帝都ギルドの魔導天球儀
ここはダンジョンの外なる世界。
北部にある帝都――その冒険者ギルドの最奥に位置する、重厚なマホガニーの扉で閉ざされた応接室だ。
「だ、だから! 門の中じゃなくて『外』で拾ったんだって、さっきから言ってるだろ! 誰かの遺品なんかじゃない、俺が見つけたんだ!ちゃんと登録だってしている」
一人の冒険者が悲痛な声を張り上げていた。
擦り切れた厚手の布鎧に、泥にまみれた安物のブーツ。どこにでもいる駆け出しの彼は、椅子に浅く腰掛け、自身の膝の上で白くなるほど強く拳を握りしめている。
その正面で腕を組むのは、顔に深い獣の爪痕を残す往年の猛者――この帝都ギルドを統べるギルドマスターだ。歴戦の覇気が生み出す静かな威圧感に当てられ、少年の声は恐怖で小刻みに震えていた。
――呼び出されるのも無理もない。
机の上に無造作に置かれた「それ」は、この安っぽい駆け出しの少年には、あまりにも不釣り合いで、異質すぎたのだ。
「……落ち着きたまえ。すでにその剣は、神儀盤によって君の名で登録されている。ギルドが持ち主不明の遺品として強制的に買い上げるような真似はしない」
深紅の刀身。そこから放たれる赤土色の輝き、空間そのものを歪めるような濃密な魔素、そのすべてが部屋の空気をじっとりと重くしていた。
ジェイがで土の属性を込めて、外なる世界へと送り出した百十一本の片手剣。そのうちの一振りである。
マスターの低く落ち着いた声に、少年は「はぁっ……」と深く息を吐き出し、ようやく椅子の背もたれに体を預けた。
ダンジョンを唯一の生業とする彼らにとって、神儀盤による財産の保証は、絶対的な『神の誓約』だ。もし規律を破り、盗品などを持ち込んで神の怒りを買えば、生活の基盤である魔法や加護といった奇跡を永遠に失うことになる。分かってはいたものの、モノがモノだけに気が気ではなかったのだ。
「――魔導天球儀を持ってきてくれ」
ギルドマスターの短い号令に、部屋の隅で待機していたポニーテールの男性職員が動いた。
布を被せられた重厚な台座が机の中央に据えられ、覆いが払われる。現れたのは、無数の透明な水晶球が幾重にも連結した、神々しいほどに美しく複雑な魔導具だった。
対象のランクや性能、系統、そして装備適正レベルに至るまで、すべてを白日の下にさらけ出す最高精度のアーティファクト。並みの冒険者であれば、一生見ることもない代物だ。
ギルドマスターの鋭い鷹のような視線が、静かに明滅する深紅の刀身に注がれた。
「始めよう」
マスターが魔導天球儀に静かに手をかざす。
まるで宇宙の公転を模すように、複雑に連結した水晶球が『カチリ、カチリ』と微かな歯車の音を立てて連動を始めた。
深紅の刀身から未解明の魔素を吸い上げるたび、それは応接室の明かりを吸い込むように鈍く発光し、やがて部屋全体が星々の浮かぶ深淵の闇へと沈み込んでいく。
天球儀の水晶が軋むような悲鳴を上げた。
◇
「ちょ、ちょっと待て! おい、おい、おい……これって、まさか!」
駆け出しの少年が「ガタリ!」と椅子をなぎ倒して立ち上がった。
部屋を満たす圧倒的な星の光と、天球儀が弾き出す途方もない魔力反応。まるで人生の幸運をすべて使い果たして、天文学的な一等クジを引き当ててしまったかのように、彼の手足はわなわなと震えている。
「れ、れ、伝説級かもしれない……ってことか……っ!?」
だが、ギルドマスターの表情は、一介の冒険者の浮かれた想像を遥かに超えるほど、蒼白に染まっていた。
「……現在、各地の門の外で、君が持っているのと同じ『太陽が沈む刻印』を施された異常な魔剣の発見報告が相次いでいる。発見時の状況を精査しているところだ。……頼むから、本当のことを言ってくれ。本当に『落ちていた』のか?」
張り詰めた声での尋問。しかし、少年の話に不審な点は何一つなかった。道端に、本当にただ「落ちていた」としか説明のしようがないのだ。
「――ギルドマスター。魔導天球儀による解析が、完了しました」
水晶の軋む音が止み、ポニーテールの職員が震える手で記録紙を読み上げる。
その声は、恐怖か、あるいは未知の歴史に触れた歓喜か、微かに上擦っていた。
「出土場所:夕映えの迷宮。存在値:物理87/魔法160。ランク:2。性能値:20。土属性系統値:3。そして……装備適正レベルは『14』です」
「……馬鹿な」
歴戦のギルドマスターがうわ言のように呟き、それを皮切りに、堰を切ったように激しく取り乱す。
「武器存在値が87、魔法剣としての格が160。系統値が3もあって、適正レベルが……たったの14だと? いや、それ以上に『夕映えの迷宮』などというダンジョンの名など、世界のどの記録にも存在しない!」
それを聞いてもなお、対照的に、駆け出しの少年は、聞いたこともない専門用語の羅列に頭の中に大量の「???」を浮かべていた。
「……なぁ、おっさん。それって結局、強いのか?」
ぽかんとした顔で尋ねる少年に、ギルドマスターはこめかみを強く押さえ、地の底から響くような深い溜息を吐いた。
「……少しだけ説明しておこう。なぜ、我々が普段は魔導天球儀などという大層なものを使わないのかを」
一言一句逃しまいと、物音ひとつしない静寂が応接室を包み込む。
「巷に並ぶ武具には『性能値』と『適正レベル』しか存在しないからだ。お前たちが普段『攻撃力』や『装備レベル』と呼んでいるものの正式名称だ。性能値はその剣の威力を表し、適正レベルはその数値に達していなければ性能の十分の一も引き出せない――いわば、剣に認められるための最低条件だ」
少年は初めて耳にする世界の深淵の知識に戸惑いながらも、静かに息を呑んだ。
「名工が鍛えた業物には『ランク』が現れ、属性を宿した魔法剣には『系統値』が付く。……だがな、最もあり得ないのが『存在値』だ。これは、神の寵愛と奇跡――『祝福』を直接その身に受けている武具にしか絶対に現れない」
「……なんで、俺にそんなこと教えてくれるんですか?」
「『祝福』と言ってもピンとこないか? いいか、少年。この剣は、今この瞬間から歴史を揺るがす『神話級』に認定された」
ギルドマスターは立ち上がり、まるで祭壇の神体に触れるかのような恭しい手つきで、深紅の剣へ震える指を伸ばした。
「これは大いなる神の奇跡、天の御業そのものだ……。平民の君でも志願すれば、今すぐ正式な騎士として王宮に仕官できるが……どうするね?」
◇
厚手の布を重ねただけの、どこにでもいる駆け出しの冒険者だった彼。
そんな彼の運命は、この日を境に「英雄騎士」へと続く輝かしい未来へと強制的に書き換えられることになった。
ジェイの無知な遊び――ポイントを払い、鉄鉱石に魔力を込めただけの産物が、世界の権威に「大いなる神の啓示」として崇め奉られ、後に、平民から英雄騎士へと登り詰めるその男の腰には、常に一振りの深紅の剣があったという。
その刀身の根元には、太陽が地平線に沈むような、不思議な刻印が刻まれていた。
読んでいただきありがとうございました!
舞台は一気に北部の帝都ギルドへ。
ついに外の世界にその名が知られ始めた『夕映えの迷宮』。謎の魔剣の噂を聞きつけた冒険者やギルドが、これからどう動くのか――。
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次回、第9話もお楽しみに!




