第六十二話 鮮やかな鳥は、森へ入りません
「森に飲まれる」
男が残した言葉が、妙に耳に残っていた。
岩場が息苦しく感じられる。
俺は眠るのを諦め、荷物をまとめた。
夜明けは近いはずだが、空はまだ薄暗い。ケルベロスとノインを連れ、洞窟を離れた。
しばらく歩くと、鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「アァー……ア、アァー!」
甲高く、調子の外れた声。
鳥というより、誰かが見えない相手と口論しているように聞こえる。
さっきの男の声を思い出した。
茂みの向こうに、鮮やかな桃色が見えた。
花かと思った。
だが、それは動いた。
体高は二メートル近い。
ずんぐりした胴体に、長い脚。巨大なくちばしを持つ、ハシビロコウに似た鳥だった。
羽は不自然なほど鮮やかな桃色で、表面には目玉のような模様がいくつも並んでいる。
生き物というより、庭へ飾る巨大な玩具に見えた。
「何だ、あれ……」
その隣で、黄緑色の鳥が首を持ち上げた。
さらに奥には、鮮やかな青。
赤。橙。紫。
遠くから眺めれば、美しい光景だったかもしれない。
だが、巨大な鳥が何羽も並び、ばらばらの調子で叫んでいる。
「アァー!」
「ア、ア、アァー!」
早く離れたほうがいい。
そう思い、後ずさる。
茂みの奥から、次々と鳥が姿を現した。
十羽。
いや、それ以上いる。
一斉に羽を広げた。
色鮮やかな目玉模様が、こちらを睨む。
一羽が鳴きやんだ。
続いて、ほかの鳥も声を止める。
無数のくちばしが、同時にこちらを向いた。
ケルベロスが俺の前へ出た。ノインの腕の装甲が、わずかに開く
俺は、そっと片足を引いた。
――パキッ。
踵の下で、枯れ枝が割れた。
桃色の鳥が、大きく首を振り上げた。
銃声のほうが早かった。
桃色の鳥は首を上げたまま、ゆっくりと横へ傾き、泥の中へ倒れた。
ケルベロスの背部装甲から、細い煙が上がっている。
一瞬、すべての音が消えた。
「アアアアアァー!」
鳥たちが、一斉に地面を蹴った。
仲間の死体を踏み越え、狂ったような声で向かってくる。
「多すぎるだろ!」
一羽なら問題ない。
二羽でも倒せる。
だが、視界の奥から新しい色が次々と現れる。
「万物を跪かせし絶対王者の威圧――キング・オブ・プレッシャー!」
圧力が周囲へ広がった。
鳥たちの脚が止まり、何羽かが地面へ膝をつく。
だが、逃げない。
身体を震わせながら、立ち上がろうとしている。
「今のうちだ!」
全力で走った。
ノインとケルベロスも続く。
背後から、無数の足音と鳴き声が迫ってきた。
振り返る余裕はない。
俺の横を走るノインの肩が開き、銃身だけが後方へ回転する。
身体は前を向いたまま、正確に追手を撃ち抜いていく。
ケルベロスも背部装甲から小型銃を展開した。
銃声。
羽音。
狂った叫び。
それでも数が減ったようには思えなかった。
前方に、密集した木々が見えた。
幹は蛇のように曲がりくねり、互いに絡み合っている。
「森だ!」
考えている暇はない。
蔦を払い、木々の間へ飛び込んだ。
ノインとケルベロスも続く。
背後の鳴き声が、突然止んだ。
「……来ない?」
森の縁に、色とりどりの鳥たちが並んでいた。
どの鳥も、こちらを見ている。
羽の目玉模様まで、すべて森へ向いていた。
だが、一羽も中へ入ろうとしない。
やがて鳥たちは同時に背を向け、薄明かりの中へ消えていった。
助かった。
そう思うべきなのに、胸騒ぎは強くなった。
◇
森の木々は、どれもまともに伸びていなかった。
右へ曲がり、左へねじれ、地面へ潜った幹が、別の場所から再び突き出している。
根元には赤や黄色の小さな花が咲いていた。
どれも鮮やかすぎる警戒色をしている。
倒れた幹を跨ぎ、奥へ進む。
日はとっくに昇っているはずだった。
それなのに、枝葉が光を遮り、森の中は夜明け前のように薄暗い。
音もない。
鳥も、虫もいない。
ときおり、どこからか奇妙な音だけが聞こえた。
明るい電子音。
前の世界の、コンビニへ入ったときに鳴る音だった。
「何で……」
今度は、駅で列車が到着するときの旋律が流れた。
こんな森で聞こえるはずがない。
「アレイシア?」
返事はない。
本当に鳴ったのか、自分の記憶が聞かせたのかも分からなかった。
誰かに見られている。
赤い花の中心が、黒い瞳に見えた。
俺が動くと、花弁もわずかに向きを変える。
曲がった木々の影が、人の形になって立っている。
目を離し、もう一度見れば、ただの幹へ戻っていた。
方向感覚まで怪しくなってくる。
方角だけではない。
曲がりくねった幹を見続けていると、自分が本当に垂直に立っているのかさえ分からなくなった。
足元が傾いている。
いや、俺の身体が傾いているのか。
ノインとケルベロスは、何も感じていないように進んでいく。
ふと、背後に黒い影が見えた。
また木の幹かと思った。
違う。
動いている。
俺たちが進めば進み、止まれば止まった。
人のような形をした何かが、木々の間に立っている。
俺は振り返った。
「誰?」




