もう少しだけ
「……そんなわけで僕はダヴィさんたちの工房から、家に帰ったんだ」
「ずいぶんとあっさりしてるのね」
スクエラはじっと僕の顔をのぞきこんできた。
「帰っただけ? 本当にそれだけ?」
「え? うん、そうだけど……」
スクエラはそっと僕の頬にふれた。
ちょっとドキドキした。あぶないあぶない、【冷静】をかけておこう……。
「ねえ、クリム」
「なに、スクエラ……。いでででで!」
スクエラは僕の口に指を突っ込んで、引っ張った。力加減に遠慮がない。頬が裂けるかとおもった。
「続きが気になったから口を出さなかったけど」
「いふぁい、いふぁい! あに!?」
「リズさんと結婚するとかどうとかって話があったじゃない? あそこで『嫌じゃない』って言ってたけど、あれって……」
スクエラの指にさらに力がかかった。痛い。いたたたた。
「あれって、リズさんのことが好きって意味?」
「いふぁうひょ!」
「そうだわ。きっとそう。だから別れ際にキスくらいしたんじゃない? この浮気者!」
「もう君と婚約はしてないでしょ!?」
「そのときはまだしてたもん!」
スクエラは叫んで、指をおもいきり引っ張った。痛いいいい!!
「っていうか、そんな風に言うってことは、やっぱりキスしたんだ! うわあああああん!」
「してないって!」
僕はあわててスクエラの口をふさいだ。シャルロット様たちに気づかれるのは嫌だった。何の話をしていたかと質問されたくない。僕は平気だけど、スクエラはぽろっと口を滑らせるかもしれない。
「むももももご! もごごごごご!」
「なんて?」
スクエラは顔を真っ赤にしている。僕は手をはなした。
「もう! いきなり口をふさいでどういう―――」
「声が大きいよ!」
僕はもう一度スクエラの口をふさいだ。蛇口をひねったら思ったより水が出てきて、慌てて閉めたときのような気分だ。
「静かに。静かにしてね」
僕はそう言い含めてゆっくりと手をはなした。
スクエラはむっとした表情で頬を赤らめている。
「ったく、もう!」
スクエラは小声で怒ったように言うと、腕組みし、足を組んで座り直した。
「で? キスは? したの?」
「してないよ。別れ際に頭思いっきりなでられただけだから」
「リズさんは泣いてた?」
「泣いてた」
「クリムは?」
「……泣いたよ。そりゃあ」
僕は自分がややトゲのある言い方をしたことに気づいた。まずい。
スクエラはキョトン、とした後、にやーっと笑った。
「それを言いたくなかったってこと?」
「……そうだよ」
認めた。もう言いつくろっても無駄だ。
「恥ずかしいから、あんまり聞かないでよ……」
「ね。頭、なでていい?」
「ダメ」
「いいじゃん! けち!」
「静かにしてよ!」
「頭なでたら静かにするから!」
「なんでだよ!」
スクエラは頭をなでようと、僕は彼女の口をふさごうと、そしてお互いにそれを阻止しようとして、取っ組み合った。
結果として勝ったのはスクエラだった。
「口ほどにもないわね」
スクエラはリズのように頭をなでている。
「剣術の修行もしたんじゃなかったの?」
「手加減したんだよ!」
僕は小声で答えた。
「本気でやるわけないだろ!」
「それで? 実家に戻った後は? ラグラン先生には会えたの?」
「会えなかった」
僕は首をふった。
「先生は自分の家に帰ってた。それで、その後、別の貴族の子供の家庭教師になったって。ウチのお墨付きをあげたって、父上が言ってたよ」
「あれ? 仲良かったっけ、あの二人」
「知らないうちに良くなったみたい」
「ふーん。え、じゃあ、まだラグラン先生には会えてないの?」
「うん。まだお礼言えてないままなんだ」
「行ってみたらいいんじゃない? 先生が教師してる貴族の家ってどこなの?」
「わからないんだ。いくつか転々としたって聞いたけど」
「ふーん」
「まあ、いつか会えるよ」
「そうね。ところで……」
スクエラは身を起こした。
「クリムが強くなってた説明ってそれだけ? なんか納得しそうになったけど、強くなるんだろうなっていうのがわかっただけで、肝心なところは説明してないんじゃない?」
ぎくっ。
「そ、そんなことは無いよ……」
「目をみて言って」
僕は目隠しを外した。
「これでいい?」
「ダメ。あの仮面つけてよ」
む。声が笑っている。それくらいわかる。
「スクエラ、僕の目がみたいだけじゃないの?」
「そうよ」
「そうよって……」
「なによ、なんか文句あるの? 約束したじゃない。見せてったら、見せてよ!」
「わああ、やめてよ。わかった、わかったから……」
そう言うと、スクエラはぴたりと僕を揺さぶっていた手を止めた。
「見せて。さあ早く」
「今日はダメ」
僕はスクエラを押し返した。
「シャルロット様たちがすぐそこにいるし……」
「内緒話してたのに? 今さらじゃない!」
「それとこれとは別だよ」
「まあいいわ」
「わかってくれてよかった」
「今日がダメなら明日ね」
「強欲だねえ」
「ダメって言ったら……」
「言わないよ」
「続きは?」
「続き?」
時計を見た。だいぶ夜ふかししてしまっていた。
「もう大した話はないから、おしまい。もう遅いしね」
「大した話じゃないなら、もうちょっといいじゃない」
「もう寝ようよ。眠いでしょ?」
「……そう言われると、眠い気がするけど……」
僕があくびすると、スクエラもつられた。
それで首を縦に振ってくれるかと思ったが、予想とは逆にスクエラは首を横にぶんぶんと振った。眠気を振り払っている。頑固だ。
「やだ! もう少し! まだもうちょっと聞き足りない!」
「普通、そういうのって、話し足りない、なんじゃないの?」
「どっちでもいい、そんなの!」
「わわわわわかったかかかから、ゆらさななななないで……」
「うん!」
スクエラはぱっと揺らすのをやめた。期待に満ちた目で僕をみる。僕はため息をついた。なんだかすごく小さい子供の子守をしている気分だ。というか、九年前に戻った気分だ。
「でも、もう遅いから本当にあと少しだけね。エピソード一つ分。それでいいでしょ?」
「話して!」
「それじゃあ……、ごほん」
咳払いをした。その間に、どんな話をするか決めた。
「僕が初めて迷宮に入った時のことを話そうか」




