第七十三話 今日の決定を、お忘れなきよう
メイの問いに、誰も答えなかった。
その沈黙を破ったのは、アマラだった。
「念のため、別の選択肢も示しておくわ」
アマラが端末を操作した。
立体図の上空に、もう一つの小さな球体が浮かび上がる。
「企業連合が保有する衛星の生産施設を、居住区に改装したわ。企業連合の人間以外にも、百万人分の枠を用意できる」
室内がざわめいた。
「条件は?」
「一人あたり、一億クレジット」
沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのは、ミリアだった。
「それは、富める者だけが生き延びるための計画です」
穏やかな声だった。
だが、膝の上で組んだ手が震えていた。
「地上には、一億クレジットどころか、明日のパンを買うお金もない信徒が大勢います。私は、その人たちを置いていくことはできません」
「あなたの国はいいわよね」
アマラは微笑んだまま言った。
「神託の石の出現場所は少ないし、遠い。物理法則を鼻で笑うような障壁も、歩く要塞みたいな騎士たちも大勢いる」
「そういう話をしているのでは――」
「そういう話よ」
アマラの声は、あくまで柔らかかった。
「善意で全員を救えるなら、私だってそうするわ。衛星は、乗せれば終わりじゃないの。食料も酸素も、何十年と供給し続けなければならない。その費用は誰が払うの?」
ミリアが唇を引き結ぶ。
「少数を衛星へ逃がせば、その少数は生き延びるだろう」
シアーダが口を開いた。
「だが、衛星居住区の資源は乏しい。そこで体制を立て直し、再び惑星を奪い返すのは不可能に近い」
「恒星間を航行できる船は?」
「技術的には建造可能だ」
ソフィヤが答えた。
「資源がない。どの勢力にもな」
「ならば、地上で決着をつけるしかないな」
シアーダが言った。
そう言ってから、シアーダはアマラへ視線を向けた。
「グラディエンは、非戦闘員の軌道上への退避を進める」
「お客様が一人、ね」
アマラが満足そうにうなずいた。
「兵士たちは?」
アマラが尋ねる。
シアーダは迷わず答えた。
「われわれは一人ひとりが戦う力を持ち、自らの共同体を守る責任を負っている。地上で生き残りを賭けて戦う」
「学院としては、検討に値する提案だ」
ソフィヤが言った。
「学院の地下には、まだ眠ったままの住人たちがいる。彼らを居住区へ移せるなら、前向きに考えたい」
「私は、生産設備に被害が出る前に、東部の出現地点を潰したいわ」
「我が国の領土にある石に、手出しは無用です」
メイが言った。
「神託の石の構造を解析できれば、惑星の意思伝達の仕組みが分かるかもしれません」
「あなたの国境側の石なら好きにして」
アマラは手を振った。
「私の工場の隣にあるものは、明日にでも潰したいの」
最終的に、ソフィヤがまとめた。
「当面は各勢力で防衛と調査を進める。有事の際には、学院の軌道兵器とエイユが対処にあたる」
全会一致ではなかった。
だが、誰も反対しなかった。
いや、正確には、誰も反対できなかったのだ。
軌道兵器を持っているのはソフィヤだけで、惑星とつながれるのは俺だけなのだから。
◇
「第三議案」
ソフィヤが議題を読み上げかけて、一瞬だけ言葉を止めた。
「……エイユの身柄引き渡し要求について。起案者は、人民秩序共同体」
室内の空気が、明らかに変わった。
メイが、ゆっくりと立ち上がる。
「その男は、我が国の先代、先々代の第一書記が亡くなった事件に深く関わっています。人民秩序共同体にとっては、紛れもないテロリストです」
黒い瞳が、まっすぐ俺を捉えた。
「さらに、学院とともに緑環同盟の領地へ押し入り、セレスタを殺害しています」
視線が集まる。
「そして」
メイは、卓の中央に浮かんだままの立体図を指した。
「その男は、惑星と通じています」
最後の一つは、否定しづらかった。
「だめよ」
アマラが言った。
「彼は私の友人なの。それに彼を引き渡して、惑星との交渉手段を失うつもり? あなたの国だけで責任を取れるのかしら」
「同感だ」
シアーダが続いた。
「エイユは我が国で訓練を受け、共に戦った戦友だ。引き渡す理由がない」
「言いがかりはやめてほしい、メイ」
ソフィヤが言った。
「事件を起こしたのは、君の国の連中だろう。第一書記を殺したのもそうだ。エイユは巻き込まれただけだ」
「ですが、エイユがレジスタンスの構成員とともに行動していたのは事実です。学院の人間ともです」
メイの声は揺れなかった。
「共謀して、暴動を扇動したのでしょう」
「それは、君たちが学院でしたことじゃないかね」
ソフィヤの声が冷えた。
「エイユを騙してセキュリティを解除させ、学院を破壊し、研究を盗んだだろう?」
「根拠のない推測です」
「テロリスト、か」
低い声が割って入った。
シアーダだった。
彼女の目が、刃物のように光った。
「第四要塞が陥落したとき、撤退しきれなかった我が国の兵士たちがいた。あの者たちを醜い怪物に変えてくれたのは、どこの国だったか」
「それも、根拠のない噂です」
それだけ言って、メイは口を閉ざした。
室内に、張り詰めた沈黙が満ちる。
「皆さん」
それを破ったのは、ミリアだった。
「誰が何をしたのか、それぞれ言い分があるのだと思います。けれど、それはいったん置きましょう」
ミリアは俺の方を向いた。
「エイユさんは、かつて私たちによって異端者とされました。あのとき、私たちは彼の言葉に耳を傾けず、裁こうとしたのです。私は、同じ過ちを繰り返したくありません。」
逃げ場はなかった。
だが、逃げるつもりもなかった。
「セレスタは、もう惑星に飲まれていた」
俺は言った。
「最初に会ったときには、まだ人の形をしていた。でも、話しているうちに分かった。あれはもう、セレスタ自身の意志じゃなかった」
誰も口を挟まなかった。
「俺が神託の石に触れたら、石が割れた。そのとたん、セレスタが襲いかかってきた。殺されかけた」
あのとき、セレスタの目の奥にいたものを、うまく言葉にすることはできなかった。
人間の目ではなかった。
もっと大きくて、もっと古いものが、彼女の体を使って俺を見ていた。
ただ、最後の言葉だけは、言えなかった。
本当の怪物は、あなたよ。
あれは、惑星の声じゃなかった。
「ノインが最後に送信した戦闘記録がある」
ソフィヤが端末を操作した。
卓の中央に、映像が浮かび上がった。
ノインの視点から記録された、あの日の光景だった。
異様な姿に変わり果てたセレスタ。
割れた石。
俺へ伸びる、人のものではない腕。
映像が終わると、しばらく誰も口を開かなかった。
ミリアが、両手を胸の前で組んだ。
「神々の僕は、身柄の引き渡しに反対します」
そして、俺を見て微笑んだ。
「あなたは、私たちの大切な仲間です。私は、エイユさんを信じます」
「採決に移る」
ソフィヤが言った。
賛成一。反対四。
議案は否決された。
メイは表情を変えずに着席した。
「承知しました」
そう言ってから、彼女は卓の中央に浮かぶ立体図へ視線を移した。
「ただ、一つだけ記録に残しておいてください」
黒い瞳が、再び俺を捉える。
「その男が惑星と通じていること。そして、その危険性を承知の上で、身柄の引き渡しを拒否したことを」
メイは静かに続けた。
「いずれ何が起ころうとも、今日の決定をお忘れなきよう」




