第七十二話 世界を救う切り札は、俺らしいです
張り詰めていた室内の空気が、わずかに揺れた。
円形の会議卓。六つの席のうち、埋まっているのは四つ。
その四つの視線が、一斉に俺へ集まった。
人がどんな顔で人を迎えるかを見れば、その人となりはだいたいわかる。
顎をひとつ引くだけで済ませるシアーダの、無骨な労い。
法衣の胸元を握りしめかけて、すぐに聖女の微笑みへと戻ったミリアの、まだかすかに震える指先。
脚を組み、端末越しに視線だけを寄越しながら、それでもわずかにほどけたアマラの目元。
そして背筋を伸ばし、書類の上で拳を握り込んだまま、黒い瞳で俺を射抜くメイの沈黙。
だが、迎える顔のない席からも、わかることはある。
六つ目の席は、空いたままだった。
緑環同盟。セレスタの席だ。
あの最期を思い出しかけて、俺は視線を外した。
◇
席に着いたソフィヤが、手元の端末を操作した。
卓の中央に、議題の一覧が浮かび上がる。
「第一議案。生態系保護条約の撤廃について。起案者は企業連合」
「惑星への対応を先に話すべきだ」
シアーダが即座に口を挟んだ。
「大丈夫。すぐにまとまるわ。それに、惑星の対処とも無関係じゃないもの」
生態系保護条約。
原生生物の駆除、保護区域への立ち入り、資源の採掘、そして遺伝子操作。
それらに制限をかけるため、各勢力が過去に結んだ取り決めらしい。
「未踏領域の大半は、条約上の保護区域よ」
アマラが言った。
「条約がある限り、軍も重機も入れられない。何かが起きてから手続きを始めていたら、間に合わないわ」
「グラディエンは撤廃に賛成する」
シアーダの答えは早かった。
「人類の生存と防衛が優先だ。原生生物の保護など、生き残ってから考えればいい」
「生き残ったあとに、何が残っていればいいのかね」
ソフィヤが、端末から目を上げずに言った。
「学院は反対だ。生物も生態系も、一度失えば二度と再現できない。研究資源の喪失は、人類の損失でもある」
「研究のために死ねと、兵に言えというのか」
「そうは言っていない。君の兵を救う薬が、まだ名前もない草の根に眠っているかもしれないと言っているんだ。焼き払えば、それごと消える」
二人の視線がぶつかり、卓の上の空気が硬くなる。
「神々の僕も、反対します」
ミリアが静かに言った。
「原生生物もまた、神々の御業によって造られたものです。人の都合で消し去ってよいものではありません」
「だがその神々の造物が、我々の国境の集落を食ったではないか」
「人間は神から自然界を支配する権限を与えられた特別な存在。神聖な人命を害する獣を退けることは、罪ではありません。ですが、罪なき獣まで滅ぼすことを、神はお望みにならないでしょう」
「なぜあなた方は、獣に罪を問うのか」
メイが口を開いた。
「我々は生態系とは、捕食と分解と繁殖の連鎖に過ぎないことを知っています」
全員の視線がメイへ向いた。
「同時に、人間には、自らを理解し限界を越える力があります。獣と同じだと認めたくないから手段を捨てる、というのは、可能性を自ら狭めるだけです」
淡々とした声だった。
ミリアの組んだ指に、力がこもった。
「……人が神の業を理解し限界を越えることを、神は禁じておられません。ですが、そのために他者の魂を踏みにじることまで、お許しになったわけではありません」
賛成三。反対二。
数の上では、もう決まっていた。
ミリアが手を挙げた。
「遺伝子操作に関する条項だけは、残していただきたいのです」
「神の創造物を作り変えるのは傲慢だ、という話なら――」
「それだけではありません」
メイの言葉を、ミリアが遮った。
「遺伝的に異質なものが野に放たれ、繁殖すれば、元に戻すことはできません。それは信仰の問題である前に、ここにいるすべての国の問題でしょう」
「その点については、学院も同意する」
ソフィヤだった。
「改変生物の拡散は、研究対象である生態系そのものを汚染する。理由は違うが、結論は同じだ」
メイの眉が、わずかに動いた。
「いいわ」
アマラがあっさりと言った。
「遺伝子条項は残しましょう。私が欲しいのは採掘権と立ち入りだもの」
「グラディエンはどちらでも構わん」
修正案は、賛成四、反対一で可決された。
メイは何も言わなかった。
次の議題へ移る前に、ソフィヤが小さくつぶやいた。
「セレスタがいたら、こうはいかなかっただろうな」
俺は、空いたままの席を見た。
空いた席の前で、セレスタの声が蘇った。
話す前に、終わらせてしまうのね。
俺は、何も言えなかった
◇
「第二議案。惑星への対応方針について。起案者はアカデミア統合理院」
卓の中央に、巨大な球体が浮かび上がった。
この世界の立体図だ。
ソフィヤは、そこに無数の光点を重ねた。
「結論から言おう。これまで我々が『目覚める怪物』と呼んでいたものの正体は、惑星そのものだ」
誰も笑わなかった。
各国の首脳は、事前に資料を受け取っている。
だが、改めて言葉にされると、室内の温度が下がったような気がした。
探していた怪物は、ずっと足の下にいたのだ。
「この光点が、神託の石の出現場所だ」
ソフィヤが指を滑らせる。
「惑星の意志が、地表へ浮かび上がる結節点と考えている。人間で言えば、神経の束が皮膚の近くを通っている場所だな」
「放っておけば、どうなる」
シアーダが聞いた。
「石の周辺から、惑星の意志に属する原生生物が湧き出し続ける」
黒曜石の戦士たちを思い出した。
坑道の奥で目覚めた、あの継ぎはぎの怪物も。
あれは前触れなどではなかった。
惑星が、自分の体を守るために生み出した兵士だったのだ。
ここまでは、全員が黙って受け入れた。
問題は、光点の分布だった。
大陸の東側。
まだ誰も足を踏み入れたことのない未踏領域に、光点が密集している。
そして、その未踏領域と国境を接しているのは、企業連合と人民秩序共同体だった。
「……ずいぶん、気前がいいのね」
アマラが、頬杖をついたままつぶやいた。
笑みは崩れていない。
だが、外れくじを引かされた客のような、隠しきれない不機嫌さが滲んでいた。
一方、メイは食い入るように立体図を見つめていた。
「原生生物は個体の境界を持たず、惑星という全体の意思に従って動いている。細胞が、一つの身体を構成するように」
黒い瞳に、かすかな熱が宿る。
「興味深い構造です」
嫌な食いつき方だった。
「敵だ。倒す」
シアーダが言った。
これ以上なく単純明快だった。
「賛成よ」
アマラが即座に乗った。
「討伐費用は企業連合が持つわ。その代わり、討伐後の未踏領域の開発権はいただく」
「金の話は後にしろ」
「後にしたら、誰も払わないでしょう?」
シアーダは国と同胞を守るため。
アマラは工場と市場を守るため。
動機はまったく違うのに、出てくる結論だけが同じだった。
「だが、相手は惑星そのものなのだろう。どうやって倒す」
答えたのはソフィヤだった。
「学院の第一研究所で、ある軌道兵器を研究していた」
立体図の外周に、小さな光が灯る。
「軌道上から惑星の地殻深部に広がる神経系――我々がそう呼んでいる情報伝達網へ、直接打撃を与えられる」
「そんなものを隠していたのか」
シアーダの声が低くなった。
室内の力関係が、静かに入れ替わったのが分かった。
討伐を主張する二人は、ソフィヤ抜きでは惑星に勝てない。
「本来、学院は惑星の破壊に反対の立場だ。惑星は、この世界で最大の研究対象だからな」
ソフィヤは指を二本立てた。
「兵器の使用には条件がある。学院による研究権の確保。そして、破壊範囲の限定だ」
「交渉上手ね」
「君に言われると光栄だ」
アマラとソフィヤの間で、薄い笑みが交わされた。
「そして、軌道兵器は惑星を倒すためのものではない」
ソフィヤの視線が、俺へ向いた。
「弱らせるためのものだ。惑星の防御反応が低下したところで、エイユに神託の石へ触れてもらう。彼の意識を、惑星の本体まで送り込む」
全員が俺を見た。
「交渉し、失敗すれば対決する」
「……分かってる。もう聞いてる」
俺は答えた。
ソフィヤとは、事前に何度も話し合っていた。
怖くないわけではない。
前に石へ触れたときは、アレイシアが引き戻すと言ってくれた。
今度は、その声すらない。
だが、惑星と話せる可能性がある人間は、今のところ俺しかいない。
「惑星と対話する人間」
メイが、俺を見ていた。
「やはり、あなたは惑星と通じているのですね」




