聖樹へ至る精霊水脈
ここはダンジョンの外なる世界。
辺境のフレイトの集落を旅立った二人の子供が、長い旅路の果てにようやく辿り着いた地――その王都にある魔法学校だ。
ひとつ角を曲がって路地を覗けば、すり減った石畳が淡く発光する魔石の街灯に照らされ、歴史の深さを物語る由緒正しき古き街並みが広がっている。
放課後になると、重厚な石造りの校門から溢れ出した生徒たちが、広場の噴水や、古い書物が積み上がった古書店へと消えていく。魔法と生活が密接に溶け込んだこの大都市には、古くからの伝承と魔法文化を重んじる風土があった。
そこは、ダンジョンという異物が産声を上げる以前の世界が描かれた眉唾物すら幅広く受け入れている国家の心臓部。その広大な魔法学校の敷地の中で、入学試験の受付を探し求めている少女がいた。
「ねぇ、ほら。入学試験の受付はあっちじゃない?」
一人の少女が、自分より頭一つ分だけ背の低い少年の手を引き、きょろきょろと周囲を伺っていた。
「えー……。誰かに聞いたほうがいいよ、お……お姉ちゃん」
少年が口にしたその呼び方は、どこかぎこちなく、舌に馴染んでいない響きを含んでいた。
雑貨屋の息子である彼は、物心つく前に本当の両親を遠い冒険の地で失っている。唯一の肉親である祖母もすでに高齢であり、彼一人の力ではこれからの厳しい世界を生き抜くことは難しい。
少年の行く末を案じた祖母と、見守ってきた狩人のリックが、夜を徹して話し合った末の苦肉の策。大人たちが遺してくれたその優しい嘘こそが、この不慣れな「お姉ちゃん」という呼び方と、懐に忍ばせた村長の紹介状の理由なのだ。
「なによ。今までお姉ちゃんが間違えたことなんてあった?」
「いつも間違いばっかりじゃん」
少しだけ口を尖らせた少年に、少女は「あはは」と悪戯っぽく笑い返す。
「いいから、私についてきなさい!あたいのほうが頭一つ分も大きいんだから、あたいの言うことは絶対なのッ!」
この、お姉ちゃんとしての一人称すら定まっていないぎこちなさが、どことなく幼さを感じさせる。けれど、この広い王都で頼れるのはお互いしかいないのだ。
そんな二人が迷うのも無理はない。
――いくつもの同じような塔を巡り、ようやく自分たちの目的の部屋を見つけた時、二人は弾けるような笑顔で顔を見合わせた。
二人が身に纏うのは、狩人の手伝いや街の雑用をこなす日々の中でボロボロになった、お世辞にも小綺麗な王都の街並みには似合わない薄汚れた身なりだった。
「「失礼します!」」
ようやく辿り着いた部屋に足を踏み入れる。そこはまるで迷宮のような図書室。壁を埋め尽くす本、本、本。未解明のオカルトから基礎学術書までが乱雑に積み上げられた知の墓場。古い紙とカビの匂いが混ざり合った独特な空気が、二人を圧倒するには十分すぎるほどだった。
「あの……入学試験を受けに来ました」
少女が後ろに手を組み、その後ろに少年が隠れるように立っている。少年は少女のボロボロの服の裾を、ちいさく、ぎゅっと握りしめていた。
「あー、少しそのまま待ってて」
本の山に埋もれた机から、ひょいと腕だけが覗いた。「すぐ行くから」と散らかった足元をかき分け、寝癖のひどい男が姿を現す。他の職員がいない様子からして、彼がこの受付の責任者なのだろう。
男は左手でぼさぼさの頭を掻きながら、二人の前までやってきた。
「……推薦状は持ってるかな?」
「はい、これです」
少女がズボンのポケットから、少しばかりシワになった一枚の紙を取り出した。
「村で狩人の手伝いしてたってことで、入学試験は実技試験にしとくから」
「えっ。ぼ、僕たち魔法なんて使えませんよ!?」
弟の少年が、弾かれたように驚きの声を上げた。
杖も呪文も知らない自分たちに何ができるのか。その不安を察したのか、寝癖の職員は苦笑いを浮かべて首を振る。
「語弊がありましたね。魔法書やワンド、ロッドといった魔導具は非常に高価です。ですから、当校では実技試験に、これらを遺跡から自力で拾ってきてもらっているのですよ」
「……それって、ダンジョンのことですよね?」
少年は探るように問いを重ねる。
「正確には、『かつてダンジョンだった場所』ですね。活動を停止し、魔物を生み出さなくなった深淵――我々はそれを『遺跡』と呼びます。もう危険はありませんよ」
「ふふーん。つまり、魔法学校で使うお高い教科書や道具を、自分たちの手で探し出してこいってことね。話が早くて助かるわ」
少女が「最初からわかっていましたよ」と言わんばかりに、得意げに胸を張って割って入った。
「ええ、その通りです。新品を買い揃えるよりはるかに現実的でしょう。……かつてそこは多くの勇士が挑み、多くの死者を出した場所でもあります。先人の遺品を教材にするのは心苦しいのですが、それもまた魔法の歴史の一部ですから」
「だけど、……遺品なのに届け出なくていいんですか?」
少年は自分が教えられてきた常識との違いに、訝しむような視線を向けて尋ねる。
「これから案内するのは、遺跡となったダンジョンを国から払い下げて買ったものですからね。それにダンジョンが死んで遺跡になれば、そこはもうダンジョン関連の法は適用されないのですよ。森の豊かな木の実や果実を採っても咎められないのと同じです」
少女と少年が顔を見合わせ、密かに安堵の息を漏らした。
「遺跡が『死んだダンジョン』だなんて、初めて知りました」
少女の服のすそを握っていた少年が、その手を離し、きらきらと目を輝かせながら自分から前に出た。
「不思議に思いませんでしたか? どうしてこんなにも短い間隔で木が花をつけ、実を結び、葉が落ちて、地面に霜が降りるのか。私たちがあたりまえに過ごしているこの大地も、もともとはダンジョンから切り開いたものなのですよ。――では、案内しましょう。ついてきてください。……おっと、その前に、まだ名前を聞いていませんでしたね」
職員が足を止め、手元の古い名簿を開く。擦り切れた黒い綴り紐をほどいて開けば、歴史のなかに閉じられていたページがめくられ、白い真新しいページが露わになる。
「私はマリオン。で、こっちが弟のレイン。二人で一人前の冒険者よ」
かすかに広がるインクの匂いが、部屋の重苦しい空気に混ざり合う中、その問いかけに、少女は誇らしげに一歩前に進み出てその名を告げた。
「……マリオンと、レインですね。よし、登録しました。行きましょう」
先生のペンが走り、まだ誰も汚していない真新しいページへと二人の名が深く刻み込まれる。
少女マリオン。その姉の手を握り、引かれるままについていく弟のレイン。それは、ジェイのやらかしによって、魔法学校に舞台を変えてより数奇な運命へと引き寄せられるのだった。
◇
職員に連れられ二人は、建物の地下へと続く、深く長い階段を降りていく。その後ろをマリオンとレインが不思議そうな顔を浮かべて付いていく。
「驚くのも無理はありません。この魔法学校は、かつて世界で初めて魔法という力が発見された『すべての魔法の根源』である原初の迷宮の真上に建てられているのですからね」
「だから、地下へ降りていくんですね」
ふたりは納得したように頷く。
「ですが、気をつけてくださいね。壁のランプには私が魔力を補填しているのですが、地下まではなかなか手が回らなくて。少し暗いですよ」
レインが息をのんで、薄暗い足元を見つめる。おしゃべりに集中していると転げ落ちてしまいそうで、時折壁に手を付いて降りていく。等間隔に灯るランプの光量は心許なく、お粗末なものだった。
「あの……先生。こういう壁のランプの文様も、魔法の知識になるんですか?」
レインはその薄暗いランプの台座を見つめ、そこに刻まれた奇妙な溝に気づいて足を止めた。
少年の純粋な質問に、寝癖の職員――この魔法学校の先生は、驚いたように眼鏡の奥の目を丸くする。
「おや、よく気づきましたね。ええ、その通りです。これもまた立派な魔導工学の術式回路ですよ。……もっとも、これは百年前の古いものを私が無理やり繋ぎ直したものですがね。基礎を知るには良い教材です」
ランプの台座には、魔力を補充し光へと変換するための回路となる魔法式が彫られていた。
「へぇ……。なんでも魔法の知識に繋がってるんだ……」
感心したように呟くレインの頭を、マリオンが後ろから小突いた。
「ちょっとレイン、感心してないで早く歩きなさいってば。置いてかれちゃうでしょ」
「わ、わかったよぉ、お姉ちゃん」
魔物はいないはずなのに、湿った空気と静寂が肌にまとわりつく。
「さあ、着きましたよ」
辿り着いた先に、重厚な鉄の門が鎮座していた。門には火、水、風、土の四大元素を象徴する装飾が刻まれている。扉の傍らには、古めかしい『神儀盤』が壁に埋め込まれていた。
「ここはかつて、『聖樹へ至る精霊水脈』と呼ばれた門でした。ダンジョンは成長を続け、いつか世界の真理に至るとされていますが……。残念ながら、ここはもう、ただの遺跡なのです」
ただの遺跡。魔物もいない、静かに眠る過去の遺物。
だが、二人の子供にとっては違った。ここから先は、村の日常にはもう二度と戻れない、未知(道)へと繋がる冒険の始まり。マリオンは旅の荷である鞄に隠された『黒く塗り潰された魔剣』の重みを静かに確かめる。あの紅葉の森で大ヤギを撃退した、あの深紅の輝きの全能感が、彼女の胸の奥で今も熱く滾っている。
まだ見ぬ未知の扉を開くならば、それを受け止めるだけの勇気もまた必要なのだ。
レインは繋いだマリオンの手をもう一度ぎゅっと握りしめ、そして静かに離した。覚悟を決めたように、両親が選び死んでいった冒険者への道を自分の足で一歩前に踏み出す。
(次回へ続く)
読んでいただきありがとうございました!
「真実の扉を開くならば、それを受け止めるだけの勇気も必要だ」
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次回、第12話もお楽しみに!




