はじめての迷宮の話⑥
薄暗い空間の中に燐光がうかんでいる。その光を鉄格子が反射している。
最深部の外壁をくりぬいて作ったのだろうか。大広間よりも燐光が少なく、暗いような気がした。
僕は自分を囲んでいる鉄格子をつついた。
初めての迷宮探索が、まさかこんなことになるなんて、夢にも思わなかった。
この鉄格子を破壊して逃げるのは簡単だ。だが、逃げ切るのは難しいだろう。
真っ先に思い浮かぶのは【転移魔術】を使った脱出だが、これは無理だ。迷宮の外まで続くような長い経路をつくる技術はまだないし、迷宮の中と外では勝手が違う。魔力が濃く、一定ではないため、外で使用するよりもはるかに難しい。海でゼラチン製のトンネルをつくるようなものだ。ほとんど不可能に近い。
次のアイデアは、牢屋を抜け出してこっそり迷宮から抜け出すことだけど、当然見張りがいるからそれも難しい。
最後に、全員ぶちのめして強行突破する案があるが、できたらこんなことになっていないので、無し。
結局、ここから出る方法が今はないということになる。まあ、おいおい考えよう。そのうち何か思いつくだろう。まだ殺されていないのだから、ひょっとしたらいつか解放してくれるかもしれない。それとも人質にでもされるのだろうか?
それにしても、ヒマだ。何もやることがない。当然か。ここは牢屋なんだから。話し相手もいない。しんと静まり返っている。邪教徒たちの集落の治安はいいらしい。
なにか気晴らしができるようなものはないだろうか? このままではこの洞穴の中を明滅している燐光をながめつづけるくらいしか、時間をつぶすすべがない。それはあまりにもなんというか、最終手段だろう。僕はもっと人間的で知性的な時間つぶしがしたい……。
そう思って、【空間把握】で地下牢全体をながめていると、手に持てるサイズの直方体の物体に気づいた。右隣の牢屋の中だ。よくよく観察するとそれは、本らしかった。
なぜ無人の牢屋に本があるのかはさておいて。
これを読みたい。すごく読みたい。
たとえ読んだら精神を汚染される邪教の書であろうとも、捕まってはや一時間。僕はすでに退屈の頂点に達している。
早すぎるって? そんなことは知らない。
鉄格子の隙間から看守の様子をうかがった。看守たちはカードか何かで遊んでいたようだが、僕に気づいて顔を上げ、思いっきりにらみ返してきた。どうやら居眠りなどはしていないらしい。あまり派手に動くとバレそうだ。
僕は仮想物体で簡易的にパチンコを作った。ついでに弾丸もつくり、そのパチンコで地下牢の奥を狙って、撃った。
かーん、とかなり大きい音がした。
僕はすぐにふて寝の姿勢になった。
「何の音だ」
看守は槍をもってこちらに近づいてきた。
「何かしたのか?」
「……したように見えます?」
「……」
看守はいぶかしげな表情だったが、音がした方に近づいて行った。十分奥に行ったのを確認して、僕は音をたてないように起き上がった。
【支援妖精】を起動し、【反転重力:平行】を実行する。範囲は、本が僕の牢屋に落ちてくるように指定した。
本が僕の重力にしたがって落ちてきたので、僕はそれをキャッチした。鉄格子を抜けるときに本が当たって少し音を立てた。
「ん?」
奥にいた看守が戻ってきた。僕はあわててさっきと同じふて寝姿勢に戻った。
「お前、なにをした? 何の音だ!」
「何のことですか?」
「しらばっくれるな!」
看守は槍を鉄格子にぶつけて大きな音を立てた。
「言え! なにをした!?」
「何もしてませんって」
そのとき看守は隣の牢から本が消えていることに気づいた。意外とめざとい。
僕は内心驚いたが、平静を装った。
「本が無いぞ。どこへやった! 取ったのか!?」
「本ですか。そんなの知らないですよ」
「調べればわかることだ。……おい!」
看守は牢の外へ向かって叫んだ。外から、小さく返事が聞こえた。看守は「ちょっと牢を開けるから、なにかあったら応援呼んでくれ」という内容をもっと汚い言葉遣いで叫んだ。
「立て」
看守は鍵を開けて中に入ってきた。
「さっさとしろ!」
「はいはい、乱暴ですねえ」
立ち上がると、僕は乱暴に鉄格子に押し付けられた。力が強くて、頬とあごをはじめ、あちこちが痛かった。
「本当に、乱暴ですね!」
「どこに隠し持ってる?」
看守は僕が寝ていたベッドのシーツをめくると、ばさばさした。そこに本がないとわかるとそれを放り捨て、ベッドの下、テーブルの上下、用足し用のバケツのあたりを見てまわった。
「なんかあったのか?」
もう一人の看守が様子を見にやってきた。バケツを見ていた看守は顔を上げると彼に言った。
「本がなくなった」
「え? あの人の教本か?」
「そいつが持ってないかチェックしてくれ」
「誰かが持ってったんじゃないのか?」
「いいから手伝えよ」
「はいはい」
もう一人の看守はのっそりと牢の中に足を踏み入れると、僕の身体検査を始めた。動作は緩慢で、やる気など微塵も感じられない。「こんな子供に……」とつぶやいたような気がした。
「持ってたか?」
「いや、なかった」
「ちゃんと調べたのかよ」
「当たり前だろ。部屋ん中は?」
「無い」
「やっぱり。誰かが持ってったんじゃないのか。鍵は開いてたんだろ?」
「ああ……」
「じゃあ、勘違いだろ」
「でも、こいつを入れたときはあったぞ」
「本当か?」
「……あったはずだ」
「そうか。俺は戻るよ。あまり乱暴はするなよ。イニチェ様に言われてるだろ」
「……ふん」
二人は牢を出ていった。鍵が閉まる。
看守が見えない位置まで行くのを見計らって、僕は「本」を取り出した。
【仮想空間】。
アルテミスを発動中だけ開くことができる、収納魔術だ。収納魔術、といっても要は【転移魔術】の応用だ。【転移魔術】は高次元のトンネルのようなものを仮想物体で作る魔術だが、それと同じように高次元のバッグを作るのだ。
ひとにぎりの炭の表面積がテニスコートほどあるように、三次元的なサイズとその表面の二次元的なサイズは比例しない。同様に、この「バッグ」も極めて多くの物体を収納することができる。形状によってはそれこそ無制限に入れることも可能だ。
もっとも、入れた分だけ重くなるので持ち運ぶことは難しくなっていくが……。
インベントリは普段、非活性にして見えないようにしている。見えたとしても非常に小さいのでそれとはわからないだろう。身体検査でバレるような心配は皆無、ということだ。
さて、いよいよお待ちかね。本の中身を読む時間だ!
しかし、意気揚々と本を開いた僕が目にしたのは、真っ白なページだった。
「……」
そういうページなのかもしれない。ページをめくった。
白い。
白い、白い、白い。
どのページも真っ白だ。文字一つ、インク染みひとつない。
僕が痛い思いまでして手に入れた本は、全くの白紙だった。




