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封印

 部室の半分はもともと机や椅子が積み重なっているため少々手狭だ。

 そこに、八人もいるため息苦しいくらいだった。

 寝ている村上は動かせないので、とりあえず椅子だけでもと、手分けして端に寄せた。

 それからなんとなく四人で固まって立つ。

 その様子を退屈そうに見ていた弥枝が、千佳に向けてすっと手を差し出した。


「香りは持ってきてる?」

「ハンドクリームでもよければ」

「ふん。まあいいでしょう。さっそくだけど、香りの提供をしてほしいの。あなたと、あなたも」


「え? 先輩たちもですか?」

「ええ。そのための姿を見せたのですもの。あなたなら三人分でもまかなえそうではあるけれど、せっかくなので利用させてもらいましょう。ああ、心配しなくても、これ一回きりよ。さ、出して」

「え? いや、待ってください。先輩たちの意見も」

「はい。やります!」


 マリ先輩が挙手して、知宏先輩が悲鳴を上げた。

「マリぃ!?」

「だってこんな経験、めったに出来ることじゃないわ! 逃したら絶対後悔するもの。ふふっ、怖いなら知宏も眠らせてもらう?」

 マリ先輩はいたずらっぽく笑って村上を指さした。


「わあったよ! 俺もやればいいんだろ、やれば。てか、渡辺は?」

「僕の匂いは嫌いだそうで」

 渡辺が肩をすくめて見せると、知宏先輩は鼻で笑った。

 この二人はなぜか少々仲が悪い。


「で、千佳ちゃん。どうすればいいの?」

 マリ先輩がウキウキした様子で尋ねるので、千佳はポケットを探った。

 チョコレートの香りのハンドクリームを、マリ先輩の手、知宏先輩の手、そして自分の手のひらに乗せて丁寧に塗り込んでいく。

 知宏先輩は甘い香りが気持ち悪いらしく、ちょっと嫌そうだった。



「じゃあ始めるわよ」

 弥枝が透明な板を出現させる。どうやら彼女が代表するようだ。

 マリ先輩には雪永が、知宏先輩には一彦がつくらしい。雪永が嬉しそうなのがちょっとムカつく。


 あたりが暗くなった。

 先輩たちが、ぎくりとしたように首を巡らせる。

 空中に文字が浮かんだ。勢いのある太い文字だ。甲斐崎弥枝と読めた。他にも一彦、雪永、千佳、マリ先輩、知宏先輩の名が浮かぶ。これだけ人数がいると名前を探すだけでも大変だった。


「河原千佳、甲斐崎弥枝、双方の合意に基づいて――」

 弥枝はそこで一拍置いた。そして次に口を開いたとき、弥枝、一彦、雪永の声がきれいに重なった。


「あなたの香り、いただきます」


 弥枝は千佳の手を取った。

 ちらりと見た限りでは、雪永も一彦も先輩達の手の甲から食べているようだった。

「あら、よそ見? 余裕ね」

 不服そうにつぶやくと、弥枝は千佳の手のひらに、顔をうずめるように唇を寄せた。

 そしてそのまま千佳を見てほほ笑んだ。


「仁也はいつも、こんな感じ?」

 違うそうじゃない! 断じてそんな恥ずかしいことはされていない。

 千佳は懸命に首を振ったのだが、弥枝はなぜか目を据わらせた。

「お仕事とはいえ、仁也キュンからキスをもらえるなんて嫉妬で狂いそう」


 ポンと肩を叩かれて、振り返ると表情をなくした渡辺が立っていた。

「千佳、あのガキ、いつも千佳にあんなことを……?」

「ちがっ! 仁也は、手首だし! 食べてるだけで、き、キスとかじゃ」


 口にするだけで顔から火が出そうだ。

 弥枝に手をつかまれたままなので、右手で頬を押さえるが、できれば両手で隠したい。

「手首ってことは、こう?」

「あ、やめ、や――っ!」

 もはや、まともに言葉も話せない。ちょっと泣きそうになったところで、レモンサイズの青鬼が千佳と弥枝の間に入った。


「弥枝殿。その辺で」

 その隙に、渡辺が千佳を弥枝から引きはがした。

 ありがたいが、怒っている気配がするので振り向きたくない。


「それにしてもあなたの香り、とんでもなく甘いわね。ゲートを閉じたことといい、天道の連中がいかにも好みそうだわ。仁也が惑うわけね」

「それはどういう――」

 食ってかかろうとした渡辺の額を弥枝がつついた。


「いやん。思春期のゆ・ら・ぎ!」

「ずお」

 聞いたことのない悲鳴を上げて、渡辺が膝から崩れ落ちた。

 プライドの高い渡辺を一撃で沈めるその手腕に、千佳はすっかり震えあがった。


 弥枝はまったくのマイペースで、一彦たちを振り返る。

「一彦、雪永、あなたたちはなんともない?」


 一彦は肩をすくめた。

「直接食べるのは遠慮したい」

「俺はキョーミあるけど~」

 雪永は遠くを見た。千佳の匂いを嗅ごうとして仁也に首を絞められたことでも思い出したのだろう。

 先輩方はどうしたんだろうと目をやると、二人は床にへたり込んでいた。


「マリ先輩!? 一彦さん、どういうことですか?」

 一彦はやんわりとほほ笑んだ。

「うむ。休めばどうということはない」

「返事になってない!」


 ほかならぬマリ先輩のことなので、さすがの千佳もごまかされなかった。

 説明してくれたのは青鬼だった。

「千佳殿は、他の方よりも多く霊力を纏っておいでですので、香りを提供しても影響はありませんが、霊力の少ない方は少々疲労感を感じるようです」

「先に教えてください!」


「だ、大丈夫よ千佳ちゃん! 自分でやるって言ったのだから」

「マリ先輩!」

「千佳ちゃん俺は!?」

「知宏先輩は体力有り余ってそうだからいいですっ!」

「えーっ」

 思った通り、元気そうだ。




「さて、では行きましょうか」


 弥枝の鶴の一声で、千佳たちは場所を移動することになった。

 先輩たち二人と、眠る村上を部室に置いて。

 弥枝は、渡辺が地獄のゲートを開いた場所まで案内しろと千佳に命じた。

 つまり、千佳たちの教室だ。

 渡辺はまだちょっと立ち直れないらしく、青ざめて、ちょっとふらついている。


「あの、ゲートは閉じたんじゃなかったんですか? 一週間、普通に授業してたと思うんですけど」

 誰か間違って落ちたり、具合が悪くなったりしなかったのだろうか。

 説明してくれたのはやはり青鬼だった。


「閉じたことは確認しましたが、しきたりですので儀式をしなければなりません」

「渡辺くんに、危険はないんですよね?」

 千佳がそっと尋ねると、渡辺がはっと顔を上げた。

「問題ありません。ですが千佳殿はご不安でしょう。見学の許可が下りていますので」

 千佳がついていくのは、どうやら彼らなりの配慮だったらしい。


 教室に入ると、中に赤鬼がいた。

 弥枝たちを確認すると二メートルほどの鬼の姿に変身する。いつの間にか、青鬼も大きくなっていた。二人は金棒を手にしていた。


 千佳は教室の端の方にいるように言われたので、自分の席に座った。

 赤鬼と青鬼が窓辺に並び立ち、金棒を床に打ち付けた後、窓に向かって金棒を振りかぶると、床や壁を無視して丸い空間が出来上がった。


 即席の舞台の周りは真っ暗闇だった。そこで始まったのは奇妙な踊りだった。

 どこからともなく、気の抜ける祭り囃子が聞こえてきた。子供の声のような、調子はずれの歌声が、風に乗って遠くから届くように切れ切れに。



 かごめかごめをするように、渡辺を中央に座らせて、地獄の鬼たちがくるくると彼の周りで踊った。

 時に手を繋ぎ、時に手を叩き、半端に両手と片足を上げ、見るものを脱力させるような、子供同士が馬鹿にしあう時のような、絶妙に腹の立つ舞だった。


 渡辺は顔を引きつらせていたが、踊りが続くにつれ、次第に死んだ魚のような目になっていった。

 そんな地獄のような時間が二十分ほど続き、やがて踊りは唐突に終わった。

「もう、地獄のゲートなんて開いちゃだめよ!」

 弥枝が子供に言い聞かせるような口調で告げ、それに対し渡辺が「はい」と魂の抜けたような声で答えたことで、儀式が終了したようだ。


 弥枝たちが横並びになると、舞台は消え去り、教室が元通りになった。

 赤鬼と青鬼も同時に小さくなった。


 呆然としている渡辺の元に、駆け寄ろうかどうか迷っていたら、弥枝の方が先に千佳のそばにやってきた。

「あなたのこれまでの協力に感謝します。河原千佳」

「え?」


「壁の補修が終わり、亡者の回収も終わった。そして今、ゲートの封印も完了した。我々はこれで引き上げる。つまり、あなたの仕事もこれで終わりということよ。仁也に、何か伝言はある?」

 言われたことの意味を、千佳は考えて、そして頭が真っ白になった。


「……もう。仁也に会えないっていうことですか」

「ええ、そうね」


 ああ、雪永が何か言ってたっけ。別れの言葉を考えておいた方がいいとかなんとか。

 でもまさか。


「挨拶も、できないなんて……」

「あら、あなた、仁也から何も聞いてないの?」

 弥枝がことさらに驚いて見せた。

 仁也にとって、その程度の存在だったのね、そう言われた気がした。


「おい、ふざけるなよ!」

 怒りの声を発したのは、いつの間に復活したのか、渡辺だった。

「さんざん引っ掻き回してこれかよ! あいつ、あのガキ――」

「あら、まだ元気そうね」

 と弥枝に額をつつかれそうになって、のけぞる渡辺を見て、千佳はふっと笑った。


 渡辺がぎょっとしたようにこちらを見た気がしたが、千佳は構わなかった。

 もう少し、早く言ってくれれば。さっきの変な踊りを見ながら考えたのに。責めそうになるのを必死にこらえた。


 一彦と雪永にも視線を送ったが、彼らは気まずそうに目をそらすばかりだった。

 別れの挨拶をさせてくれないのは、たぶん、仁也の判断じゃない。

 そう思うと同時に、相反する思いが湧き上がってくる。

 ――どうして。どうして来てくれなかったんだろう。


 弥枝がこちらを見ている。早く何か言わないと。

 伝えたいこと。何だろう。

 お礼? お詫び?

 強く思ったのは、会いたいということ。

 だけどこれだけは、どうしたって伝えられない。仁也を困らせたくない。


 千佳は固く目を閉じ、小さく首を振った。

「ないの?」

 弥枝に問われてただ、頷いた。


「意外と薄情ね」

 たまらず顔を上げた。


 そして、ぽかんと口を開ける羽目になった。

 弥枝が雪永に羽交い絞めにされていた。

 一彦が笑顔で、弥枝の口に赤鬼と青鬼を突っ込んでる。


「やりすぎだ。弥枝」

 笑顔でひどいことをしている。青鬼も手に持っているが、そっちも突っ込む気だろうか。「やめてくだされ~」って震えててちょっとかわいそうだ。


 暴れる弥枝をがっしりと抑え込みながら、雪永が説得していた。

「だめだって! その子泣かせたら仁也に首絞められるよ! あいつマジだったもん」

 べっ、と。赤鬼を吐き捨てて弥枝は喚いた。


「それはご褒美だけれども!」

 弥枝の台詞に全員がドン引きした。


「じゃなくて、そもそもその子のせいで仁也キュンが――」

 一彦が弥枝に青鬼を突っ込んだ。

「あああああ」

 青鬼が哀れっぽい悲鳴を上げる。


 ぶべっ、それも吐き出して、弥枝は目を吊り上げた。

「何をするの! ほだされてるんじゃない! やっぱりほだされてるんじゃない!」


「というか、俺は仁也がこえー」

 一彦も隣でうんうん頷いているが、一彦の方こそ、怒らせたらヤバい人なのではなかろうか。


 千佳は、床でプルプル震える赤鬼と青鬼を拾い上げ、そっとハンカチで拭いてやった。

 隣に渡辺がやってくる。

「千佳、大丈夫?」

「うん。よく分からないけど、仁也には来られない事情があるみたい」


 だったら、湿っぽいことは言いたくない。千佳は一彦に青鬼と赤鬼を返し、精一杯笑顔を浮かべた。

 胸のつかえなんて知らないふりをしてしまおう。仁也が、少しの負い目も感じないように。

 できるはずだ。

 どんな時でも冷静に。それが千佳のモットーなのだから。


「仁也には、こう伝えてください。ありがとう。楽しかったって」


 地獄から来た人たちは、なにやらぎゃーぎゃー騒ぎながら、帰っていった。



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