第六十九話 護衛任務、完了
気づくと、草原に倒れていた。
神託の石へ、無数の亀裂が走っている。
白い破片が崩れ落ち、内側から黒い液体が染み出していた。
「何が……」
何が起きたのか、分からない。
セレスタが石の前に膝をつく。
「神託の石が、あなたの中に別の星を見た……」
セレスタが、ゆっくりと俺を見る。
「ああ……アレイシア。あなたは、なんということをしたのですか」
その表情が、驚愕から理解へ変わった。
「星の魂を人の器に閉じ込めるなど、人としても、星としても……あってはならない」
「何の話だ?」
『エイユ、逃げて!』
セレスタが立ち上がった。
さっきまでの優しい表情は消えている。
「その男を殺せ」
集落から同行していた使用人たちが、一斉にこちらを向く。
「星の魂を、星へ返すのです」
使用人の皮膚が裂けた。
服の下から銀色の甲殻が現れ、腕が節のある長い脚へ変形する。背中から濡れた翅が広がった。
ノインが俺の前へ出た。
腕部装甲が開き、銃身が展開される。
光弾が、一体の胸を撃ち抜いた。
「くそっ、どうなってるんだ!」
俺も銃を抜く。
飛びかかってきた一体を撃つ。
頭部が吹き飛んだ。それでも、身体は止まらなかった。
セレスタは、崩れかけた神託の石へ、ゆっくりと手を伸ばした。
草原の草の間から、銀の虫たちが一斉に飛び立つ。
無数の光は彼女の背に集い、左右へと広がって、天の使いの翼を形作った。
地の底からは甲虫の群れが這い上がり、幾千もの硬い殻を打ち鳴らした。
羽音は高らかな角笛のように轟き、その響きの中で、彼女の身を覆い、漆黒の鎧と剣となった。
それは、人のために遣わされた天使ではなかった。
楽園を――この星を守るために遣わされた、御使いであった。
「万象を見通す深淵の叡眼――アカシック・アナライザー」
《復讐の使徒 セレスタ》
《所属:惑星》
《レベル:78》
《攻撃力:400》
《防御力:550》
《素早さ:450》
「勝てるわけないだろ……」
セレスタが翼を広げた。
一瞬で姿が消える。
次の瞬間、ノインの胸部装甲が斜めに裂けた。
ノインは俺を抱え上げ、地面を蹴った。
《学院へ緊急救援信号を送信》
《護衛対象の離脱を優先》
「待て、ノイン!」
銃撃しながら草原を走る。
背後から銀色の羽根が矢のように降り注ぎ、地面を次々と穿った。
前方には、あのねじれた森が広がっている。
入口まで到達すると、ノインは俺を地面へ下ろした。
「お前は?」
ノインは俺の胸を押した。
その力で、森の中へ突き飛ばされる。
「一緒に逃げるんだよ!」
ノインはこちらも見ずに、一体でセレスタへ向かっていた。
逃げろ、そう言っているようだった。
学院でも特に高性能な戦闘機械。
腕、肩、胸部から、すべての武装が展開される。
砲撃が草原をえぐり、爆炎が銀色の翼を包み込んだ。
炎の中から、セレスタが飛び出す。
虫の剣と、ノインの腕部刃が衝突した。
一撃。
二撃。
ノインの左腕が飛んだ。
それでも右腕で撃ち続ける。
セレスタの鎧が剥がれ、無数の虫が地面へ落ちた。
ノインが彼女の翼をつかみ、そのまま地面へ叩きつける。
まだ戦える。
そう思った直後。
セレスタの剣が、ノインの胸を貫いた。
《警告。護衛対象の離脱を確認しました》
抑揚のない声が、森の入口まで届いた。
ノインの声を聞いたのは、それが初めてだった。
《これより、自律防衛プロトコルを実行します》
セレスタが剣を引き抜く。
ノインは倒れなかった。
残った腕で彼女の脚をつかみ、俺のいる森とは反対側へ投げ飛ばす。
それから、ゆっくりとこちらを向いた。
片方だけ残った目が、赤く明滅する。
《動力炉、臨界まで残り十秒》
《周辺の職員は、速やかに退避してください》
「……おい」
駆け出そうとした足を、何かが止めた。
『エイユ、行っちゃ駄目!』
分かっている。分かっているのに、身体が前に出ようとする。
ノインの胸の奥から、白い光が漏れ始めた。装甲の継ぎ目という継ぎ目から、光が細く伸びていく。
《護衛任務――》
一瞬、音声が途切れた。
《――完了》
光が、すべてを呑み込んだ。
遅れて、轟音と熱風が森の入口を叩きつける。枝が折れ、葉が舞い、俺は地面に投げ出された。
耳鳴りが止まない。
顔を上げると、ノインが立っていた場所には、黒く抉れた大地だけが残っていた。
石の方角は、立ちのぼる煙に覆われて何も見えない。
『……行こう、エイユ』
アレイシアの声が、震えていた。
『ノインが、作ってくれた時間なんだから』




