第四話:四週目
共同生活が始まってまもなく1ヶ月が経とうとしていた。
柚祈を取り巻く環境は、悠人の懸念を置き去りにして加速度的に過酷さを増していた。
昼夜を問わぬ適性が証明されたことで、柚祈の個人訓練は「限界点を探る」試験へと変わっていた。
敵は増え、条件は複雑化し、無理な連携が強行される。
その負荷は、いつ爆発してもおかしくない熱として、柚祈の神経に蓄積されていった。
悠人は訓練官に直接、何度も抗議の声を上げた。
「負荷が大きすぎます。これでは彼女の体力が持ちません。限界を超えています」
だが、毎回返ってくるのは鼻で笑うような冷淡な言葉だけ。
「通常訓練の範囲内ですよ。これだから過保護なガイドは困るんですよ。彼女は軍の『資産』なんですからね。それに、これくらいで壊れては困るんだよ」
と、全く取り合ってもらえなかった。
悠人は、柚祈をただの道具として使い潰そうとする軍の論理に、拭い去れない嫌悪感を募らせていた。
そして、その日はついに訪れた。
訓練を終えて帰宅したリビング。
玄関に入ってきた柚祈の歩みは、いつにも増して重い。
(……小さいな)
もともと小柄な柚祈だが、その背中が今は、さらに縮こまって消えてしまいそうに見えた。
悠人は胸のざわつきを抑え、努めて穏やかな声で話しかける。
「おかえり。夕飯、すぐに準備するからね。座って待ってて」
キッチンへ向かおうとした悠人の背後で、衣擦れの音がした。
振り返ると、柚祈の指先が、悠人のシャツの裾を力なく、けれど確かに掴んでいた。
「柚祈? どうかした?」
「……悠人」
彼女の声は、砂を噛んだように掠れていた。
サングラス越しでも、彼女の意識が情報の濁流に飲み込まれかけているのがわかる。
「……今日、目がチカチカする」
それは、甘えでも懇願でもなく、ただ壊れかけた機械が現状を淡々と吐露するような自己報告だった。
普段、何を訊いても「大丈夫」としか言わない彼女が、自ら状態を告げるということ。
その異常さを、悠人は瞬時に察した。
「わかった。……ご飯は後にしようか。」
悠人は夕飯の準備を後回しにし、柚祈を小上がりへと促した。
いつもなら寝る前に行うルーティンだが、柚祈には一刻も早い「凪」が必要だった。
柚祈が腰を下ろすと同時に、悠人の指が柚祈のピアスを静かに引き下げ、右手が柚祈の頬に添えられる。
「じゃ、始めるよ」
悠人の低い声が、情報の濁流をせき止める防波堤になる。
流れ込むガイディングの波。
射撃の反動、標的の残像、重なる怒号――脳裏で爆発寸前だった火花が、悠人の感覚によって静かな闇へと沈められていく。
十数分後、柚祈の強張っていた全身から、ようやく力が抜けた。
「……少しは、楽になった?」
「……ん。……うん。もう、チカチカしない。大丈夫そう。」
柚祈はいつもの調子に戻り、悠人の手が離れるのを待った。
柚祈にとってそれは、あくまで不快なノイズを取り除くための手段だった。
ただ、この瞬間だけは、抗いようのない心地よさがあった。
「……それならよかった」
悠人は安堵しつつも、去っていく背中を見つめ、静かに思考を沈めた。
ーー軍は「通常」だと言った。だが、柚祈が自分で「チカチカする」と言葉にしたほど能力を酷使されている事実は、悠人にはどうしても見逃せなかった。
その夜、柚祈は出された夕食をいつも通りに食べ、眠りについた。
だが、隣の部屋で悠人は眠れなかった。
自室のベッドに横たわりながら、彼は暗闇の中で自問を繰り返す。
ーーあんなに鮮やかな羽を持っているのに、このままでは本当に飛べなくなってしまう。自由に羽ばたかせてあげたいのに。そのためには、まずこの環境を変えなければならないのではないか。
悠人は解けない問いを抱えたまま、眠れない夜の淵で独り、思考を巡らせていた。
窓の外に広がるのは無機質な基地の闇。




