第九話:鏡の中の歪み
柚祈と悠人が契約を交わして、二ヶ月が経とうとしていた。
訓練場で一禾と海に出会ってからは、一ヶ月。
表面上、二つのペアは仲を深めているように見えた。
休憩中の訓練場。
一禾と海は、いつものように言い合っている。
「ちょっと海! さっきのガイディング、雑じゃない?」
「雑じゃないって。いつも通り。一禾が突っ込みすぎなんだよ」
それが、多くのペアにとっての「当たり前」の光景だった。
感情をぶつけ、調整し、呼吸を合わせる。
けれど、
そんな二人から見て、近くにいる悠人と柚祈は、あまりに「静か」すぎた。
アイコンタクトは、最小限。
流れるような、完璧な連携。
休憩中のガイディングも、悠人がそっと触れるだけで終わる。
「……ありがと」
柚祈の小さな声。
それを見守っていた海が、隣で呟く。
「……なあ。あの二人、一回も喧嘩したことなさそうじゃない?」
「なさそう。柚祈もだけど、悠人も静かだよね。……うちとは大違いだね」
「あれは、ただ静かなんじゃないよ。なんなら、俺よりめんどくさいタイプと見た」
「えー、そうかな」
二人は、二人に聞こえないよう、声を潜めた。
訓練の終わり際。
一禾が、柚祈にカフェの相談を持ちかける。
「柚祈、今度のお出かけ、何着てくる? 楽しみだね!」
「……いつもの。悠人が選んでくれたやつ」
一禾は、そこでふと、違和感を抱いた。
柚祈の着ている服は、シンプルだが質が良い。
けれど、それが柚祈自身の選択なのか、一禾には分からなかった。
(……柚祈、いつも悠人が基準じゃない?柚祈の好きなものって、なんだろう)
一禾は、ある提案をした。
「ね、カフェに行く前に、服も一緒に買いに行かない?」
「……服? うん、いいよ」
一方、海も、悠人に軽いノリで話しかけていた。
「悠人さん、お宅のセンチネル、マジで優秀っすね。どうやったら、あんなに大人しく言うこと聞くんですか?」
悠人は、余裕のある微笑みを浮かべた。
「僕は、何もしていませんよ。彼女が、それを望んでいるだけです」
言葉のどこにも、引っかかりがない。
けれど海は、その完璧な善意に、得体の知れない寒気を覚えた。
(……ああ。嫌な勘が当たってる気がする)
訓練が終わり、それぞれが自分のガイドの元へ戻る。
そこで柚祈が、悠人の顔を見上げて言った。
「今度カフェ行く日なんだけど。その前に、一禾と服も買いに行っていい?」
「いいよ」
悠人は、即答した。
一秒の迷いもない、快諾。
そばにいた一禾に、柚祈が「いいって」と報告する。
そのやり取りを見ていた海は、何も言えずに視線を逸らした。
その夜。一禾と海の部屋。
「……なんかさ、柚祈ちゃんと悠人さんだけ空気の密度が違くない?見てて息が詰まるっていうか。柚祈ちゃんが笑ってるからいいんだけど」
海が今日感じた不気味さを口にすると、一禾も同意するように頷いた。
「わかる。海よりめんどくさいタイプっていうの、合ってるかも……あの温度感、私には絶対無理!」
「な? ……でも、お出かけは行くんだろ?」
「もちろん! 柚祈と服を一緒に選ぶの楽しみなんだもん」
一禾はそう笑ってから、ふと、窓の外の夜闇を見つめた。
その瞳に、訓練場で見た二人の、あまりに完成された静寂がよぎる。
「……ねえ、海。もしさ。もしだよ、柚祈があの温度感に耐えられなくなったら……どうなるんだろうね」
海は一瞬、息を呑んだ。
考えることすら拒絶したくなるような、暗い想像。
「……え。それ、考えるのも怖いな」
逃げているわけではない。
ただ、結論を出すことすら躊躇われるほど。
あの2人の裏側にあるものが、巨大で、底知れない気がした。
「だよね」
一禾はそれ以上、口にしなかった。
誰にも触れられない静寂を共有している柚祈と悠人のことなど、
今はまだ、知る由もなかった。




