数奇な運命の始まりと、偽りの姉弟の旅立ち
「この刻印……見たこともないね。魔物から剥ぎ取った屑素材で作られたものじゃない。これは、大地の息吹そのものを、無理やり練り込んだかのような……」
少年の祖母言葉に、その場にいた大人たちが息をのんだ。
そこには、まだ“雑貨屋のばあちゃん”などと呼ばれる前の、かつて修羅場を潜り抜けてきた全盛期の鋭さが、確かに蘇っていた。
孫であるレインは、彼女の亡き娘と娘婿の忘れ形見だった。
だからこそ、包丁よりも大きな刃物すら店には置かなかったし、孫が抱く冒険者への憧れを、彼女はいつも厳しくたしなめていた。
「そんなに凄むもんだから、昔を思い出しちまったよ」
何十年ぶりかの懐かしさと、目の前にある異常な事態への焦りを混じらせて、リックが呟いた。
リックもまた、彼女の亡き娘や娘婿と、子供時代をやんちゃに過ごした仲だったのだ。今とは違う、冒険者上がりの雄々しい若かりし頃の彼女に、手ほどきを受けた記憶が脳裏をよぎる。
「師匠、どうしたらいい?」
その問いかけには、かつて彼女を師と仰ぎ、必死に背中を追いかけていた若き日のリックの面影が重なっていた。
「確かに、まずいねぇ。これほどのものが『神儀盤』への登録もなく、こんな場所に転がっていたなんて……余計なトラブルしかありやしないじゃないか」
そこにいたのは少年の祖母ではない。元・冒険者だった頃の、冷徹な顔つきで深紅の剣を見つめるミサの姿だった。
『神儀盤』で登録さえすれば、拾得物は拾い主の権利として完全に保護される。それは偽造も改ざんも、王族ですら不可能な、神様から人に与えられた不変の平等な権利のひとつだ。だが、未登録の“規格外の魔剣”となれば話は別。力を持たない者が抱えれば、それはただの命取りになる。
「ねぇねぇ。聞いた? リックさんがうちのばあちゃんを師匠って」
大人たちのただならぬ空気を他所に、レインが隣に立つマリオンの袖を引いて顔を見合わせる。
「……」
だが、マリオンは声も出ないくらいに真剣だった。
深紅の剣をきつく離さないように抱えながら、一言一句逃さない、力強い瞳で大人たちの会話を見つめている。
周囲を見渡せば、広がるのは素朴な木造りの平屋が数軒並ぶだけの小さな集落。
畑を耕す鍬の音やヤギの鳴き声が遠くから聞こえるような、王都の流行とは無縁の静かな土地だ。
そんな小さな村であっても、冒険者ごっこは幼い頃の定番の夢で、誰もが抱く憧れだった。けれど今、マリオンの腕の中にあるのは「ごっこ遊び」の道具ではない。村を滅ぼしかねない、圧倒的な現実だ。
「私たち、冒険者になる」
マリオンが唐突に、レインを巻き込むように確固たる意志で宣言した。
リックもミサも、急な少女の宣言に呆気にとられている。
「ダメだダメだ!」
リックが我に返り、即座に娘の夢を否定する。
「いや。私、冒険者になる。……ううん、ならなくちゃいけないの。この剣を安全に『神儀盤』に登録するには、冒険者になるしかないんでしょ?」
先ほどの死線を越えた興奮を残しながらも、大人たちの懸念を正しく悟った彼女は、一歩も引く気はなかった。
この危険な遺物を村に置いておくわけにはいかない。なら、拾った自分が背負うしかないのだと、お姉ちゃんとしての意地が彼女を突き動かしていた。
「そんな危ないことはせめて成人の儀を迎えてからだ。それに、成人の儀を迎えなきゃ冒険者になんてなれないんだぞ」
リックの言うことはもっともだった。
成人の儀も迎えていないような子供のダンジョンへの出入りが許されるほど、国家の法律は非人道的なものではない。
だが、冒険者にならなければ『神儀盤』が使えないのもまた事実だった。
「師匠。冒険者のライセンス、更新されて――」
「いつの話をしてんだい。私はあのとき、そんなものは手放しちまったよ」
あれこれと議論を重ねたものの、こんな規格外の代物が村にあること自体が危険だという結論に、結局は行き着くしかなかった。
「成人の儀を迎えていなくても、魔法学校の生徒になれば『仮登録』の扱いで神儀盤に触れられるはずだ。ただし……」
リックは深紅の剣を重々しく見つめた。
「この色と魔素を抑えないと、とてつもない剣だって道中でバレバレだよ」
リックの言葉の詰まりを見透かしたように、ミサが鋭く突っ込みを入れるのだった。
◇
それから数日間、雑貨屋の裏庭ではひっそりと隠蔽工作が進められていた。
リックが森から採ってきたドロリと黒い天然の樹液。それを、ミサがかつて現役の冒険者だった頃の手慣れた手つきで、深紅の刀身へと薄く、何度も塗り重ねていく。美しい夕日色は塗り潰され、見る影もないただの黒い鈍色へと塗り変えられていく。
「あーあ……せっかくすっごく綺麗な剣だったのに……」
横で見ていたレインが、少し残念そうに唇を尖らせた。
「馬鹿言うな、レイン。これをお前らが持っていると誰かにバレたら、命を狙われるんだぞ。これはお前たちを英雄にするための魔法の剣じゃない。生き延びるために、隠し通さなきゃならない『十字架』だと思え」
リックの厳しい声に、レインはびくりと肩を揺らし、マリオンもまた神妙な面持ちで頷いた。
さらに仕上げとして、リックがナイフを握り、手近な木材から荒々しく削り出した鞘が用意された。そこには職人が施すような美しい装飾など、一切存在しない。ただただ分厚く、内側から溢れ出ようとする濃密な魔素を強引に閉じ込めるためだけに作られた、武骨で素人づくり丸出しの、太くがっちりとした不格好なものだ。
「よし……これで簡単には抜けないはずだ」
そう呟き、リックが剣を鞘へ深く差し込むと、容易に抜けないよう革紐でがっちりと固定する。
その姿は、一見すると小汚い田舎の子供が持っている「不格好な鉄の塊」にすぎない。
だが、その奥には、ジェイの無邪気な狂気が生み出した、世界を揺るがすほどの圧倒的な魔力の息吹が閉じ込められていた。
◇
数日後――。
あののどかだったフレイトの村を離れ、二人は互いの手を引き、中央へと向かう馬車の中にいた。
成人の儀を迎えていない二人は、まだ正式な冒険者になることはできない。そんな子供たちが、自分たちの身と村を守り、『神儀盤』を使うには、国が管理する中央の魔法学校の門を叩くという道をとるしかなかったのだ。
ガタゴトと揺れる馬車の窓の外。
見慣れた緑の森や畑が少しずつ遠ざかり、代わりに整備された広い街道と、行き交う人々の賑わいが現れ始めている。
マリオンの鞄には、厳重にコーティングされ、特製の鞘にがっちりと固定されたあの剣が静かに収められていた。
ジェイの無自覚な思いつきが、外の世界で二人の子供の運命を数奇なものに書き換えていく。
大人たちの隠された過去、子供たちの強い決意。
そして、本当の家族ではない二人が結んだ、小さな嘘と強い絆。
不格好な鞘に閉じ込められたはずのあの深紅の剣を携えて、偽りの姉弟は、世界の中心たる大都市へと旅立つ。
「生き延びるために隠し通さなきゃならない十字架」として、せっかく数日間かけてドロリとした黒い樹液で美しさを塗り潰し、不格好な鞘に魔素を閉じ込めたレインとマリオン。
二人はこの「黒い鉄の塊」を引っ提げて、世界の中心たる大都市、そして魔法学校の試験へと挑むことになります。
誰もが予想もしない数奇な運命の歯車が、いよいよ第2章から本格的に動き出します!
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次回からは、再びジェイくんたちのいるダンジョン側へ視点が戻ります。
ポイントを全ツッパされて激怒して出ていったかえでちゃんが、ちょっと気まずそうに戻ってきて……?
次回、第6話もお楽しみに!




