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深紅の瞳に囚われて  作者: Marron
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第十二話:見せかけの檻


スーパーからの帰り道。二人の影が夕暮れのアスファルトに長く伸びていた。

居住棟の入り口に差し掛かった時、悠人の足がぴたりと止まった。

エントランスの影に、見慣れぬ、けれど嫌なほどに見覚えのある男が立っていた。

悠人が息を呑む。

彼は買い物袋を提げていない方の手で、無意識に後ろを歩いていた柚祈を自分の背中へ隠した。


「……今日は何の御用で」

悠人の声は、氷点下まで冷え切っていた。


男――悠人の実兄は、壁に預けていた背中をゆっくりと起こした。

隠しきれない育ちの良さと、それを台無しにするほどの下劣な笑みを浮かべて歩み寄ってくる。


「そんなに嫌な顔をするなよ。父様からお前に渡してこいって言われたんだよ。ほら、200万」


差し出された厚みのある封筒を、悠人は視線だけで射抜くように見つめた。

「…………っ。呼んでくだされば、僕の方から伺いましたのに」


「今日はそれだけじゃないからな」


兄は悠人の刺々しい空気を柳に風と受け流し、その背後に隠れている柚祈へと視線を移した。

人懐っこそうな笑顔。

だがその目は笑っていない。


「こんにちは。悠人の兄です。僕もセンチネルなので仲良くしてくださいね」

兄が唇を舐めるようにして口を開けた。

その瞬間、舌の裏側に鈍く光る宝石状の鱗がびっしりと張り付いているのが見える。

「悠人とのガイディング、大丈夫? もし、何かあったらいつでも連絡して」

そう言って、兄が胸ポケットから一枚の名刺を取り出した。


だが、その紙片が柚祈の視界に届くより早く、悠人が横からそれをひったくるように奪い取る。

「……えっと、こんにちは」

柚祈は悠人の背中から、短くそれだけを返した。

悠人から「実家の仲は良くない」とは少し聞いていたが、目の前の男が発する、過剰に甘ったるい、けれど芯が腐っているような気配。

柚祈は困惑し、視線を落とした。

悠人は、兄と柚祈の間に自身の体を完全に割り込ませ、二人の視線を物理的に断ち切った。

だが兄は、悠人の抵抗など最初から意に介していないかのように、視線を柚祈へ移し、ふと首を傾げた。

「ねぇ……サングラス外してくれない?」

悠人が一瞬、言葉を失う。

「悠人がちゃんとガイディングできてるか、僕が見て――」

「外さなくていいよ」

遮るように言った悠人の手に、力がこもる。

兄を真っ直ぐに見据えた。

「要件は以上ですか?」

「ああ」

兄は面白そうに鼻で笑った。


そしてすれ違いざま、悠人にだけ聞こえるほどの低い、湿った声で囁く。

「宝石眼はまだまだだね。もっときれいに色付くように、軍に働きかけておこうか?」


悠人の奥歯が微かに鳴った。

宝石眼は、力を酷使するほど色を深める。

兄は、それを知っていて言っている。



「不法侵入で通報しますよ?」

「そんなのが意味ないのわかってるくせに。まあ、いいや。じゃあね、柚祈ちゃん」

兄はひらひらと手を振り、優雅な足取りで去っていった。

その後ろ姿が見えなくなっても、悠人はしばらく動かなかった。

(……?……なんで?)

柚祈は、去っていく背中を見送りながら、ふと立ち止まる。

(なんであの人、私の名前を知ってるんだろう……)

自己紹介もしていないのに。

名前を握られているという得体の知れない不気味さに、柚祈の肌が微かに粟立った。

部屋に入ると、外の熱気が嘘のような静寂が二人を包んだ。

悠人は買い物袋をキッチンに置くと、そのままソファに深く腰を下ろした。

柚祈は、その隣に座るべきか迷いながら、今の出来事を聞きたそうに、けれど聞いていいのか分からずウズウズとした視線を悠人に送る。

悠人はしばらく目を閉じていたが、やがて重い溜息をつき、目を開けた。


「……聞いていいよ」

「だれ?」

「僕の実の兄だよ。もう50歳くらいじゃないかな? たぶん。それに、最近まで連絡はとってなかったから」

「センチネルって言ってた」

「そう。味覚系の。前に僕の家のことは少し話したよね? センチネルがたくさん産まれるって。兄もその一人。今日は連れてなかったけど、専属の優秀なガイドもいるよ」

悠人は淡々と説明していたが、ふと、言葉を止めた。


そして、これまでのどんな会話よりも低い、けれど柚祈の耳の奥に確実に届くトーンで、彼女の目を真っ直ぐに見つめて言った。

「もし、一人の時にあいつが来たら、すぐに僕を呼んでね」

「……? 分かった」

柚祈はその瞳の強さに、反射的に頷いた。

悠人の家族のことは、ただ「不仲なもの」として片付けていた。

けれど、先ほどの男の舌の裏の鱗、そして名乗らぬ名前を呼ばれた時の嫌な感覚。

関われば、今のこの部屋が、壊されそうな予感。

センチネルとしての野生に近い直感が、柚祈の脳内で静かに、けれど鳴り止まぬ警鐘を鳴らしていた。


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