第五十三話 怪談に返事をしたら、開かずの間が開きました
第五十三話 怪談に返事をしたら、開かずの間が開きました
中央生体研究所への潜入には、先代メイも同行することになった。
情報を提供してもらうだけのはずだったのだが、なぜか妙に気に入られている。
「潜入経路を知ってるのは、あたしだからね」
「場所だけ教えてくれればよくないか?」
「途中で迷って死にたいなら、そうする?」
「一緒にお願いします」
「素直でよろしい」
機嫌よく笑う。
俺の隣へ座っているだけなのに、距離が近い。
もう一人、MASARUも同行することになった。
「潜入、偽装、電子工作、証拠隠滅。何でもござれだ。俺みたいな働き者を一台持っておくと便利だぞ」
「自分で言うんだ」
「誰も褒めてくれねえからな。社会人ってのは、自分で自分を褒めないとやってられねえんだよ」
機械のくせに、発言だけはくたびれた会社員だった。
◇
日付が変わる少し前。
俺たちは旧輸送トンネルを歩いていた。
中央生体研究所・第九地下区画。
施設自体は、それほど大きくないらしい。
地上部分は閉鎖され、公式に存在するのは地下二層まで。
そのさらに下に、記録にない区画があるらしい。
最奥に何があるのかは、先代メイにも分からないという。
「昔は、このトンネルを使って実験材料を運んでた」
先頭を歩く先代メイが言った。
「原生生物、培養組織、遺伝子資源。それから、他国で集めた人間」
「集めた?」
「誘拐したって言えば満足?」
「満足はしない」
周囲は暗かった。
MASARUが照らす細い光だけが、濡れた床を滑っていく。
壁には錆びた搬送用の線路が残っていた。
ところどころに巨大な檻が捨てられ、内側から何かに引っかかれたような傷がついている。
奥から冷たい風が吹いてきた。
壊れた配管を通るたび、低く曇った音を立てる。
人のうなり声に聞こえた。
「帰りたい」
「まだ何も起きてねえだろ」
MASARUが呆れる。
「何か起きてからじゃ遅いんだよ」
「まあ、気持ちは分かる。俺だって仕事中に面倒の気配がしたら、まず帰る方法を考えるからな」
「頼もしいんだか、頼もしくないんだか分からないな」
「危機管理能力が高いと言ってくれ」
先代メイが振り返った。
「ここから先、名前を呼ばれても返事しないでね」
「地下の幽鬼か?」
「そう。後ろから名前を呼ばれて、返事をした人間は二度と帰ってこない」
「単なる噂だろ?」
「あんた、切り裂き女に追い回されたの忘れた?」
「本人が言うなよ」
笑ったのは先代メイだけだった。
俺たちはさらに奥へ進んだ。
靴音が、暗闇の向こうまで響いていく。
その反響に混じって。
「――エイユ……」
誰かに呼ばれた気がした。
足を止める。
先代メイとMASARUを見る。
二人は何事もなかったように歩いていた。
「今、何か――」
声を出しかけて、やめた。
反応したら、帰れない。
単なる風の音かもしれない。
俺は黙って二人を追った。
「エイユ……」
今度は、はっきり聞こえた。
女の声だった。
遠くから聞こえているようでもあり、耳元で囁かれたようでもある。
二人は反応しない。
聞こえているのは、俺だけなのか?
俺は先代メイの肩を叩いた。
「何?」
しっ、と指を口元へ当てる。
「あんた、何やってんの?」
背後を指さし、耳を指さす。
「耳の後ろが痒い?」
違う。
指を二本立て、歩く動作をしてから、振り返る。
「二人だけで帰りたい?」
嬉しそうに言う。
どうしてそうなる。
MASARUが俺の肩を叩いた。
「若い男女の意思疎通ってのは、難しいもんだな」
お前は分かれよ。
「エイユ……」
声が少し近づいた。
背後に誰かいる。
そう思った。
それでも、振り返らなかった。
先代メイが急に足を止める。
「ここから先は、声を出さないで」
俺の事情に気づいたわけではないらしい。
通路の先を指した。
暗闇の向こうに、白い明かりが見えていた。
研究所が近いのだ。
進むにつれ、女の声は小さくなっていった。
やがて、完全に聞こえなくなる。
トンネルの終点には、金属製の隔壁があった。
その前を、二人の人民軍兵士が警備している。
先代メイが手を上げた。
ここで待て。
そういう合図だった。
彼女の姿が闇へ沈む。
音がしない。
影そのものになったように、兵士の背後へ近づいていく。
一人目の口を塞ぎ、首筋へ刃を滑らせる。
続けて、振り返ろうとしたもう一人の喉へナイフを突き立てた。
数秒だった。
二人の兵士が、声もなく崩れ落ちる。
先代メイは血のついたナイフを振り、こちらを見た。
「ほら、行くよ」
小声で言う。
俺は言葉を失った。
ついさっきまで俺の隣で軽口を叩いていた女が、人間を二人殺した。
その顔には、罪悪感も動揺もない。
「何、その顔」
「いや……」
「おい、早く始末するぞ」
MASARUが死体を担ぎ上げた。
「二人は巡回経路を外れ、そのまま失踪したことにする」
「失踪で通るのか?」
「この国では、ときどき人民が消える。誰も深く調べない」
死体は搬送用コンテナの底へ隠された。
処理には、ためらいも無駄もない。
「手慣れてるな」
「こう見えても諜報員だ。家じゃ風呂掃除も担当してる」
「何の話だ?」
「汚れは残すと落ちにくいって話だよ」
怖いことを、妙に生活感のある口調で言う。
MASARUは血痕まで拭き取ると、兵士の認証情報を複製した。
奪ったIDを使い、隔壁を開く。
俺たちは中央生体研究所へ侵入した。
◇
地下第一層は、普通の研究施設に見えた。
完全に閉鎖されているわけではないらしい。
事務職員や警備員が残っている。
深夜で仕事もないのか、休憩室では数人がカードゲームをしていた。
「見つからないのか?」
「俺の手を離すなよ」
MASARUが言った。
その手を握ると、周囲の景色が歪んだ。
俺たちの姿が壁や床の色へ溶け込んでいく。
完全に透明になったわけではない。
だが、警備員のすぐ横を通っても、誰もこちらを見なかった。
「すごいな」
「おう。これなら女湯――」
「最低」
「まだ何も言ってねえだろ!」
「言っただろ」
先代メイが俺の空いている手を握った。
「MASARUに触れてれば、効果はあるだろ」
「あんたが転んだら困るでしょ」
やけに近い。
だが、注意すると面倒そうなので黙っておいた。
地下第二層へ続く扉は、MASARUが開けた。
指先から細い端子を伸ばし、認証装置へ接続する。
「三十秒くれ」
「早いな」
「機械相手なら話が早いんだ。人間みたいに機嫌を取らなくていいからな」
十八秒で扉が開いた。
第二層には、大型の培養槽が並んでいた。
内部を満たす淡い緑色の液体。
そこに、何人もの巨体が浮かんでいる。
青白い皮膚。
肥大した筋肉。
労働型GEだ。
別の培養槽には、まだ人の形になっていない肉塊が収められていた。
機械の管が内部へ伸び、規則正しく栄養液を送り込んでいる。
「不気味ではあるけど……」
街でもGEは普通に働いていた。
隠すほどのものには思えない。
「ここは一般生体研究区画」
先代メイが答えた。
「共同体の内部では、存在を隠されてない。労働個体の製造と調整をする場所だから」
「極秘研究は?」
「さらに下」
先代メイが、何もない壁の前で止まった。
「記録上、この施設は地下二階までしか存在しない」
壁の一部を押す。
継ぎ目すら見えなかった金属板がわずかに動き、その奥に細い通路が現れた。
「でも、地下三階がある」
通路の先には、もう一枚の扉があった。
その前には、二人の人民軍兵士が立っていた。
先代メイが俺を見る。
止めるより早く、闇へ踏み込んだ。
「待っ――」
声を出せない。
兵士が何かに気づき、銃へ手を伸ばす。
先代メイのナイフが喉を切り裂いた。
もう一人の眉間へ、細い刃が突き刺さる。
二人とも、一発だった。
先代メイは倒れた兵士からナイフを抜き、俺のもとへ戻ってくる。
褒めてほしそうな、嬉々とした表情。
「これでもう、邪魔する人はいないね」
頬についた血を拭いもせず、微笑んだ。
「ねえ、嬉しい?」
「俺は……そこまでしてほしいなんて言ってない」
笑顔が消えた。
「あんたのためにやったんじゃん」
「殺してくれなんて頼んでないだろ」
「じゃあ、こいつらに捕まればよかった?」
「そういう意味じゃなくて」
「邪魔だったから消した。それで先に進める。何が問題なの?」
分かっていないのではない。
分かったうえで、気にしていない。
そのことが、余計に怖かった。
「お二人さん、夫婦喧嘩は家でやってくれ」
MASARUが割って入った。
「夫婦じゃない」
「そういうことにしといてやるよ。今は仕事だ」
MASARUは扉の認証装置へ接続した。
一分。
二分。
これまで簡単に突破していた彼の手が止まった。
「どうした?」
「駄目だな」
「開かないのか?」
「こいつは施設のシステムから切り離されてる。扉の向こう側にある独立認証装置が許可を出さないかぎり、外からはどうにもならねえ」
先代メイが兵士のIDを認証装置へかざす。
反応はなかった。
「爆破する?」
「やめとけ。この厚さなら天井が先に落ちる」
「別の入口は?」
「ねえよ。あったら苦労してない」
ここまで来て、行き止まりなのか。
「エイユ……」
声がした。
俺は扉を見る。
向こうからだった。
「今の……」
先代メイとMASARUが、同時に俺を見る。
「聞こえたのか?」
「何が?」
「俺の名前を呼ぶ声」
二人には聞こえていない。
「エイユ……」
まただ。
今度は、すぐ目の前から聞こえた。
隔壁の向こう側。
存在しない地下三階から、誰かが俺を呼んでいる。
返事をすれば、二度と帰れない。
その言葉が頭をよぎる。
「エイユ」
返事をしてはいけない。
分かっているのに、なぜかこの声だけは無視してはいけない気がした。
「……何だ?」
答えた。
「あんた、誰と話してるの?」
「声が――」
低い駆動音が響いた。
閉ざされていた扉に、白い線が走る。
重い隔壁が左右へ開いていく。
その向こうには、暗い部屋があった。
無数の端末。
天井まで積み上げられた記憶装置。
中央にだけ、赤い光が差している。
その光の中に、一人の女性が立っていた。
二十代半ばほどに見える。
耳の下で切り揃えられた金色の髪。
快活そうな青い瞳。
陽気で、人当たりがよくて、初対面でも昔からの友人のように笑いかけてきそうな女性だった。
ただし、その身体はわずかに透けている。
実体ではない。
空間へ投影された映像だった。
身につけているのは、赤を基調とした人民秩序共同体の制服。
けれど、その顔を俺は知っていた。
学院で。
ソフィヤの隣で。
何度も見たことがある。
「待ってたよ、エイユ」
その声まで、記憶にあるものと同じだった。
「……ARIA?」
女性は嬉しそうに両手を広げた。
「正解」
それは間違いなく。
消滅したはずのARIAだった。




