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第五十話 国一個くれてやったのに

第五十話 国一個くれてやったのに


 紙には、簡単な経路図が描かれていた。


 監視の少ない通り。


 街灯の死角。


 巡回兵が通過する時刻。


 しかし、紙の途中に、意味の分からない指示があった。


《突き当たりまで進む》


《壁に額をつける》


「……額?」


《そのまま十秒間、前進を続ける》


 突き当たりには、当然ながら壁しかない。


 額をつける。


「壁抜けかな?」


 当然、進まない。


 通行人が一人、こちらを見ながら通り過ぎた。


「めちゃくちゃ見られてるんだけど」


 次。


《自動扉を三回開閉させる。ただし入らない》


「……」


 近づく。 下がる。 近づく。


《次の電柱を反時計回りに三周》


「もう完全に儀式じゃん」


《一度しゃがむ》


「なんで?」


《五秒》


「なんで?」


 しゃがむ。


 五秒待つ。


 立つ。


 そして最後。


《飲料販売機の右上を二回、返却レバーを二回》


《以降、通常通り歩くこと》


「最初からそうさせろよ」


 指示に従って歩き、午後七時ちょうどに目的地へ着いた。


 閉鎖された旧配給所。


 側面の搬入口へ回ると、暗がりの中からハルトマンが現れた。

 

「時間どおりですね」


「そりゃ、あれだけ細かく指示されれば」


ハルトマンは俺の後ろへ視線を向けた。


「途中の指示は何だったんです?」


「どれです?」


「全部です。特に壁」


「ああ。壁ですね」


 ハルトマンは端末を操作しながら答えた。


「あの区画では、監視カメラが顔を見失うと正面側へ再捕捉をかけます。壁に額をつけて十秒間前進すると、それを回避できます」


「壁に向かって前進?」


「はい。これで十秒ほど短縮できます」


「何を?」


「監視から外れるまでの時間を」


 そういう競技だったのか。


「じゃあ、電柱を三周したのは?」


「あれは位置情報の更新周期をずらしています。二周でも可能ですが、成功率が七割程度なので三周を推奨しています」


「安定を取ってる……」


「実地では安定性が重要です」


「自動ドア三回は?」


「二回目で人物識別番号が重複します。三回目で片方が店内に残ります」


「俺が二人になる?」


「記録上は」


「すごいな」


「ただし四回やると統合されます」


「なんで?」


「仕様です」


 仕様なら仕方ない。


「飲料販売機の右上を二回、返却レバーを二回。これは?」


「周辺端末に保守通信を発生させます。返却レバーは素早く二回です。遅いと通常操作になります」


「シビアだな……」


「ここで失敗すると二分ほどロスします」


「ロスで済むんですか?」


「秘密警察が来ます」


「リセットじゃん」


「?」


「いや、何でもないです」


 ハルトマンは端末をしまった。


「ちなみに現在確認されている最短経路では、途中の柵を乗り越えることでさらに四十三秒短縮できます」


「じゃあ、なんでやらせなかったんです?」


「死亡率が上がります」


「安全チャートだったんだ……」


 ◇


「ようこそ、我々のアジトへ」


 ハルトマンが両腕を広げる。


「人民秩序共同体の打倒を目指す反体制レジスタンスです」


「レジスタンス……」


「格好よく言えば、ですが。実態は、表へ出れば処分されかねない者たちの隠れ場所です」


 部屋の端では、三十歳くらいの男が思いつめた顔で毛布にくるまっていた。


 別の隅では、人民軍の制服を着た兵士とGE個体が話している。


「だから、お前は夜間搬入の担当だろ」


「オレ、夜は寝る」


「労働個体に夜も昼もないだろ」


「オレ、今日、いっぱい働いた。明日は働きたくない」


「ずいぶん立派な自我が育ったな……」


 そして、部屋の中央。


 テーブルに女が一人、突っ伏していた。


 ぼさぼさの黒髪。青白い顔。濃い隈。


 足元には謎の液体の入った容器が転がっている。


 女が顔を上げ、こちらを見る。


「そいつ、新入り?」


 聞き覚えのある声。


 全身から血の気が引いた。


「お、おい……こいつ……」


 切り裂き女。


「あれ? 昨日の、ヘタレじゃん」


「誰がヘタレだ!」


「なんでここにいるの?あたし、頑張って怖がらせたんだけど」


「お前だったのか!」


 ハルトマンが女のコップを見る。


「メイ。また医療用アルコールを酒代わりにしましたね」


「消毒もできて酔える。合理的」


「あなたが嫌っている女と同じ言葉を使わないでください」


「今、ものすごく不愉快になった」


 待ってくれ。


 乱れた髪に、血色の悪い顔。


 ぱっと見ではわからなかったが、よく見るとメイに瓜二つだ。


「《万象を見通す深淵の叡眼――アカシック・アナライザー》」


《メイ》


《所属:人民秩序共同体》


《役職:第一書記》


《レベル:測定不能》


《攻撃力:180(+0)》

《防御力:160(+10)》

《素早さ:240(+0)》


《人物情報》


《人民秩序共同体の創設者にして第一書記》


《遺伝子設計、心理学、社会工学、医学、武芸、詩文、書画に精通する》


《内戦終結時、旧中央評議会および宮中に残る反対勢力を一夜で粛清》


《処分対象者数:一万二千七百四十一名》


「メイ、なんでここに?」


 女の眉がぴくりと動いた。


「は? 違う」


「だって、昨日会ったばかりだろ。街を案内してくれたじゃないか」


「違うっつってんだろ」


 声まで同じだった。


「いやいや、どう見ても――」


「おい」


 女が立ち上がる。


 なぜかものすごく怖い。


「あんたさ」


 一歩、近づいてくる。


「初対面の女に、いきなり別の女の名前で呼びかけんの?」


「別の女っていうか、同じ――」


「それ以上言ったら殺すよ?」


「まあまあ、お嬢ちゃん。そう噛みつくなって」


 人民軍の兵士が歩いてくる。


「顔が似てりゃ間違えることくらいあるだろ?」


「うるせえ。あたしは、あの女じゃない」


 男が照明の下へ出る。


「お前……顔が」


 顔がなかった。


 昨夜、俺が助けを求めた兵士だ。


「俺?」


 顔のない兵士が頭に触れた。


「機械だよ。見りゃ分かるだろ」


「見ても分からなかったよ!」


「ああ、擬装中だったか」


 皮膚の投影が消え、金属の骨格と人工筋肉が露出する。


「顔の投影装置だけ壊れててな。夜なら帽子をかぶれば案外ばれねえ」


「めちゃくちゃ怖かったんですけど」


「悪かったな。泣きながら走ってくもんだから、保護しようとしたんだよ」


「追いかけないでくださいよ!」


 機械の男が手を差し出す。


「俺はMASARUだ。よろしくな」


「名前、急に普通だな」


「いい名前だろ?」


 なんとなく握手した。


「それにしても」


 テーブルへ座り直したメイが、頬杖をつく。


「こいつ、本当に役に立つの? 昨日、びっくりするくらいビビり散らかしてたけど」


「お前ら二人のせいだろ!」


「戦場帰りなんでしょ? 情けな~」


「戦場に刃物を持って笑いながら瞬間移動する女はいなかったんだよ!」


「瞬間移動? ははっ、マジで頭ん中ファンタジーじゃん」


 メイが声を上げて笑った。


「人間ってさ、瞬きしてる間のこと、見えないんだよ」


「……は?」


「なーんでもない」


 口元を歪める。


「次は瞬きしないで逃げてみれば?」


 ◇


「混乱してると思いますが、話を進めますよ」


 ハルトマンが空中へ系統図を表示した。


「この女性もメイです。ただし、あなたが昨日会ったメイの前任個体です」


「前任?」


「第一書記《メイ》は、一人の人間を指す名前ではありません。歴代個体の記憶、思想、技能などを継承した後継個体が作られる」


「じゃあ、今の第一書記は……」


「彼女の後継個体です」


 俺は酒を飲んでいるメイを見る。


「この人は?」


「情報を抽出されたあと、再生材料として回収される予定でした」


「人を材料扱いするな。あたしは生きてたんだぞ」


「ですが、処分直前に逃亡した」


「そ。だって、あいつらひどいじゃん」


 メイは医療用エタノールに水と栄養飲料を混ぜ始める。


「あたし、結構尽くしたんだよ?」


「尽くした?」


「内戦終わらせて、平和な国にしてやろうって。邪魔するやつ殺して、裏切ったやつ殺して、昨日まで一緒に酒飲んでたやつまで殺した」


 一万二千七百四十一。


「そこまでしたらさ、普通ちょっとは大事にしてくれると思うじゃん?」


「規模はともかく、言ってることだけ聞くと重い女だな」


「うるさい」


 メイは出来上がった液体を一口飲んだ。


「内戦が終わったら『人民すべての母』『メイ同志と人民は永遠に一つ』。たまらなかったな~」


「……嬉しかったのか?」


「そりゃ嬉しいでしょ。永遠に一つだよ? ずっと一緒だって言ってるようなもんじゃん」


「……それで?」


「ちょっと年取ったら、若い女に乗り換えやがった」


「言い方」


「だってそうじゃん!」


 容器がテーブルに叩きつけられる。


「『第一書記としては老化しすぎています』だって!」


「そこだけ聞くと最低な男の話みたいだな」


「しかも性格まで文句言われた」


 メイは急に背筋を伸ばした。


「『感情安定性に不可逆的な偏向が認められる。判断過程に個人的執着が混入している。次代への完全な継承には不適格』」


 MASARUが口調を真似して、淡々と読み上げる。


 メイは、鼻で笑った。


「要するにさ。若くなくなったし、性格もめんどくさくなったから、もういらないって」


「……」


「『必要な記憶は次のメイに統合済みです。あなたの役目は終わりました』」


 メイは笑っていた。


 けれど、黒い瞳には憎しみが満ちている。


「国一個くれてやったのにさ」


 もう一口、酒をあおる。


「あたし、すっからかんになったら捨てられたんだよ」


 透明な容器がへこんだ。


「あたしが血まみれになりながら作った国を、あいつは完成品みたいな顔で受け取った」


 今のメイは、先代の記憶を持っている。


 武芸も、詩も、何千人もの人間を粛清した経験も。


 それでも、目の前の女の苦しみだけは、不要な感情として切り捨てられた。


「あいつは絶対に殺す」


 メイが吐き捨てる。


「絶対に」


 ハルトマンが小さく息を吐いた。


「その前に、エイユさんの例のチップを解除してくれますか」


「ああ」


 メイが俺へ顔を近づける。


「あんた、あいつに触ったでしょ。女の趣味悪いな」


「握手しただけだ」


「へえ。手ぇ握ったんだ」


「国家元首との公式な握手だ!」


「はいはい」


 メイは俺の手を取った。


「感覚共有用の生体端子を入れられてる。手のひらから侵入して、神経へ接続するやつ」


 握手した瞬間の、細い電流。


 アレイシアも警告していた。


「これまでの会話も聞かれてる?」


「音そのものじゃない。あんたが見たもの、聞いたもの、感情の変化。断片的に向こうへ流れてる」


「じゃあ、ここも――」


「大丈夫。動くなよ」


 メイが俺の額へ手をかざした。


「何をする気だ?」


「死なないから黙ってろ」


 冷たい指で脳を直接撫でられるような感覚。


 次の瞬間、頭の中が真っ白になった。


「――っ」


 膝から力が抜け、メイに肩を支えられる。


「終わり」


「何をした?」


「感覚位相をずらした。簡単に言うと、向こうに流れるタイミングとか量を変えてる」


 メイが手を離す。


「感覚そのものは流れる。ただし、順番も強さも滅茶苦茶になってね」


「それ、向こうにはどう見えるんだ?」


「さあ。あんたが酒を飲みながら壁に頭を打ちつけてるように見えるかも」


「昨日、俺の居場所が分かったのって……」


「私にはあんたの感覚がわかる。あんたから流れてくる感覚を逆にたどった」


「殺す気はなかった?」


「ないよ。怖がらせて国外へ追い払おうとしただけ」


「十分殺されるかと思ったよ!」


「でも、逃げられたでしょ?」


 メイは楽しそうに笑った。


「まあ、結果的には助けてあげたんだからいいじゃん」


「半分くらい、お前が原因だろ」


 メイが俺の胸を指で軽く突く。


「なあ。これで、あんたを監視から助けてやった」


「嫌な言い方だな」


「取引しようよ」


 笑みが消える。


 乱れた黒髪の奥から、二つの瞳が俺を見つめた。


「あいつを殺すの、手伝って」



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