第六十八話 星の見る夢
食堂の窓から、美しい庭園が見えた。
草花が鮮やかに色づき、池の周囲では、銀色のソウル・フライが穏やかに舞っていた。
温かいパンをちぎり、薬草のスープへ浸す。
温かい。
昨夜、夢の中で食べた鮭とは違う。だが、ちゃんと味がした。
「よく眠れましたか?」
向かいに座るセレスタが尋ねた。
「変な夢は見たけど、よく眠れたよ」
「森へ入った者は、しばらく夢と現実の境界が曖昧になることがあります」
「……よくあることなのか?」
「ええ」
やはり、この人と話していると落ち着かない。
穏やかな口調で、理解できないことを当然のように口にする。
「セレスタ」
「はい」
「神託の石と話す」
『エイユ』
アレイシアの声が響いた。
不安そうだった。
「石なら、目覚める怪物の居場所が分かるかもしれない。倒すにしても、止めるにしても、何も知らないままじゃ選べない」
セレスタは、驚かなかった。
最初から、そう答えると知っていたように微笑んだ。
「石はきっとそれに答えてくれるでしょう」
「惑星が人間を滅ぼそうとしていることを知っていても、あんたは石に従うのか?」
「惑星は一つの意思だけで生きているわけではありません。人間を拒む声がある。そして、あなたを守ろうとするアレイシアもまた、この星から生まれた」
セレスタは青い瞳で、俺をじっと見つめた。
「どちらも、星の本心です。あなたが石へ心を開けば、星もまた、自らの中にある二つの思いを知るでしょう」
◇
神託の石は、館の中にはなかった。
集落を抜け、セレスタと使用人たちを連れて、草原の中を進む。
ノインが無言で後ろからついてきた。
やがて、草の波の中に、白い岩が見えてきた。
高さは俺の倍ほど。
祭壇も、柵もない。
地面の上に置かれた、何の変哲もない白い石だった。
だが、それを目にした瞬間、足が止まった。
これは、敵意だ。
怖い。
形ではない。
色でもない。
石の奥から向けられる何かが、俺の存在そのものを拒絶している。
人間だけではない。
自分ではないもの。
自分と完全に混ざり合うことを拒む、あらゆる生命を憎んでいる。
触れた瞬間、肉体だけでなく、記憶も魂も、この世にいた痕跡まで消される。
これは話し合う相手じゃない。
そんな確信があった。
『やっぱり、やめよう』
アレイシアが言った。
「いいえ、エイユ」
セレスタが俺の背へ手を添えた。
「拒まれているように感じるのは、星があなたを知らないからです。あなたが語りかければ、星もあなたを知る」
子供を暗闇へ送り出す母親のような、優しい声だった。
「さあ、神経を重ねて。あなたの魂を、星の声へ」
『エイユ、本当に危なくなったら、あんたを引き戻す』
セレスタではなく、その言葉を信じることにした。
「頼む」
恐怖を押し殺すのではなく、拒絶される感覚ごと受け入れる。
石へ心を開き、手を伸ばした。
「魂魄を束ねし神経共鳴――ソウル・シナプス・ハーモナイズ」
指先が、白い表面へ触れた。
◇
黒い血の中へ落ちた。
巨大な血管の中を、全身が流されていく。
熱い。
痛い。
無数の悲鳴が、頭の中へ流れ込んでくる。
山を削られた痛み。
森を焼かれた痛み。
海へ毒を流し込まれ、そこに生きていた命が腐っていく感覚。
死んだ獣。枯れた草。生まれる前に消えた無数の命。
何百年、何千年と積み重なった憎悪が、濁流となって俺を押し潰す。
これは血管ではない。
根だ。
惑星全体へ張り巡らされた、神経のような根。
そのすべてが、どこか一つの場所へつながっている。
根の先に、何かが眠っていた。
目覚めようとしている。
俺は暗闇の中を流され、その巨大な意識へ近づいていった。
不意に、闇が途切れた。
夕暮れの世界だった。
どこまでも広い大地。
地平線に浮かぶ太陽が、山々と森を黄金色に染めている。谷間を流れる小川は、溶けた金のようにきらめいていた。
鳥が空を飛ぶ。
羽を打つ感触が、俺の背中へ伝わる。
虫が花へ止まる。
細い脚が花弁へ触れる感覚を、俺も感じた。
草が風に揺れ、獣が水を飲み、地中で菌糸が倒木を分解する。
一つ一つが別の命なのに、すべてがつながっていた。
食べることも、食べられることも、死ぬことも、次の命へ渡ることも。
ここでは、何一つ失われない。
美しく、穏やかで。
少し怖いほど、静かな世界だった。
この中へ溶けてしまえば、苦しまなくて済む。
そう思った瞬間。
世界が、粉々に砕け散った。




