第六十四話 女神様、ラスボスだったんですか?
「……聞こえてるのか?」
アレイシアの声は、俺の頭の中にしか届かないはずだ。
「ええ。理由も含めて、お話ししましょう」
セレスタは暖炉のそばの椅子へ腰を下ろした。
「シスター・ミリアに、あなたの保護を頼まれていました。けれど、指定の場所にあなたはいなかった」
「……悪い。いろいろあって」
「いえ。代わりに、私は石を見つけました」
暖炉の火が、ぱちりと爆ぜた。
「白い石です。触れると、この星の声が聞こえるようになりました。私たちは、神託の石と呼んでいます」
青い瞳が、俺の隣の何もない空間へ向けられた。
「石は多くを教えてくれました。あなたのことも、アレイシアのことも。――目覚めようとしている怪物のことも」
セレスタは静かに続けた。
「怪物とは、この星です」
冗談を言っている顔ではなかった。
「星は思い出し始めたのです。削られ、焼かれ、奪われてきたことを。そして、循環に加わることを拒むあらゆる生命を、滅ぼそうとしている」
『エイユ、駄目。その人の言うこと、鵜呑みにしないで』
「まだ恐れているのですね、アレイシア。なぜ彼に、すべてを教えてあげないのですか?」
沈黙。
「あなたも、星の意識の一部なのでしょう?」
息が止まった。
アレイシアは、何も言わなかった。否定もしなかった。
「今、決める必要はありません。石は逃げませんから」
セレスタは暖炉に薪を一本くべた。
「今夜はお休みなさい。食事を用意させます」
◇
薬草の湯で泥と血を流し、温かいスープを飲んだ。
扉の脇に立つノインに、ケルベロスの現在地を尋ねる。返ってきたのは、《通信途絶》の表示だけだった。
窓辺の椅子に腰を下ろす。眼下に、夜の町の明かりが散らばっていた。
「アレイシア。今度こそ説明してくれ」
『……うん』
「お前が、ラスボスだったってことか?」
『そういう言い方も、できるね』
笑い飛ばすつもりで言ったのに、少しも笑えなかった。
『最初に言ったよね。この世界には大いなる脅威があるって。あれ、人間のことなの』
「…………は?」
人間を脅かす怪物がいるのだと思っていた。
星から見れば、怪物は人間のほうだった。
『ミリアのとき、神のくせに助けないのかって怒ったでしょ。あれで分かったの。あんたに人間を見捨てろなんて、言えないって』
――最初は、言うつもりだったのか。
その問いは、飲み込んだ。
「……なんで黙ってた」
『言ったら、あんた絶対うだうだ悩むじゃん。それに、気まずくなるのやだったし』
軽い口調だった。わざとだと分かった。
『エイユ、今のレベル見せて』
《レベル:57》
『あんたのレベルはね、本体の力をどれだけ受け取れるようになったかって数字でもあるの』
「じゃあ、俺が強くなるほど……」
『本体も、目覚めに近づいてる』
自分の手を見下ろした。
誰かを守るたびに積み上げてきたもの。それが全部、目覚めへの階段だった。
『目覚めた星は、免疫みたいに異物を排除する。そこに意思はないの。今の本体は、人間を異物だと判断してる』
窓の外で、家々の明かりが、ひとつ、またひとつと消えていく。
ミリアも、ソフィヤも、シアーダも、リーネも。
『正直、もう目覚めは止められないと思う』
「本体を倒したら、お前は?」
『消えるかもね。でも、魂は巡るんだよ』
「次のお前は、今のことを覚えてるのか?」
『……覚えてないと思う』
「だったら、同じじゃないだろ」
『同じだよ』
少しだけ、返事が遅れた。
『同じだって、思うことにしてる』
「……怖くないのか」
『怖いに決まってるじゃん』
即答だった。
『今こうやって話してることも、あんたがバカなことも、全部なくなるんだよ。怖くないわけない。――でも、他にないの』
声が、少しだけ強くなった。
『星の側につくなら、あんたが人間を殺すことになる。……できないでしょ。森の男のことも、メイのことも、ずっと引きずってるくせに』
不自然に曲がった男の首。口からこぼれた血の泡。
あの夜、眠れなかったことを、こいつは知っていた。
『あんな顔、もう見たくない。だから、これしか残ってないの』
俺は、いつか、こいつが示した三つの道を思い出していた。
「……倒すか、目覚めさせないか、手なずけるか。三つ目だけ違うよな。手なずけるって、何だよ」
『……言葉の綾だよ』
「目覚めたあとでも、どうにかできる方法がある。――お前、最初はそう思ってたんじゃないのか」
一瞬、息を呑む気配がした。
『……うわ。まさか私、攻略対象になってないよね?』
「は?」
『ミリアにやって、メイにもやって、次は私に詩を贈るつもり? ひざまずいて「乙女に捧ぐ我が魂の絶唱」とか? きっしょ』
「言わねえよ!」
『「おおアレイシア、お前の大地は誰よりも美しい お前の海に溺れたい」とか』
「誰が言うか!」
アレイシアは笑っていた。いつもより、少しだけ高い声で。
ごまかしたのだと、分かった。
扉の脇で、ノインがわずかに首を傾げた。
追及するのは、やめておいた。
「……明日、石を見に行く」
『危ないよ。あんたが触れたら何が起こるか、私にも分からない』
「俺が星とつながれば、お前は消えなくて済むかもしれないだろ」
わざと、意地の悪い言い方をした。
『……そういうことじゃないよ』
声が、少しだけ硬くなった。
『私はね、あんたが自分で選ぶところが見たいの。バカみたいに悩んで、遠回りして、それでも自分で決めるところが』
寝台に身体を横たえると、まぶたが重くなった。
『明日、行くなら私も行くから』
「……お前、いつも一緒だろ」
『いつもより、ちゃんといるってこと』
暖炉の薪が爆ぜる音を聞きながら、眠りに落ちた。
◇
月明かりの廊下で、セレスタは足を止めた。
窓の外で、風もないのに木々が揺れている。
「……ええ。お休みになりました」
しばらく、耳を澄ます。
「いいえ、まだです。彼は何も知りません」
無数の葉が、一斉に震えた。
「ですが、明日にはきっと――あなたの声を聞いてくださるでしょう」




