第十三話:評価の代償
朝の光が差し込む食卓。
悠人は手際よく皿を並べ、柚祈の前に温かなスープを置いた。
「今日は柚祈が検査の後で座学。僕が講習を受けてから座学。……だったよね?」
「……ん。あってる」
「終わったら教室で合流しよう。忘れ物はない?」
悠人がいつものように穏やかに問いかけ、柚祈を送り出す。
検査会場は、体育館のように無機質で広い空間だった。
大勢のセンチネルが押し込められ、独特の静寂と緊張が漂っている。
柚祈は壁際に座り、ぼーっと視線を彷徨わせた。
一人、二人、三人と、視界に入る人間の数を数えて暇を潰す。
感情を動かさず、ただ時間をやり過ごすことだけに専念する。
名前を呼ばれ、冷たい空気の流れる小部屋へ通された。
壁一面のモニターと、五人ほどの白衣を着た担当者。
椅子に座らされると、事務的な声が降ってくる。
「本人確認のため、名前を」
「……柚祈」
「問題なし。じゃあ、眼は閉じないで」
一人が至近距離で覗き込んでくる。
「Rd、コード変更なし。測定開始」
両眼を覆うように、重苦しい機械が装着された。
「そのまま。動かないで。……C、0.12。GR、35」
数値を読み上げる声に体温はない。
機械が外され、次は採血と血圧の測定に移る。
腕に針を刺されている間、担当者たちはモニターを見つめ、ひそひそと会話を続けた。
「前回値と比較して……あー、なるほど。GRがこれだけ上がっているのに、Cが維持されている。いい傾向じゃないか」
「でも、まだGRが低すぎて先は見えませんよ」
「それならGMが80、FTはAか」
「いや、Sでもいいんじゃないか?」
「……Sに手を出すのはまだ早い。今はAに逃げたほうが。」
「……間を取って、AからSで」
記録の端に、YかZ。
そんな走り書きが付け加えられる。
柚祈には、その言葉の意味が一つも分からなかった。
身体検査を終えて待機室に戻ると、一禾が椅子に深くもたれかかっていた。
「あ、お疲れ。検査終わった? あいつらいっつも対応雑じゃない?」
一禾は腕の絆創膏を忌々しげに指差す。
「見てよこれ。採血失敗されて二箇所も刺されたんだけど!」
「……そうかな」
「そうだよ。眼を見る時もぐりぐりしてくるしさ。もっと優しく扱ってほしいよね。あ、柚祈はこれから訓練?」
「……ううん。勉強」
「そっか。私、まだ時間あるからここで時間潰してるけど、座学ならもう始まるよね。頑張って」
「……ありがと。一禾も頑張って」
「ばいばーい」
屈託なく手を振る一禾と別れ、指定された教室へ向かう。
座学用の部屋に入ると、すでに悠人が席に着いていた。
柚祈が隣に座ると、悠人はすぐにこちらの顔を覗き込んだ。
「お疲れ。疲れてない?」
「……大丈夫」
「なら良かった。……検査、どんなこと言われた?」
悠人の問いは、日常の確認のようにさりげない。
「検査中?」
「うん。眼を見られた後、その人たち何か言ってなかった?」
「……えっと。たぶん、Cが0.12? GRが30台だった。あと、SかAかで揉めてたと思う」
柚祈が記憶の断片を頼りに、断片的な数字を口にする。
「そうなんだ。ありがとう」
「……うん。……ん?」
悠人の微笑みに、柚祈は小さく首を傾げた。
検査結果は軍の最重要機密だ。
例えペアを組むガイドであっても、詳細な数値を把握することは許されていない。
だが、悠人の脳内には、かつて実家で叩き込まれた膨大な「宝石」の知識が眠っていた。
柚祈が口にした無機質な記号は、悠人の頭の中で即座に鮮明なグラフへと変換される。
(透明度が高いのは予想範囲内。……けれど、GRは思ったよりも進んでいないな。SやAは……FT、完成予測ランクの話か。……高すぎる。GRがこの値でSを出すなんて、普通はあり得ない――いや、あり得るのか?宝石としての価値しかみてないからな。奴らも判断を迷うことあるんだな)
悠人は完璧に、柚祈の「価値」を分析しきっていた。
教官の講義は、悠人の耳を素通りしていく。
先日の兄の言葉。
そして、今の検査で浮き彫りになった、柚祈への異常なまでの「期待」。
彼女は兵器としても、宝石としても、あまりにも高く評価され始めている。
悠人の胸が、鈍い痛みで締め付けられた。
隣で前を見つめる柚祈を、自由に羽ばたかせたい。
その願いは、今も嘘ではない。
けれど、周りにはその羽を強引に折り、標本にしようとする敵が多すぎる。
いつかその羽が折れるなら、最後に休む止まり木は自分でありたい。
だが、まだ今は、折らせるわけにはいかない。
座学の間、悠人は一度もノートを取らなかった。
どうすれば、外界の一方的な鑑定から柚祈を、その美しすぎる羽を守り通せるか。
それだけを、ずっと考え続けていた。




