第十六話:届いた言葉
一禾たちが災害支援の任務に就いてから、二週間ほどが過ぎていた。
数日に一度届く一禾からのメッセージに、短く言葉を返すだけの静かな日々。
けれどその日の夜、スマートフォンの画面が、いつもとは違う明るい音を立てた。
一禾からのビデオ通話だった。
画面の向こうには、仮設テントと思われる場所でカレーを食べている一禾の姿がある。
「あ! 柚祈ー、お疲れ! 元気にしてた?」
「……お疲れ。大変だね。電話、大丈夫なの?」
「ん? 今日やっと一箇所区切りがついたから大丈夫。そっちは? 変わりない?」
「……うん。いつも通り」
「そっかぁ。ねえ、聞いてよ柚祈! 本部の連中、指示は細かい癖に自分たちは全然動かないんだよ! 瓦礫を持つのも全部こっち任せだし。もー!! 自分も動けって、柚祈も思わない?」
頬を膨らませて愚痴をこぼす一禾を、柚祈は黙って見つめた。
「帰ったら、またカフェ行こう。作業中に海に話しかけたら『うるさい! 話すな!』って本部の連中に怒られるし、テントに戻っても全然話す時間ないし……もうストレス溜まっちゃって。早く柚祈と話したい!!」
「……いいよ」
「やった! ……あー、ごめん、呼ばれちゃった。また電話するね! またね!」
「…………頑張ってね」
画面が暗くなり、部屋に静寂が戻る。
柚祈は、今の一禾の言葉を反芻していた。
「早く柚祈と話したい」
まさか、そんなことを言われるなんて思ってもみなかった。
これまでの友人関係は、すべて上辺だけのものだったはずだ。
自分にとって、他人はそれほど希薄な存在だった。
初めて向けられたその真っ直ぐな言葉に、感情が追いつかない。
けれど、ここ数日胸の奥にあった、あの「すっきりしない感じ」が消えていた。
鏡に映る自分の口元が、ほんの少しだけ緩んでいる。
お風呂から上がってきた悠人が、リビングに現れた。
「一禾さんからの電話だった?」
「……うん。いろいろ大変みたい」
「だろうね。でも、久しぶりに話せてよかった」
柚祈の表情を見て、悠人が穏やかに言った。
「……帰ってきたら、私とカフェに行きたいって言ってた」
「楽しみだね。一禾さんが頑張れるように、何か送ってあげたら?」
「…………迷惑じゃない?」
「大丈夫だよ。きっと喜んでくれる」
「…………わかった。送ってみる」
悠人は「お茶を淹れてくるね」と優しく微笑み、キッチンへ向かった。
柚祈はリビングのソファで一人、スマートフォンの画面を見つめる。
送ってみると言ったものの、何を伝えればいいのかが分からない。
「頑張って」はさっき言った。
「カフェに行こう」も一禾が言っていた。
一文字打っては消し、指が画面の上で迷う。
何か一禾が喜ぶような、それでいて、自分らしいもの。
考えを巡らせていた柚祈の脳裏に、あの日一緒に選んだワッペンのことが浮かんだ。
柚祈は一度自室へ戻ると、クローゼットに掛けられた隊服を手に取った。
胸のポケットのフラップを開けると、自分が一生懸命に縫い付けた、少し傾いた猫のワッペンが見える。
これなら、一禾と一緒に選んだものだから、きっと分かってくれる。
柚祈はその写真を撮り、ようやく決めた短い言葉を添えた。
『無理しないでね。カフェに行くの楽しみにしてる』
送信ボタンを押し、彼女は静かに息を吐いた。
リビングに戻ると、悠人が温かいお茶を用意して待っていた。
そのまま、その夜のガイディングが始まる。
久々に淀みのない、完璧な凪が訪れた。
ノイズが消え、柚祈の感覚を隅々まで整えていく。
翌日。
非番の二人は、かつて猫に出会ったあの森を訪れていた。
「……また、あの猫たちのいた森に行きたい」
お昼を食べ終えた後、柚祈がそう言ったからだ。
森の入り口を少し歩くと、以前のように数匹の猫たちがどこからともなく姿を現し、柚祈の足元に体を擦り寄せた。
柚祈は屈み込み、猫たちを撫でながら、何かを探すように視線を動かす。
やがて、お目当ての猫を見つけたのか、大切そうにスマートフォンのレンズを向けた。
「猫の写真、誰かに送ったの?」
傍らで見守っていた悠人が問いかける。
「……一禾に送った。昨日、疲れてたから」
「そうか」
悠人は、満足そうに目を細めた。
柚祈が誰かのことを思い、自分の意志で行動している。
その成長が、自分の目の届く範囲で行われていることが、悠人には純粋に喜ばしかった。
その夜。任務を終えた一禾が、スマートフォンを開いた。
「あ、柚祈からメッセージ……え、猫の写真だけ?」
「お、俺にも見せてよ」
隣から海が顔を出し、二人は画面を凝視する。
「ちょっと、覗かないでよ」
「いいじゃん、減るもんじゃないし。……本当だ、猫だけ。どういうこと?」
一禾は首を傾げ、それからハッとして声を上げた。
「あ! ワッペンの猫!? 似てる子がいるって言ってたやつだ。……でも、これ、微妙だね」
「似てないね……全然似てない」
二人は顔を見合わせ、夜の静寂の中で声を上げて笑った。




