名もなき構造式と、水底の証
遺跡への入り方と『神儀盤』の使い方を教わり、学内通行許可証をその手に受け取る。
魔物はもう出ないとは言え、かつて本物のダンジョンだった場所へ、ついに自分たちの足で入れるのだ。その事実は、さながら一端の冒険者になったかのような高揚感を、二人の胸に強く与えていた。
しかも、あの古めかしい『神儀盤』は、自分たちの判断で自由に使っていいとまで言われたのだ。
「ね、お姉ちゃん」
「ええ、もちろん分かっているわよ」
マリオンとレインは顔を見合わせると、お互いに「ニヤリ」と悪戯っぽいアイコンタクトを交わした。
まだ魔法学校に入学すらしていない自分たちが、そんな大層なものに触らせてもらえるなんて――あまりの幸運に二人の心ははじけるようにはずみ、もう喜びを隠しきれなくなっていた。
秘めた計画に顔を綻ばせながら、マリオンとレインの姉弟は、魔法学校の地下に広がる薄暗い遺跡の中へと足を踏み入れた。天井や壁には、ダンジョン特有の淡い灯りが等間隔に灯り、二人の姿を静かに照らしていた。
「あっちの小部屋にも入ってみようよ」
「いいけど、あたいは水の中に入るのは嫌よ」
マリオンがそう言って顔をしかめるのも無理はなかった。
眼前にどこまでも壮大に広がる迷宮の光景と、その底に静かに満ちる未知の水の流れは、どこか本能的な恐怖を抱かせる。
見上げれば人工物の無機質な天井や壁が続き、整然と並ぶ小部屋の間を、細い水脈が網目状に枝分かれして通っている。それに合わせるようにして通路が両端に設けられている様相は、人の知恵ではなぜこのような作りになっているのか到底理解できない。
「先生は死んだダンジョンって言ってたけど、遺跡ってわりと明るいのね。あたいはてっきりただの暗い洞窟みたいなところを想像してたわ。――こんなにも『お城の回廊』みたいに綺麗に整ってるなんて……ちょっと、聞いてる!?」
声が届かないほど夢中になって、流れる水の中をレインは「ばしゃばしゃ」と小さな手で水底をすくい上げながら探していた。水の底には瓦礫や石、ときおり不気味な金属の破片などが沈んでいて、不用意に踏み抜けばたとえたとえブーツ越しであっても大怪我をしそうだった。
「そんな調子じゃちっとも進まないじゃない」
入ってすぐのところで足踏みするようなレインに、マリオンが不満を漏らす。
「きっと分かりやすく残ってたりなんてしないよ。それに僕たちこういう泥臭い仕事は村の下働きで慣れてるじゃん」
レインの言葉に、マリオンはあり得ないといったしらけた視線を向けた。
「せっかくダンジョンを冒険している雰囲気が台無しッ!」
「お、お姉ちゃん……ちょっとこれ見て」
震える手で大切そうに、レインが水底から拾い上げた石を差し出す。
その石は黒く黒曜石のように鈍く光って、不思議な存在感を帯びていた。成人の儀を迎えていない彼らにとって、本物の魔物など物語の中の存在でしかないのだ。だから、何度想像したかもわからない、魔物なら必ず持っているという魔物の核――『魔石』。
魔物の魂であり、ここに魔物が確かに生きていた証そのものにほかならない。
そんな見たこともない想像の中で思い描いていた魔石かもしれない、ただの石に胸が高鳴った。
「それに水の中、金属の欠片もたくさん落ちてる!」
そのあとも「これはどうかな」「こっちは?」などと、二人は声を響かせながら奥へ奥へと進んでいく。
「レイン見て! こっちの大広間の水路が、円を描くように枝分かれしてるの!」
叫んだマリオンの声につられるように、レインが奥へと視線を向ける。その先にある光景を見た瞬間、レインは思わず息を呑んだ。
大広間の床は、中心に向かって逆円錐のすり鉢状に深く、深く掘り下がっている。幾重にも段々に重なった古い水路が、その傾斜を伝いながら下へ下へと流れ落ち、言葉に表せない荘厳さと不気味さを纏いながら、一番底の中心でぽっかりと口を開けた闇のような巨大な穴へと吸い込まれていく。
「ここが遺跡でよかったわね」
マリオンがレインの横腹を小突く。
「ほんとうに……」
目の前にある水の流れは深い底へと流れ落ちており、その冷たい水はぞっとするほど仄暗い。
安全だと分かっていても、底の知れない水の暗がりが、二人の胸に冒険心をくすぐる心地よい緊張感を湧き上がらせていた。
――二人は大広間の中央に向けて、ゆっくりと階段を降りていく。
「結構奥まで来たけど、なんにもないのね」
水底を徹底的に漁れば何か出てはきそうなのだが、こうやって普通に見える場所には、やはりと言うべきか何も残されていなかった。二人が通路から小さな小部屋に入った先には、遺跡の入口で見たものと同じ、鉄のような重厚な門が鎮座していた。
だがその門には、火と水、風と土を表す四大元素の装飾のほかに、見たことも無い歪な装飾が、加えて一つ刻み込まれている。
「これ、なんだろうね」
「さぁ。まったく開きそうにもないし、別の道を探しましょう」
「こっちの水の中を行ってみる?魔物いないんだし」
「あのねぇ。そんなどうなってるかもわからないところ行くわけないでしょ。水がどこに流れてるのかもわからないし、こんなに狭いのよ」
「いいじゃん。本物の冒険者だったら行くと思うな」
「はぁ……。しょうがないわねぇ」
大人であれば、この先に待ち受ける未知のリスクを恐れて、途中で引き返していたに違いない。けれど、好奇心に満ちた二人の子供の足取りを止めるものは、もう何もなかった。
水が絶え間なく流れる狭い水路を、ときに腹ばいになりながら、二人は奥へ奥へと進んでいく。
「これって、魔晶石かなぁ」
「そうね。加工してもらえれば立派な杖になりそうね」
小さな石を拾い上げるたび、二人は顔を見合わせてはにかんだ。彼らの瞳に映るその輝きは、まるで未来を約束する宝物に変わるかのようだった。
憧れのダンジョンの中で見たこともない景色に出会い、本物の冒険者になったかのような高揚感と、魔物のいない絶対の安心感。それらが重なり合った二人の足取りには、もう誰にも歯止めをかけることはできない。
「もっと……奥へいってみましょう!」
ほどなくして、二人は少し開けた場所へと行き当たった。
そこは浅く澄んだ水が足元を流れており、中心には上の階まで吹き抜けになった穴が、ぽかんとひとつだけ開いている。近くには、歴史の重みを感じさせる甲冑や、剣などの武器が朽ち果てた状態で転がっていた。
「やっぱり、水の中だと状態が悪いわね。このあたりで引き返して一度素材を持ち帰ったほうがいいのかしら」
マリオンが問いかけても、返事がない。
不思議に思って前を見ると、吹き抜けの穴から水が静かにしたたり落ちるその真下に、弟の姿があった。
レインは頭上を見上げて、そこにあるものを凝視している。
「ちょっと、なんであんたは全然聞いてないのよ」
「お姉ちゃん……あれ――探してるものってもしかして、こういうのも含まれるのかな」
その場所に立って見上げることで、吹き抜けの穴の先の天井と、穴の淵に刻まれた幾何学的な文様が、ピタリと円を描いて一致したのだ。
「ちょっと何かにメモしないと……」
そう言って弟のレインは、近くに落ちていた朽ちた甲冑の欠片を拾い上げると、手元の石でガリガリと削りながら、見たものをそのまま書き写し始めた。
魔法の魔力構造式は、円の中で世界の理となる。
迷宮に刻まれているのは、完成された本などではない。このように壁や天井に刻み込まれた、魔法の構造の『断片』。それこそが、ダンジョンにおける魔法書の本来の姿なのだ。
ダンジョン自体が巨大な『魔法書』であり、そこに刻まれた古代の知識は、世界の理に繋がっている。
二人は自分たちが今、どれほど貴重な世界の根源に触れているのかを知らない。
「お姉ちゃんとして、あたしも何か見つけないと――」
マリオンは身を低く屈め、水面ぎりぎりの高さで「がさごそ」と必死に水底を漁り始める。
(次回へ続く)
読んでいただきありがとうございました!
魔法学校の地下に眠る死せる遺跡『聖樹へ至る精霊水脈』の探索が本格的に始まった第12話。
人の知恵では理解できないほど壮大に広がる迷宮の異様さと、その中で小さな魔石を拾っては宝物のように顔を見合わせるマリオンとレインの無邪気な子供らしさの対比が、書いていてとてもお気に入りのエピソードです。
レインが天井の幾何学模様を必死にメモする横で、「お姉ちゃんとして、あたしも何か見つけないと――」と水底に手を伸ばしたマリオン。
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次回、第13話もお楽しみに!




