#4 魔物の進化はどうするの~その1、幼体に戻そう~ ※以降、未修正の原文
ここは暁の地溝に開かれたジェイのダンジョン。目の前に広がるオレンジ色に照らされる緑の絨毯に寝そべり、どこまでも続きそうな地平の彼方と、オレンジ色に染まり揺れる木々に息を大きく吸い込む。あてのない夢のようなたわいない話をしている時間は、ジェイにとってはまだ夢心地で、現実ではありえないこの風景が、彼の求める世界がそこにあった。
「風がとても心地いいね」
「ええ」
隣にいる少女、かえでは、顔や手足が包帯で巻かれ、額からは角が伸び、背後にはふさふさの尻尾が見え隠れしている。肩まで伸びた赤い髪に、夕陽のオレンジ色のコントラストがとても綺麗に溶け込んで、よく似合っていた。
「ジェイ、今日こそ召喚する魔物を決めるのよね」
「……」
『現在保有しているダンジョンポイントは、2,066ポイントです』
本人の思考に反して、門までが空気を読んだかのように無機質な声で答える。それもそのはずで、このやり取りはかれこれ十日も続いていた。なかなか門から呼び出す魔物が決まらないのだ。かえでとジェイ、二人の影法師だけが、時間がまるで止まってしまったかのように、ずっと同じ長さを刻み続けている。
「もう!蜂とか蜘蛛、甲虫、羽虫……選択肢はいっぱいあるじゃない」
「それ全然かっこよくないし。かっこいいのはダンジョンポイントが足りないんだよ。ほら、このカブトムシなんて5,500もするんだから」
「ディセクト・リッパーね。それはユニークな上にネームド個体なの! 最初からダンジョンポイントで産み出すようなものじゃないわ」
かえでは呆れたように尻尾を揺らし、理想ばかりが高いジェイをジト目で睨みつける。オレンジ色の世界の中、限られたポイントを握りしめ、彼らが次に選ぶ「相棒」は、一体どんな姿をしているのだろうか。門が空気を読んで現れたことからも、神なる存在がそれを期待しているのだろう。
「誰がそんなの決めたの? ユニークとかネームドとか」
「過去にダンジョンに実在した魔物たちの記録よ。私は直接見たことはないけれど、それは存在進化の果てに至る到達点の一つなんだから」
「そうだ! 迷わずに魔物たちがそうなるような力が欲しい。そんな魔物を最初から育ててみたいな」
ジェイがそう願った瞬間、目の前の門が意志を持つかのように微かに震えた。
『ダンジョンポイント2,000を消費し、“いたずらなる進化判別”を取得しますか?』
「流石にそんなポイントで得られる能力で、ユニークやネームドが作れるとは思えないわ。ダンジョンの過酷な食物連鎖の頂点に立ち、そこから更なる条件を達成した者だけがなれる存在なんだからッ!」
かえでの必死の忠告も、今のジェイの耳には届かない。
「ううん。僕はしょくもつれんさ?じゃなくて、自分で育ててみる。……はい。取得します」
「もう! 勝手にすれば!」
かえでが“ぷいっ”とそっぽを向いて拗ねてしまう。
背後で「また貯めればいいなんて、そんなに甘くないんだからね。まずは生態系を作るのが、ダンジョンの王道なんだからッ!」と呟く彼女の言葉は、実に理にかなっていた。魔物が増える仕組み、つまり繁殖と循環が無ければ、ダンジョンはあっという間に冒険者に踏破されてしまう。冒険者たちの住む外の世界に比べ、ここはあまりに狭く、資源量でも圧倒的に劣っているのだ。
「羽虫を10匹お願いします」
ジェイは残ったわずか66ばかりのダンジョンポイントの中で選べるものから最初の住人を決めた。
『ダンジョンポイント60を使用し、羽虫10匹を生成します』
オレンジ色に染まりきった草原の上、茨の巻き付いた門から一匹、また一匹と羽虫が這い出してくる。かえでの予感は的中したのかもしれない。
現れた魔物たちは、消費したポイントの少なさを象徴するかのように、あまりに脆弱に見えた。そして、生態系すら産み出すことが出来ない無価値な存在。
「ジェイ、羽虫は基本的に全部メスよ。しかも、それ単体じゃ戦力にすらならないわ」
「なんか羽虫っていうより、かわいい綿毛みたいだね」
もはや魔物以前に生物として脆弱であることが誰の目からも明らかだった。ジェイはしゃがみ込み、羽虫を覗き込む。薄い透明な羽が、暁の大渓谷に沈む夕日のようにオレンジ色に透けている。胴体を包む灰色の綿毛はふわりと柔らかく、魔物特有の禍々しさは微塵もない。
ただの虫と違う点があるとすれば、その体が風船のように軽く、ゆらゆらと宙に浮くほど大きいことくらいだった。
「ジェイのイメージを反映しているのかしら、あまり見ない品種ね」
「なんていう魔物なの?」
「あたしにだってわからないことはあるわよ。そんなに気になるなら門に聞きなさいよね」
「う~ん。いいや」
しばらくして、ジェイは10匹の綿毛の魔物?を丁寧に並べ始めた。2,000もの貴重なダンジョンポイントを費やして手に入れた“いたずらなる進化判別”を試そうとしているのだ。
「それじゃあ。まずは君から」
ジェイがそっと一匹に触れる。
『進化値1』
「わあぁぁ! 見て!進化値は1だって」
「進化値なんて言葉、初めて聞くわ」
ジェイがその調子で10匹の綿毛の魔物?を次々と判別していく。分かったことは、そのすべてが等しく『進化値1』だということだった。
「ぜんぶ1だね」
「全部1ね……」
かえでが呆れ顔でジェイを見ている。案の定、といった視線だ。
「でも、まだ“いたずら”してないよ」
ジェイが隣り合う2匹に同時に触れ、「1+1は2だよ」と優しく、だが断定するように呟いた。
すると途端に、片方の綿毛の魔物?の美しい羽がパラパラと抜け落ち、見る間に退行して幼体へと戻ってしまった。
「ほら、やっぱり! この数字に“いたずら”できるんだよ」
もう片方の個体は、纏う空気がわずかに鋭くなった?くらいで、見た目も雰囲気もほとんど変化はない。
「みて、こっちの子はたぶん進化値2だよ」
ジェイが幼体に戻らなかった綿毛の魔物に触れる。
『進化値2』
「ほら、やっぱりそうでしょ。そして、こっちが進化値0のはずだよ」
今度は丸まった幼体に触れる。
『進化値0』
ジェイは得意げにかえでを見るが、彼女には一匹の魔物がただ無残に弱くなってしまっただけのように見えた。かえでは悲しそうな眼差しで、力なく蠢く「0」の幼体をそっと抱え上げる。だが、ジェイはその表情に気づかないまま、また別の綿毛の魔物に触れて次々と幼体に変えてしまう。
「これ、悪くなってるじゃない! せっかくの戦力を削ってどうするのよ!」
「そんなことないよ。ほら、この進化値2の2匹を合わせたら、きっと3になるよ」
「……普通は4でしょ?」
「え、違うよ。2と2を合わせると3になるんだよ」
かえでは何を言っているのかさっぱりわからなさそうに首をかしげる。ジェイの法則は、この世界の数学すら超越しているらしい。
ジェイが『進化値2』となった2匹に触れる。先ほどと同じように一匹が幼体へと崩れ落ちる。残されたもう一匹には何の変化も無いかと思われたが――、次の瞬間、羽虫が口から白く粘り気のある糸を激しく吐き出し始めた。
暁の夕陽を反射しながら、自分自身を包み込むように繭を作っていく。
「繭……? 羽虫のまま生まれてきたのに、ここで『蛹』になるっていうの……?」
かえでの驚愕の声を余所に、緑の絨毯の上でオレンジ色に輝く繭は、ドクン、ドクンと心臓のような鼓動を打ち始めた。ジェイの「いたずら」によって無理やり統合された命が、未知の姿へ変貌しようとしていた。
「こんなのあたし知らない。食物連鎖なら、新しい命の中にこそ新しい魔物の兆しが産まれるの。毒性が強くなったり、体の一部が強化されたり……それはほんのちょっぴりとした変化の積み重ねのはずなのに……」
かえでが困惑に震える声で呟く。しばらく二人は繭が出来上がるのを黙って見届けていたが、やがてジェイがその滑らかな表面にそっと触れた。
『進化値3』
「ほらね。2と2を合わせたら3でしょ?」
「そんなことよりジェイ、ちゃんと説明してよ! あたしには何が何だか全然ッ、分からないわ」
「数字を大きくしていくとすごくなっていくんだよ。あとは、かえでが言うみたいに経験値とかで強くなるのが普通かな」
そこにはかえでの知る常識など欠片もなく、聞いたこともないような異能の法則を自信たっぷりに説明するジェイの姿があった。
『すべてのダンジョンマスターが、最初の魔物を存在進化させたことが確認されました。これよりマスターと守護者を、神々の間へ転送いたします』
先ほどまでオレンジ色に染まる草木が見えていた門の先が、突如として荘厳な大理石で敷き詰められた回廊へと変貌した。それを見て、ジェイが思い出したように慌てふためく。
「エイムさんにこないだのお礼をしないと! たしかエイムさんの守護者は、剣じゃなくて鎌を持っていたよね?」
「そ、そうね……」
かえでは目の前の異常事態に、少し上の空になりながら空返事をするのが精一杯だった。
「えっと、デーモンロードだし、やっぱり闇がかっこいいよね。スライムも準備して急いで作らなきゃ!」
“ぽこぽこ”
ジェイが願った瞬間、何もない空中に水滴が集まり、驚くほど透明な水玉が生まれた。炎のように赤い幾何学模様がその水玉を包み込む。水が“どろり”と飴細工のようにオレンジ色に染まり、空中から草の上へ流れ落ちると、緑の輝きを放ちながらスライムを創り出す。
さらに、鉄鉱石がごとりと音を立て、ジェイの足元へ集まっていく。
スライムと鉄鉱石が浮き上がり、再び炎のような赤の幾何学模様がそれらを包み込んだ。模様に溶け込むかのように、スライムが猛々しく燃える赤を体現して染まり、吸い込まれていく。鉄を包む赤い幾何学模様に、錬成されたスライムが「溶解」していく。それは鉄と混ざるのではなく、魔力構造式の媒介となり、術式の出力を二倍、三倍へと跳ね上げていった。
程なくして、赤を補助するオレンジが夕焼け空のように辺りを照らし出した。その光は鉄鉱石を飴細工のように溶かしながら、複雑な魔力痕を刻み込んでいく。ジェイの濃密な魔力が辺りに広がる。
「ジェイ、闇なんて……そんなの聞いてないわ」
両手鎌が現れたその瞬間、大地に緑の息吹を呼ぶ「生命の増殖」を意味する光が刀身から放たれた。だが、それを真っ黒に塗りつぶして否定するかのように、刃先は暁の大渓谷の夕日すら吸い込むような、存在すら認識させない黒点を作り出した。
その鎌は世界を脅かすためだけに生まれてきたような、底知れぬ禍々しさを孕んで静かに浮遊していた。
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