表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/32

ごちそうさま


 部室に戻ると、村上はまだ寝ていたが、軽くゆすると目を覚ました。

 マリ先輩と知宏先輩ももう落ち着いたらしい。二人で何か話していた。おかえりと手を振ってくれる。


「うわ! 千佳ちゃんどうしよう。なんか大事な話してたような気がするんだけど全然覚えてない! 夢にすっごいイケメンが出てきたのは覚えているんだけど」

 一彦さんのアレには、記憶を混乱させる作用があるらしい。そういえば亡者を目撃したはずのクラスメイト達から、何も言われていない。


 慌てる村上の頭に、千佳は手を置いた。なでるのがうっかり癖になっている。

「いいよ。覚えてなくても、言ってくれたことは、覚えているから。だから、ありがとう。あすか」

 村上が目を真ん丸にして千佳を見上げた。千佳はちょっと困って尋ねた。


「あの、あすかって呼んでいい?」

「待ってた!」

 目をキラキラさせて村上は言った。

「すっごい待ってた! キリンになるかと思った! 嬉しい!」


 輝く笑顔でそういわれ、千佳も嬉しかった。けれどなぜか、村上はぐりんと首を巡らせて渡辺に喧嘩を売りはじめた。

「渡辺、ざまあ! 呼んでもらったことないでしょ!」

「……あるよ」

「え? うそ!? っていうか渡辺の下の名前ってなんだっけ?」

 村上は首を傾げた。


「しんや君だよ」

 千佳が答えると、村上はばっとこちらを振り返った。

「まさか渡辺も名前で呼ぶの?」

「うーん」

 千佳は首をひねった。


 万が一、また地獄のゲートが開くようなことがあった場合、普段から呼んでいては、名前の効果が薄れたりしないだろうか。

「渡辺くんは、渡辺くんかな」

「ざまあ!」


 あすかと呼びかけたときより嬉しそうだ。一体なぜそんなにも対抗意識を燃やしているのか。そしてなぜ渡辺は傾いでいるのか。よく分からないがちょっと面白い。

 千佳は笑ったのだが、なぜか村上に心配そうにのぞき込まれた。


「千佳ちゃん、なんか元気ないね? また渡辺に変なことされた?」

「またって。あすか、渡辺くんのこと誤解してない?」

「え? してないよ。千佳ちゃんがカンヨウすぎるんだよ」

 お互いに首を傾げあっていたら、マリ先輩が吹き出して、そのまま笑い転げた。先輩は少し笑い上戸なところがあると思う。




 二週間が過ぎた。あれから外でも学校でも、亡者を見かけることはなかった。

 本当に日常が戻ってきたんだなと、千佳はようやく実感した。


 最近、登校時に渡辺とよく会う。

 会ったのに離れて歩くのは変だと指摘され、何となく一緒に登校する流れになっている。

 毎日一緒に登下校などしていては、付き合ってる云々でからかわれそうなものだが、不思議なくらい何も言われない。なので渡辺が、何かしたのではないかと疑っている。


 辟易するような暑さが数日続き、夏休みがそこまで迫っていた。

 いつの間にか、野球部を引退していた知宏先輩が、部室でマリ先輩と机を並べて受験勉強するようになっていた。

 一年生と村上がちょっとはしゃいでいる。

 渡辺は嫌がるかと思ったが、あっさりと「前例があれば自分たちのときも利用できる」と受け入れた。

 会話をしても、図書館のようにうるさく言われないし、程よく集中できるらしかった。




「千佳はかたくなだよね」

 帰り道、渡辺が唐突にそう言ったので、千佳はちょっと身構えた。何がと問い返すことはしなかった。渡辺の視線の先に何があるのか、千佳には痛いほどわかっていたから。

 そこは、仁也と初めて会った場所だ。通りかかるたびに見上げてしまうのが嫌で、いつも早足に通り過ぎている。


「渡辺くん家そっちだよ。すぎちゃうよ?」

 渡辺は曲がるべき場所で立ち去らず、よりによって公園の前で立ち止まった。

 しかもわざわざ千佳の進行を邪魔する形で立つ。


「渡辺くん、背、伸びた? 男の子の成長はすごいね~。――痛っ」

 軽く頭を小突かれた。

「やめて。男の子とか、し――成長期とか言われると寒気がする」

 今、思春期と言いかけた。その言葉は彼のトラウマを刺激するらしい。


「うちの窓から、この公園が見えるんだ」

「うん」

 渡辺は千佳の手を引いて、狭い公園に踏み入った。

 木があって、ベンチがあるだけの最低限の公園だ。少し歩いただけで、端にたどり着いてしまう。


「なに? どうしたの?」

「地獄のゲート、開けないかなって思って」

「またあのへんてこな踊りを見たいの!?」


「いや、ごめんだけど。たださ、この辺にあいつらの出入り口があるっぽいんだよな。もうすでに存在しているゲートを開くんなら、ありだろ」

「なしだよ! なんだって急にそんなこと言いだすの」

「急にじゃないよ。あの日からずっと考えてた。会いたいんだろ? あいつに」


 千佳は慌てて首を振った。

「そんなこと――」

「あるだろ」

「ないよ」

「だったらなんでそんな顔してるんだよ」

「そんな顔?」


「君は……、あいつに会う前に、戻ったみたいだ。うつむいて、感情を殺して、平気なふりしてる」

「ふりだなんて」

「上でさえ気づくんだ。僕が気づかないと思う? ……ずっと、見てきたんだから」

「……そっか、ごめん。心配かけてたんだね。渡辺くんにも、あすかたちにも」

「謝ってほしいわけじゃない」


「ごめん。だけど、ゲートを開くなんて、言うのはやめて。渡辺くんにまで、会えなくなるのは嫌だから」

 渡辺は何か言いかけて、首に手をやり、結局口を閉ざした。そしてそのまま背を向けた。


「帰るの?」

「うん。また来週」

 渡辺は、振り返らずに手だけを振って去っていった。少し、落ち込んでいるみたいに見えた。




 その週の土曜日は、朝から蒸し暑く、勉強も読書も集中力が続かず、千佳は机の引き出しから練り香水を取り出した。

 仁也たちが来なくなってから、出番のなくなった練り香水は、底の方に、わずかに残るだけになっていた。


 使い切ってしまおうか、と思い立つ。

 村上からもらったハンドクリームはすでに使い切った。夏にチョコレートの匂いは暑苦しいからと、みんなでレモンの香りのものを新しく買った。


 この練り香水も使い切って、捨ててしまおう。

 さっきまで読んでいた本に、金木犀は秋の花だと載っていた。

 もともとこの辺りでは咲かない花だから、あまり気に留めていなかったが、季節感がちぐはぐだったんだなと嫌になった。


 それでも、すでに懐かしいと感じる香りを嗅いでいたら、ほろりと涙が零れ落ちた。

 指の先でそっと拭って、千佳は目を閉じた。

 このまま、泣いてしまおうか。

 泣いて、薄めて、忘れ去ってしまおう。

 そう思った矢先のことだった。


「千佳?」

 窓の外から、遠慮がちに声をかけられた。


 まず、目を開けた。信じられなくて、そのまま三秒ほどそうして、次に振り向いた。

 窓枠からそっとこちらを覗き込む、仁也よしなりの姿があった。

「泣いてるの?」

 とまどうようにそう言って、仁也は千佳の部屋に入ってきた。


「仁也、もう、会えないかと思った」

「うん。弥枝はそうするつもりだったみたいだな。ちょっと、妨害された」

「妨害、それで、来られなかったの?」

「いや、それだけじゃない。ちょっと、人殴って謹慎くらってた」

「なぐっ」


 予想外にやんちゃな理由だった。

「なんで、殴っちゃったの」

「それは言えない」

 仁也はきっぱりと言ってから、眉を寄せた。


「遅くなってごめん。ようやくこれた。千佳にはどうしても、会ってお礼を言いたかったんだ」

「お礼?」

「うん。形式的には、これまでの協力に感謝しますって言うやつだけど……、でもそれより」


 仁也はそっと千佳の手を取った。

「千佳、ありがとう。千佳のおかげで助かった。色々迷惑もかけちゃったけど、俺も、千佳と話すの楽しかったよ」

 形式ではなく、仁也の素直な言葉で、心の底から言ってくれているのだと思った。

 だから千佳も素直になった。


「仁也、来てくれてありがとう。嬉しい。もう会えないと思ってたから、寂しかったし正直ちょっと恨んだ。忘れてしまおうとも思った」

「……それは困る」

「困るの?」


「だって千佳、これが今生の別れじゃないよ?」

「え? どういうこと?」

「壁の修理は念入りにしたけど、死者は毎日やってくるし、地獄はすでにパンクしてる。穴はまた開くよ。そうなったときに、千佳にはまた香りを提供して欲しいんだ」

 仁也があっさりそういうので、千佳は笑い出したくなった。

 さんざん悩んだのに。なんなの、と。


「それが一年先か十年先かは分からないけど、そう遠くないうちに千佳にはまた会うことになるよ」

「一年と十年じゃだいぶ違うと思うけど……。だいたい、十年たったら、あたしすっかり大人になっちゃうよ」

「うん。千佳はきっと、きれいになるよ」

「そう?」

「請け負う」

 仁也がそう言ってくれたので、千佳はちょっと嬉しかった。くすくすと笑いあう。


「ねえ、仁也は?」

「ん?」

「十年後の仁也」

「俺はあんまり、変わらないと思うよ」


「じゃあ十年後も、あの弥枝さんて人にショタショタ言われてるんだ」

「うっ」

 仁也は顔をひきつらせた。


「そ、そう言えば弥枝にひどいことされなかった?」

「あたしより、渡辺くんが被害を受けてた」

「それはどうでもいいや」

「扱いひど」

 まあ、分かってたことだけど。


「あ、もう行かなきゃ。さっきも言ったけど、来るとき弥枝に妨害されてさ。青鬼と赤鬼にだいぶ助けてもらったんだけど、千佳あいつらに何かした? ずいぶん協力的だったけど」

「何かというほどのことは、してないと思うけど」

 床に吐き捨てられたとき、拾ってあげたくらいだろうか。


「今もちょっと頑張ってくれてるけど、限界っぽいから」

「そうなの。じゃあ、早く行ってあげて」

「うん。あ、ちょっと待って。さっきから気になってたんだけど」

 何が、と聞きかけた千佳の頬に、仁也が軽くキスをした。


 驚いて頬に手をやる千佳を見て、仁也はいたずらっぽく笑った。

「変なところに香りがついてるから」

「なっ!」

 さっき、涙を拭いたとき、指先に残っていた練り香水でもついたのだろうか。

 これはたぶん、ショタ呼ばわりしたことの意趣返しだ。


「ごちそうさま!」


 憎らしいほどさわやかな笑みを浮かべて、仁也は窓から飛び出していった。

 慌てて窓辺に駆け寄っても、もう姿は見えなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ