5話 手作りのサンドイッチ
密会の現場を一緒に録画すると約束した。
そして、その日取りが決まった。
とある貴族の屋敷で開かれる夜会に、一緒に参加しようとエドガーから誘われたのだ。しかも、その夜会にはセシリアも来るらしい。
前世でも、リゼットはその夜会に参加した記憶がある。
あのとき、いつの間にかエドガーとセシリアの姿が見えなくなっていた。会場中を探しても、どこにもいない。しばらくして二人が何事もなかったように戻ってきたものの、リゼットは「どこに行っていたの?」とは聞けなかった。
今思えば、あのとき二人は落ち合っていたのだろう。ならば、今度こそ確かめてみせる。
(早速、フィルと計画を練ろう。)
フィルのいる工房へと向かうその前に、リゼットは厨房へ足を運んだ。
「お嬢様? 厨房に何か御用でしょうか」
料理人が目を丸くする。
その反応に、リゼットはこてりと首を傾げた。いったい、何をそんなに驚くことがあるのだろう。
「ええ。フィルへの差し入れのお弁当を作ろうと思って」
フィルは開発に没頭するあまり、食事を疎かにしがちだった。そのため、見かねたリゼットが弁当を差し入れることもたびたびあった。
二人が言葉を交わすようになったのも、それがきっかけだった。
「また商会の工房に行かれるおつもりですか?」
料理人に驚いた顔を向けられながら、リゼットはさっそく調理に取りかかった。
まずは食パンの耳を包丁で切り落とし、薄くバターを塗っていく。そこへハムとチーズを重ね、食べやすい大きさに切り分ける。
次に、彩りを添えるための野菜を用意する。洗ったレタスの水気を切り、トマトを薄く切る。茹でた野菜も少し添えて、弁当箱に収まりのいいよう整えていく。
前世で幾度となく繰り返した作業は、身体が覚えていた。フィルの好みも、記憶の中にしっかりと残っている。
「そうよ。フィルったら、また食事を抜いて開発に没頭しているに違いないもの」
「しかし、お嬢様はご婚約が決まったので、もうお弁当などの差し入れはなさらないのかと思っておりました……」
その言葉に、リゼットは手を止めた。
言われてみれば、1度目の人生では婚約が決まってから、フィルに差し入れをすることはなくなっていた。
最期に会ったのは確か……屋敷を出て嫁ぐ前、別れを告げたときだった。あのときのフィルの言葉を、リゼットは今でも覚えている。
『お嬢様、お元気で。どうか……お幸せに』
そう告げた彼は、いつもの穏やかな笑みを浮かべようとして、うまくいっていなかった。ほんの少し眉を下げた、どこか寂しげな顔。声の端が、かすかに揺れていた気がする。
大げさだと思った。嫁いだところで、会えなくなるわけではない。里帰りすればまた顔を見られるのだからと、リゼットは軽く頷いて笑い返しただけだった。
けれど、その「いつか」は訪れなかった。実家へ戻ることはなかなか許されず、結局二度と会うことはなかった。
「……嫌ね」
リゼットは小さく笑った。
再び手を動かし、出来上がったサンドイッチを弁当箱へ詰めていく。
「フィルは大切な従業員だもの。労わってあげるのは、普通でしょう?」
さっと弁当を包むと、料理人に見送られながらリゼットは厨房を後にした。
***
工房に着くと、案の定、フィルは机に突っ伏すようにして作業に没頭していた。傍らには、冷めきったお茶の入ったカップが放置されている。
「フィルっ!」
声をかけると、彼はびくりと肩を震わせて顔を上げた。
「お、お嬢様……? また、いらしたんですか」
驚いたような、けれどどこか嬉しそうな声だった。
「差し入れよ。ちゃんとお昼は食べているの?」
リディアが布に包んだ弁当箱を差し出すと、フィルは一瞬、目を丸くした。
「そ、そんな……わざわざ、良いですのに……」
そう言いながらも、差し出された弁当から目を離せない。
「良くないわ。どうせまた、食事も摂らずに作業しているんでしょう?」
「……」
図星なのか、フィルは気まずそうに黙り込んだ。
「もう」
リゼットは呆れたように息を吐いた。
昔からそうだった。魔道具のことになると周りが見えなくなり、食事も睡眠も後回しにする。何度注意しても直らないのだから、こちらが気をつけてやるしかない。
「ほら、今日はここで食べてちょうだい」
「……はい」
フィルは弁当箱を受け取った。
その手が、ほんの少し震えていることにリゼットは気づかなかった。
「今、お茶を淹れてあげるわ」
「そ、そこまで、お嬢様にさせるのは……」
「ふふ、気にしないで。お茶を淹れるぐらい、慣れてるもの」
そう言って、工房に備え付けられている湯沸かし用の魔導具にやかんを置く。ほどなくして、かすかな音を立てながら湯が沸き始めた。
「食べ終わったら、計画の話をしましょう。今度の夜会のこと」
「夜会、ですか……?」
「ええ。エドガー様から誘われたの。セシリアも来るそうよ」
その名前を聞いた途端、フィルの表情がわずかに曇った。
「そう、ですか」
「ええ。だから、あなたにも協力してほしいの」
「僕にできることなら、何でもします」
即答だった。
「……ありがとう。頼りにしているわ」
そう言えば、フィルの口元にかすかな笑みが浮かんだ。
「……はい」
その声は、いつもより少しだけ嬉しそうだった。
フィルは弁当の包みを開けながら、少し困ったように視線を泳がせた。
「お嬢様は昔から、こうして時々、僕のことを気にかけてくださっていたので。……ようやく、恩返しが出来そうで嬉しいです」
「やだ、フィルは商会の大事な魔道具師なのよ。お弁当の差し入れで、そんな恩に着なくて良いわ」
「それでもです」
サンドイッチを一口齧ったフィルが、ぽつりと感想を零す。
「……サンドイッチ、美味しいです」
短い言葉だったが、その表情はどこか照れくさそうで、嬉しさを隠しきれていないように見えた。
リゼットは、なぜだか視線を逸らした。
1度目の人生でも、こうして彼の好みに合わせて弁当を作っていたことを思い出す。けれど、あの頃はただの気遣いだった。忙しなく働く彼を見かねて、当たり前のように差し入れをしていただけだった。
けれど――ふと、前世のある日のことを思い出す。
婚約者のエドガーと、なぜかセシリアも一緒に出かけたピクニック。リゼットが手作りの弁当を持参すると、二人は顔を見合わせて笑った。
『平民みたいに料理なんてしなくていいんだよ。料理人に任せればいい』
『そうよ。伯爵夫人はそんなことしないわ。もっとしっかりお勉強しなきゃいけないわね』
そう言って、二人は弁当には手をつけなかった。
料理人が作るものに比べれば、リゼットの料理は所詮素人の手料理だ。
食べてもらえなくても仕方がないと、自分に言い聞かせた。それでも、寂しかったのを覚えている。
けれど、今。こうして自分が作ったものを、フィルは美味しそうに食べてくれている。
フィルは大きな口を開けて、齧りついている。頬に少しだけ食べかすをつけたまま、もう次に手を伸ばしていた。ひと口食べるたびに、ほんの少しだけ目を細める。
手作りの弁当を食べてくれた、それだけのことなのに。
そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
「……あなたが、ちゃんと栄養のあるものを食べているか心配なだけよ。倒れられでもしたら、こちらが困るもの。だから、本当に気にしないで……」
わざと素っ気なく言ってみせたが、頬が熱くなるのを止められなかった。
「……はい。ちゃんと食べます」
フィルは素直にそう答え、また一口、サンドイッチを頬張った。その横顔を見つめながら、リディアはふと思う。
(……本当に美味しそうに、食べるのね。)
一度目の人生で、この男の存在を、こんなにも近くに感じたことがあっただろうか。
大きな体に似合わず不器用で、何かと手のかかる人。リゼットにとっては、まるで弟のような存在だった。少なくとも、異性として意識したことは一度もない。今だって、それは変わらない――はずだ。
けれど、なんだろう。
こうしてフィルを眺めていると、胸のあたりが少しだけ落ち着かない。
「……変なの」
嫌な感じではない。
けれど、どうしてそう思うのか、自分でもよく分からなかった。
「何がですか?」
「え?」
突然、フィルが顔を上げた。
「い、いえ。なんでもないの」
慌てて誤魔化すと、フィルは不思議そうに首を傾げた。
「それより、頬にパンくずがついてるわよ」
話題を変えるように指摘して、ハンカチを取り出す。さっと拭おうと手を伸ばした瞬間、フィルが途端に慌てだした。
「っ、自分でできます!」
その反応に、思わず口元がゆるんだ。
きっと、二度目の人生だからだ。前世では見過ごしていたことが、今はひょんなきっかけで目に飛び込んでくるようになっただけ。
そう思うことにした。
「それじゃあ、夜会の話をしましょうか」
ゼットは気持ちを切り替え、本題を切り出した。
フィルも頷き、食べかけのサンドイッチを口の中に詰め込んだ。沸かした湯で紅茶を淹れると、二人はテーブルを挟んで向かい合う。
そして、今度の夜会でエドガーとセシリアの関係を暴くための作戦会議を始めた。





