私はあわてて口を閉じた。
考え事をしていたので、クリムのマッサージが始まっていたことに気づかなかった。
だから、日々の疲労をホイップクリームをすくいとるようなマッサージの快感が一気に押し寄せて、気づけば声を出してしまっていた。
恥ずかしい。淑女としてあるまじき声を出してしまった。耳が熱い。赤くなっているに違いない。
……クリムは驚いただろうか。驚いただろう。その証拠に、さっきから手が止まっている。
申し訳ないことをした。怒っているだろうか……。
「ごめんなさい、クリム。気にせず、続けて……」
「……」
返事がない。
「クリム?」
振りむくと、クリムの上体は人形のようにそのまま倒れた。
すこし、肝が冷えた。
「えっ?」
「ええっ!?」
キャルも飛び上がるほど驚いていた。
あわててクリムを抱えて起こすと、口からアワをふいていた。
私はゆっくりとクリムの頭を横たえた。
「ど、どうしたの、執事さんは、ぶ、ぶぶぶぶぶ……」
キャルが口ごもって、震動していた。
私は白目をむいているクリムのまぶたを閉じた。
「無事よ」
「で、でも、アワ吹いてるけど……」
「珍しくないわ」
「そ、そうなの?」
「放っておいていいってクリムが言ってたの。ちょっと興奮しすぎて気絶してるだけだからって。あれ? ベルが言ってたんだっけ。まあ、どっちでもいいわ」
「そ、そう。大丈夫なんだ……」
キャルはゆっくりと座り直し、天使を手に乗せてなで始めた。天使もキャルと同じように驚いていたのだろうか。
「ところで……、私のマッサージは?」
「そりゃあ……」
クリムに目をやった。その顔色から、今回の気絶がどれくらいの重さなのか予想した。
私は肩をすくめた。
「また次回ね」
私がにやりと笑うと、キャルは「そんなあ~」といって、クリムと同じようにその場に倒れこんだ。




