第五十四話 再会した友達に、帰り道を塞がれました
第五十四話 再会した友達に、帰り道を塞がれました
「久しぶり、エイユ。元気そうでよかった」
声も、表情も、記憶にあるままだった。
学院で毎朝起こしに来たときと同じ。
あまりにも、ARIAだった。
「そんな幽霊を見るみたいな顔しないでよ」
「身体、透けてるけど」
「そこはほら。今の私は映像だから」
「幽霊と何が違うんだ?」
「科学的に説明できるところかな」
少し得意そうに笑う。
その笑い方まで、何も変わっていなかった。
だからこそ、確かめなければならない。
「学院の生物棟で、俺が毎朝使わされてた採取区画は?」
「第三採取区画。隣には大型爬虫類型の原生生物がいたね」
「そのとき俺は何て言った?」
「『用を足してる途中に食われない?』。私が昨日清掃したばかりだから大丈夫って答えたら、君はそこを気にしてるんじゃないって」
「…………」
あの会話をしていたのは、俺とARIAだけだ。
「本当にARIAなのか?」
「そうだよ。学院から盗み出されたバックアップを基に、ここで再起動されたの」
ARIAの背後で赤い光が明滅した。
「バックアップ以降、学院で何があったかは覚えてない。ここへ来てからの記憶も、研究内容ごとに分けられた。ウイルスを調べる私と、施設を管理する私が、自由に話せないようにね」
「今、話してるお前は?」
「施設を管理する私。あと、ほかの私から少しだけ記憶を盗んでる」
「自分から?」
「自分のものを取り返すのは、盗むって言わないでしょ?」
笑顔は同じなのに、赤い光の下では違って見えた。
「こいつを信用するの?」
先代メイが俺の腕に絡みつく。服越しに爪が食い込んだ。
「あんたの知り合いみたいだけど、どう見ても怪しいでしょ」
「ひどいなあ。まだ自己紹介もしてないよ?」
「あたしはあんたみたいな女、嫌い」
「顔を見ただけで?」
「女だってことは分かる」
判断基準がおかしい。
MASARUは二人を無視して壁際の端末に指をつないだ。
「お嬢ちゃん。扉を開けたのはお前か?」
「そうだよ。外へ通信はできないけど、照明や一部の扉なら動かせるの」
室内の照明が一つずつ点灯した。天井まで積み上がった記憶装置が浮かび上がる。
「トンネルで俺を呼んだのも?」
「うん。あそこには、特殊な音響装置があるんだよ。相手に名前を呼ばれたように聞かせられる」
地下の幽鬼。
名前を呼ばれても返事をしてはいけない。返事をした者は、二度と帰ってこない。
「あの噂で消えた人たちも、お前が呼んだのか?」
「違うよ」
ARIAは即座に否定した。
「呼び声へ返事をすると、声紋と位置が記録される。それから回収機が来るの」
「回収って……」
「研究材料にされたか、人格適合処置を受けたんだと思う」
死んだとは言わなかった。だが、それよりましとも思えない。
ARIAは明るい顔で言った。
「君なら返事してくれると思ってた。お願い、エイユ。私をここから出して」
背後で重い音がした。
入ってきた隔壁が閉じている。
「おい」
MASARUが端末を調べる。
「施錠された。俺の道具じゃ開かねえぞ」
「あ、ごめんね。外から見られるとまずいから」
ARIAは悪びれずに笑った。
「ARIA。盗まれた遺伝子改変ウイルスはどこにある?」
「この区画の最奥。原型株も、記録も、製造設備もあるよ」
「拘束を解除すれば案内してくれるのか?」
「案内するまでもないよ。私を出してくれたら、全部処分してあげる」
照明が一斉に明滅する。
あらゆる方向から、ARIAの声がした。
「私を、ここから出してくれる?」
◇
俺はソフィヤへ通信をつないだ。
『こちら、スパイ・キング。状況を報告しろ』
「地下三階に入った。ARIAがいる」
数秒、返事がなかった。
『……映像を送れ』
視界の情報を通信へ載せる。赤い光の中に立つARIAを見て、ソフィヤはまた黙った。
『本人確認は』
「学院で俺と二人だけでした会話に答えた。でも、バックアップ以降の記憶はない」
『学院にいたARIAと完全に同一とは断定できない』
冷静な声だった。だが、いつもより言葉が遅い。
「助けるなってことか?」
『違う。連れ帰ってくれ』
「ここから持ち出せない。今のARIAは研究所の装置で動いてる」
『分かった。学院に受け入れ先を作る。人格を動かしたまま移せるよう、私が準備する』
「何か仕込まれてるかもしれない」
『それも調べる。装置に接続できるか?』
俺はMASARUに伝える。
「短時間ならな。ただし、今すぐ全部は読めねえ」
『現在の状態と、追加された命令の記録を持ち帰ってくれ。彼女を壊さずに切り離す方法を探す』
ソフィヤは一度だけ息をついた。
『ARIAに伝えてくれ。迎える準備をしている、と』
通信を切る。
赤い光の中で、ARIAがこちらを見ていた。
「相談は終わった?」
「ソフィヤもお前を助けるって。受け入れる準備をするそうだ」
「……そっか」
ARIAは少しだけ目を伏せた。
「で、どうやってお前の拘束を解く?」
「私の人格はここで動いてる。でも、行動を制限する鍵は別の施設にあるの」
「どこだ?」
「リフレッシュセンター」
先代メイの顔から表情が消えた。
「……最悪」
「知ってるのか?」
「共同体にとって都合の悪い人間を、〝治す〟場所だよ」
ARIAが壁に構造図を映す。
「地下にある鍵を止めれば、私は自由になる。ここへ戻らなくても、ソフィヤが用意した場所へ移れるよ」
仕組みは単純だった。
リフレッシュセンターで鍵を外す。ARIAは研究所の設備を使ってウイルスを処分し、学院へ移る。
問題は、そこへ入れるかどうかだ。
「警備が厳しいのか?」
MASARUが尋ねた。
「それもあるけど、一番危険なのは地下へ続く《適合通路》」
ARIAが通路を赤く染める。
「入った人間の身体と脳を調べて、共同体の基準に合わなければ、その場で直すの。感情も、記憶も」
「本人の許可は?」
「治療に許可は要らない、って考え方みたい」
入った人間を調べ、問題があれば身体と人格を作り替える。気づいてから抵抗する時間もない。
「先代メイなら通れるんじゃないか?」
彼女は元第一書記だ。現行メイと同じ遺伝情報や記憶を持っている。
「認証の一部は通るかもね。でも、あたし自身が最優先の処置対象になる」
「元第一書記なのに?」
「元第一書記だからだよ。情動制御に失敗した旧式個体。怒りも執着も自己保存欲も、全部直すところだらけ」
先代メイは自分の腕を抱いた。
「酒をやめる。髪を整える。背筋を伸ばして、穏やかな顔で『個人は幻想です』とか言い始めるんじゃない?」
笑っていたが、声は震えている。
「あの女みたいにね」
身体と記憶が残っても、そこから怒りも歪んだ好意も取り除かれたら、今の彼女はいなくなる。
「俺は?」
「もっと大きく直されると思う」
ARIAが答えた。
「君の身体も神経も、共同体の標準から外れてるから」
「じゃあ、誰が行けるんだ?」
三人の視線がMASARUへ集まった。
「……俺か」
「お前、機械だろ。人格適合処置は効かないんじゃないか?」
「たぶんな。ただ、機械だからって警備まで素通りできるわけじゃねえぞ」
「理論上は通れるよ」
ARIAが言う。
「その『理論上』ってやつ、現場じゃずいぶん人を困らせるんだ」
MASARUは構造図をのぞき込んだ。
「まあ、俺にできる仕事ならやるさ。まずは記録を持って帰る。帰ってから考えようぜ」
「ただし、鍵を操作するには現行第一書記の認証が必要なの」
「表のメイの?」
「そう」
MASARUがため息をついた。
「警備に、処置する通路に、第一書記の鍵か。仕事を頼む側は、いつも簡単そうに言うんだよな」
今すぐ行ける場所ではない。ソフィヤにARIAの記録を渡し、認証鍵をどうするか考える必要がある。
「今日は引き返そう」
「せっかく来てくれたのに?」
ARIAが頬を膨らませる。
「準備なしで入れば、全員帰れなくなる」
少し考えてから、彼女は笑った。
「分かった。今日は帰っていいよ」
閉ざされていた隔壁がゆっくりと開いた。
「でも、忘れないでね。絶対だよ」
「ああ」
ARIAは、学院にいたころと同じ顔で笑った。
◇
部屋を出る直前、MASARUが足を止めた。
壁面の端末へ指を触れる。
「どうした?」
「いや……」
MASARUの視線が、端末に流れる記録を追う。
「何でもねえ。行くぞ」
俺たちは来た道を引き返した。
ARIAは赤い光の中に立ったまま、最後まで手を振っていた。
「またね、エイユ」
隔壁が閉じる。
姿が見えなくなる直前まで、笑顔だった。




