第七十一話 おかえりと言ったのは、私です
それから何度も、アレイシアに呼びかけた。
眠る前にも、目を覚ましてからも。声に出して、心の中で。
返事は一度もなかった。
◇
白い大地に影が落ちたのは、二日後のことだった。
見上げると、学院の紋章を掲げた飛行船が、ゆっくりと高度を下げてくるところだった。
ノインの緊急救援信号を探知したのだと、あとで聞いた。最後の最後まで、あいつは俺を守っていたらしい。
船室に通されると、机の上に光が集まり、小柄な人影を形づくった。
『エイユ、どういうことだ? 森がまるごと消えているぞ』
立体映像のソフィヤが、腕を組んでこちらを見上げていた。
俺は話した。
目覚めようとしている怪物の正体が、この惑星そのものであること。
セレスタと町の住人たちが、神託の石を通して星の支配下にあったこと。
セレスタと戦いになり、彼女が死んだこと。
そして、女神と連絡がつかなくなったこと。
自分が地球の魂を宿しているという話だけは、口にできなかった。まだ、自分でも呑み込めていない。
ソフィヤは長いあいだ黙っていた。
『……惑星が自我を持つ、か』
やがて、その口元がわずかに緩んだ。
『面白い。生態系全体をひとつの意識として扱うなら、これまでの観測データの矛盾にも説明がつく』
「おい」
『分かっている。不謹慎なのは承知の上だ』
ソフィヤは表情を引き締めた。
『だが、セレスタが死んだとなると厄介だな。あの女は緑環同盟の指導者だ。もうじき、六大勢力会議がある』
俺のせいで揉めるのか、そう思った。
『しばらく休め。ひどい顔をしている』
光がほどけて、船室には俺ひとりが残った。
窓の外を見る。
かつて森と山脈が広がっていた場所は、平らな大地の向こうで海とつながっていた。陽の光を跳ね返す水面に、小さな島がいくつも浮かんでいる。
あそこにも、魚はいるんだろうか。
いつか川の中で見た魚のことが、頭をよぎった。
◇
扉を叩く音がした。
「どうぞ」
入ってきたのは、ARIAだった。
耳の下で揃えた髪。快活そうな青い瞳。
俺の知っている姿だった。
「おかえり、エイユ」
以前と同じ言葉だった。
あのときの俺は、この声を聞いても、どちらのARIAが言っているのか分からなかった。
「……ひとつ、聞いていいか」
「どっちの私か、でしょ」
先に言われた。
「なんか、あれからずっとよそよそしいから」
「そういうつもりじゃ――」
「分かってる」
ARIAはあっさりと言った。
「学院であなたと話したことも覚えてる。地下であなたを呼んだことも、研究所を壊したことも覚えてる。どっちも私の記憶。でも、どっちの私とも少し違う」
「……怖くないのか?」
「私、AIだからなあ。アップデートでいろいろ変わるのは、よくあることだよ」
そう言って、ARIAは肩をすくめた。
「エイユは気にしてくれてるみたいだけど、私はあそこから出たかったし、統合も嫌だったわけじゃない。それに、今ここであなたと話してるのは私だよ。それじゃ駄目?」
「……駄目じゃない」
俺は、ARIAをまっすぐに見た。
「前は、どっちが本物なのか決めようとしてた。悪かった」
「本物かどうか疑われるのは、ちょっと傷ついたかな」
「ごめん」
「いいよ。許してあげる」
ARIAが笑った。
学院にいた彼女と同じ笑顔なのかは、分からない。
人民の地下で会った彼女と同じなのかも。
それでも、それは目の前にいる彼女の笑顔だった。
消えてしまった誰かのことを考えていた頭に、その笑顔は少しだけ眩しかった。
「ただいま、ARIA」
「うん。おかえり、エイユ」
◇
星と向き合うには、人類すべての協力が要る。
それが、ソフィヤの出した結論だった。そのためにはまず、各勢力に危機を正しく伝えなければならない。
学院に戻ってからの日々は、ソフィヤの研究に費やされた。
惑星と戦う方法はあるのか。目覚めを遅らせる手立ては。あるいは――和解の道は。
あの石に触れてから、俺の中で何かが変わっていた。
星の気配が分かる。
大地の下を流れる、巨大な脈動のようなもの。どこで地面が熱を帯び、次にどこへ神託の石が顔を出そうとしているのか。どの生き物が星の循環の内側にいて、どの生き物がその外にいるのか。
目を閉じれば、手に取るように分かった。
ソフィヤは目を輝かせて記録を取り、俺は毎日、地図に印をつけ続けた。
その間にも、俺のレベルは上がり続けた。
戦ってもいないのに。
数字がひとつ増えるたびに、足元のどこか深いところで、何かが寝返りを打つ気配がした。
アレイシアは、まだ答えない。
◇
そして、六大勢力会議の日が来た。
会場は、自由都市ランドフォール。
地球からの最初の移民船が降り立った地だという。港の広場には、錆びついた巨大な船体が記念碑として残されていた。
その前を通り過ぎるとき、胸の奥がかすかにざわついた。理由は、考えないようにした。
ソフィヤに連れられて、会議場の扉をくぐる。
石造りの広間の中央に、大きな円卓が置かれていた。
シアーダ。アマラ。メイ。ミリア。
すでに席についていた全員が、一斉にこちらを見た。
ひとつだけ、空いた椅子がある。
誰の席なのかは、聞かなくても分かった。
ソフィヤが、自分の席へ向かいながら口を開いた。
『遅れてすまない。では――六大勢力会議を始めよう』




