表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深紅の瞳に囚われて  作者: Marron
PR
11/20

第十一話:深紅の目印


リビングに、硬質な音が響いた。

お掃除ロボットの点検のために屈んでいた、柚祈。

その横を通り抜けようとした悠人の、上着のファスナーが、

柚祈の右耳にある、軍支給のフープピアスに絡まった。

「あ……」


鈍い手応えとともに、フープが歪み、弾け飛ぶ。

床に散らばったのは、修理不可能なほど細かな銀色の破片だった。

悠人はすぐに足を止め、険しい顔で柚祈の耳を覗き込んだ。

「ごめん!大丈夫?怪我はない? 不注意だった」

「大丈夫。支給品だし、気にしないで」

柚祈は床の破片を拾い集める。

けれど、その小さな欠損が、均衡を崩した。

その日から、ガイディングにノイズが混じり始めた。


訓練生時代、感覚の波に飲まれかけた柚祈を現世に繋ぎ止めたのは、耳への刺激だった。

それが今も、彼女の意識を繋ぐ“何か”になっている。

そして、それが、二人の静寂の始まりだった。


しかし、トリガーを失ったガイディングは、指先の感触が覚束ない。

深い、深い凪の底まで、たどり着けない。

微かな濁りが、柚祈の奥底で燻り続けていた。



数日後。

悠人は調子の上がらない柚祈を連れ、軍の休暇を取った。

向かったのは、街にある落ち着いた佇みの宝石店だった。


「……悠人、ここは?」

「ピアスを新しく作ろうと思って。軍の支給を待つより早いから」

悠人は店主に「ガーネット」を求めた。


トレイに並べられた、いくつもの赤い結晶。


悠人は、呆然としている柚祈の顔を覗き込む。

「贈り物という形にすると、より強くガイディングができるようになるらしいんだ。……だめかな?」

「そうなの……?」

その言葉を、柚祈はそのまま受け入れた。

そして、彼女はトレイの中から、一つだけ、ひときわ深く光を吸い込む石を指差した。

「これがいちばん、きれい」

それは、柚祈自身の宝石眼と、全く同じ色をしていた。

悠人は満足そうに頷き、台座のサンプルを柚祈の耳元に当てる。


「柚祈はピアスを何色がいい?」

「……シルバー」

「次はデザインだけど……これとか……これはどうかな?」

「……いいと思う」

二人は時間をかけて、細部を詰めていった。

シルバーカラーのフープ。

捻りのある曲線に、小粒のクリアストーンが並ぶ。

その中央に、深紅のガーネットが一石。


悠人は枠を指でつまみ、ピアスのサイズを慎重に確かめる。

「このサイズなら、日常生活の邪魔にならない。……僕が引くのも問題ない」


数時間後。

完成したピアスを受け取りに店を再訪した柚祈は、その隣にある「もう一つの箱」に気づいた。

中には、同じガーネットを嵌めた、男性用のシンプルなリング。


「……………悠人の?」

思わず、疑問が口をついて出た。

自分用のピアスだけでなく、なぜ、男性用のリングがあるのか。


全く状況が読み込めない柚祈に、悠人は穏やかに微笑む。

「綺麗な石だったから、自分用にも作ってもらったんだ。左手の人差し指に。……お揃いは、嫌だった?」

「……ううん。嫌じゃない」

柚祈は小さく首を振った。

けれど、その瞳はわずかに温度を上げ、どこか浮き足立つような感覚が胸を掠める。

その沈黙は、否定ではなかった。


その場で、悠人の手によって、新しいピアスが耳に嵌められた。

重みが増した右耳。

鏡を見ると、自分と同じ瞳の色が、すぐ傍で揺れている。

柚祈は悠人の手を引き寄せ、人差し指のリングとフープピアスをじっくりと観察した。


いつも自分の耳に触れる指に、自分と同じ色の石がある。

悠人はその間、じっと、柚祈の耳元で揺れる赤に視線を固定していた。


帰り道、柚祈がふと尋ねる。

「でも、どうしてガーネットだったの?」

「……柚祈と同じ色だから。一番、しっくりくるかなと思って」


代金は、心配しないでいいと悠人は言った。

悠人が実家からもらっている資金は、こういう時のためのものだった。


その夜、ソファに座った柚祈の前に悠人が立った。ガイディングの時間だ。

悠人は左手を伸ばし、柚祈の右耳あるフープピアスに人差し指を掛けた。

人差し指に嵌められた、リングがフープに、当たりカチリと音を立てる。

悠人は、人差し指をわずかに曲げ、フープを下へ、ゆっくりと引いていく。

耳たぶに加わる、一定の痛み。

その痛みによって反射的に顔を上げた柚祈と悠人の視線が重なる。

空いた悠人の右手は視線を固定するように柚祈の左頬に添えられていた。


ーーそこには、もはや一切のノイズはない。

柚祈の脳内から、部屋の輪郭が、色が、音が、ノイズが消えていく。

柚祈の意識は、石の重みに導かれるように、音のない、深い凪の底へと、静かに沈んでいった。


ガイディングを終え、寝室に向かう柚祈の背中を見送った悠人はリビングで自分の指輪を見つめていた。

ガイディングを強くするため、というのは建前だ。

(……いつかまた、柚祈が深い波に飲まれそうになった時はこのきれいな赤を、目印にしてほしい)


この同じ色が、彼女を迷わずに「ここ」へ呼び戻す呪いとなるように。

指輪に触れる指先に、無意識に力がこもる。

その圧を確かめるように、悠人は一度だけ、深く息を吐いた。


後日、一禾との合同訓練。

休憩中、一禾がすぐに柚祈の変化に気づいた。

「あ、ピアス変えたんだ。……もしかして、悠人から?」

「うん。」

「嬉しい?」

「……嬉しいよ」

柚祈は、迷いなく答えた。

自分に与えられた居場所を、確かなものとして繋ぎ止めてくれる。

その事実を、「嬉しい」という言葉に託して。

「ねえ。答えにくかったらいいんだけど。柚祈は今の生活と、前の生活……どっちがいい?」

一禾の問いに、柚祈は少しだけ視線を泳がせた。

「……私は、今の方がいいかな」

「そうなの?」

「うん。大変なことはあるけど。……ここに、居場所があるから」

その言葉に、一禾はそれ以上、何も言えなかった。

彼女が自ら選んで、この静寂の中に留まっているのならそれでいい。


訓練後。

海に柚祈のピアスを見せに行った一禾。

「海!見て!柚祈のピアス!すっごくきれいじゃない?」

海は素直に「似合ってるね」と感心し、その宝石の質を見て「高そうだなぁ」と笑った。


3人の元へ、悠人が合流する。

一禾は、その宝石の色が、あまりに柚祈の瞳に似すぎていることに気づいていた。

そして……

悠人が何気なく添えた、左手の、人差し指。


そこにある意図を、一禾は察してしまい、

思わずもう一度、悠人の指と柚祈の耳元を見比べた。

(重いっ……)

心の中で、そう、小さく毒づいた。

その「宝石」の本当の意味を知らない柚祈の横で、悠人は、どこまでも穏やかに、満足そうに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ