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第四十八話 長門の月

第四十八話 長門の月


 翌朝。


 メイに呼ばれ、共同体の中央修練場へ向かった。


 広大な石造りの広場に、数百人の兵士が並んでいる。


 全員が同じ灰色の訓練服を着ていた。


 男はほぼ同じ身長。


 女もほぼ同じ身長。


 わずかな顔立ちの違いを除けば、一人の人間を何百人も複製したように見える。


「始めてください」


 メイが告げた。


 号令はなかった。


 それでも、兵士たちは一斉に動き始めた。


 隊列が分かれる。


 交差する。


 走りながら武器を構え、前列が伏せた瞬間に後列が射撃姿勢を取る。


 何百人もの足音が、一つの音として地面を打つ。


 一人の判断が遅れることもない。


 一人だけ歩幅が乱れることもない。


「すごいな……」


「個体ごとの判断を最小化し、集団全体で動作を共有しています」


 メイが説明した。


「命令の伝達に要する時間も、解釈の差異も存在しません」


 隊列訓練が終わると、兵士たちは二人一組になった。


 武器を持たず、一対一で向かい合う。


 模擬格闘が始まる。


 一人が踏み込む。


 相手は腕を受け流し、足を払う。


 倒された兵士は地面へ触れた瞬間に回転し、相手の足首を狙う。


 攻防が速い。


 装備なしの技術だけなら、グラディエンの兵士にも引けを取らない。


 ただし、第四要塞で遭遇したGE-0673の姿はなかった。


「あの再生する兵士はいないんだな」


 何気ない調子を装って尋ねる。


「GE-0673ですか?」


 メイは隠そうともしなかった。


「あれらは、まだ安定して運用できる段階にありません」


「安定していない?」


「肉体の再生を優先する過程で、攻撃衝動や摂食行動が制御を外れることがあります。現在は隔離区域で試行錯誤を続けています」


 試行錯誤。


 人間を怪物へ変える研究を、料理の味でも調整するように言う。


「完成したら、ここの兵士にするつもりか?」


「必要ならば」


「必要じゃなければ?」


「より適した用途を検討します」


 やはり、こいつらにとって本人の希望は問題にならないらしい。


 模擬格闘を見ているうちに、一組の勝負が終わった。


 兵士の一人が、相手の首元へ寸止めする。


「……グラディエンの兵士と変わらないな」


「平均的な近接戦闘能力では、わずかに下回ります」


「わずかに、か」


「ただし集団戦闘ではこちらが上です」


メイは淡々と言った。


「個体の判断を減らすことで、集団としての反応速度を上げています」


「じゃあ、一対一なら?」


「不得手ですね」


「へえ」


「試してみますか?」


「……俺と?」


「はい」


「兵士ではありません。私とです」


 反射的に、彼女の身体を見る。


 軍服ではなく、身体に沿った黒い衣服。


 細い腰。


 長い手足。


 戦うための身体というより、絵画か彫刻のために整えられた身体に見える。


 こんな人と殴り合うのか。


 いや、待て。


 そういえば、この人の能力値は――。


「防具をお使いください」


「メイは?」


「必要ありません」


 俺は胴体と頭部に防具を装着した。


 一方、メイは簡素な訓練着のまま、長い髪を後ろで束ねる。


 その仕草だけなら、運動前の普通の女性に見えた。


「寸止めでいいんですよね?」


「当ててくださって構いません」


「怪我しても知らないぞ」


「心配していただき、ありがとうございます」


 礼は言ったが、俺に心配される必要などないと思っている顔だった。


 向かい合う。


 メイは構えらしい構えを取らない。


 両手を自然に下ろし、まっすぐ立っている。


「いつでもどうぞ」


 俺は間合いを詰めた。


 右の拳を放つ。


 メイが半歩動いた。


 拳が空を切る。


 手首へ指先が触れた。


 それだけで身体の軸がずれた。


「うわっ」


 足がもつれ、地面へ転がる。


「もう一度」


 立ち上がる。


 今度はフェイントを入れ、左から踏み込む。


 メイの手が肘へ添えられる。


 足首を払われたわけでもない。


 投げられた感覚さえなかった。


 それなのに、次の瞬間には地面が目の前にあった。


「何をした?」


「重心を、本来進むはずだった位置から外しました」


「ほとんど触ってなかっただろ」


「強い力は必要ありません」


 三度目。


 拳を出す直前、メイが間合いへ入った。


「速さは、動き始めてから役に立つ能力です」


 胸元を軽く押される。


 また背中から倒れた。


「あなたは攻撃する前に、攻撃すると教えてくれます」


「……どうやって?」


「呼吸。視線。筋肉の緊張。踏み込む足への荷重。人間は動作を始める前に、多くの予告を行います」


 メイが手を差し出す。


 今度は嫌な感覚がしなかった。


 その手を取り、立ち上がる。


「もう一度お願いします」


「ええ」


 今度は呼吸を意識する。


 視線を散らす。


 右へ踏み込むと見せて、左から回り込む。


 メイの黒い瞳が動いた。


 読まれた。


 そう思った瞬間には、腕を取られていた。


 手首が背中側へ回される。


 肩と肘を固定され、身動きが取れない。


「待っ、近い!」


 背中へ、メイの身体が触れている。


 顔だけ振り向くと、すぐ近くに黒い瞳があった。


 長い睫毛まで、はっきり見える。


「降参しますか?」


 耳元で静かな声がする。


 いや、待て。


 なんで俺は、国家元首に関節を極められながらドキドキしているんだ。


『うっわ……あんたなにしてるの?』


 アレイシアが引いた声を出す。


 いや違う、これはトレーニングで


「まだ続けますか?」


「……降参します」


 メイが手を離す。


 ようやく呼吸が楽になった。


「昨日より、心拍反応が強くなっていますね」


「運動したからだよ」


「なるほど」


『絶対信じてないよ』


 俺もそう思う。


「一対一は不得手って言っただろ」


「兵士たちの話です」


「先に言えよ」


 ◇


「食事にしましょう」


 訓練後、メイに連れられて人民食堂へ入った。


 入口には、大きな標語が掲げられている。


《好き嫌いは個性ではなく、栄養摂取上の障害です》


「食欲が失せること書いてあるな……」


「食欲の有無にかかわらず、必要な栄養は摂取できます」


「そういうところだよ」


 食堂内には、大勢の人間がいた。


 誰も大声では話していない。


 完全に無音というわけでもない。


 食器の触れる音。


 小さな会話。


 椅子を引く音。


 それらが一定の水準を超えない、静かで秩序立った空間だった。


 配膳口の前へ立つ。


 光が俺の身体を走査した。


《本日の活動量および代謝状態を確認》


《第六標準昼食を提供します》


 トレーが出てきた。


 穀物。


 薄い色のスープ。


 緑色の野菜を固めたもの。


 肉らしき灰色の塊。


 メイの前にも、少し量の違う似たような食事が出てくる。


「第一書記も、みんなと同じものを食べるのか?」


「私が人民より良いものを食べる理由はありません」


 一見すると、清廉な指導者だった。


 だが、食べたいものが何もないだけにも見える。


 会計をする場所はなかった。


 そもそも、この国には金を払うという行為が存在しないらしい。


 向かい合って座る。


 スープを一口飲む。


「これ、何の肉?」


「肉ではありません」


 メイが答えた。


「じゃあ何?」


「肉と同等です」


「答えになってない」


「栄養組成、食感、消化効率は肉と同等です」


「原料を聞いてるんだけど」


「複数の菌類と植物性蛋白質です」


 聞かなければよかった。


「お味はいかがですか?」


「悪くはないけど、ちょっと薄いかな」


「味覚適応処置を受ければ、標準食に十分な満足を感じられるようになります」


「遠慮しておく」


「苦手な食物がなくなりますよ」


「好きな食べ物もなくなりそうだから嫌だ」


「好き嫌いから解放されます」


「やっぱり嫌だ」


 メイは箸を手に取った。


 指先の動きまで無駄がなく、食べる所作が妙に美しい。


 料理はそれほど美味しくない。


 だが、向かいでメイが食事をしている光景には、なぜか見入ってしまう。


『マジで、女の人じろじろ見るのやめな』


 見てない。


『見てるって』


 俺は黙って、味の薄いスープを飲んだ。


 ◇


 食堂を出たあと、メイの案内で町を歩いた。


 正直、会話が続くとは思っていなかった。


 思想の話ばかりする、冷たくてつまらない女だと思っていた。


 だから当たり障りのない話を振ってみたのだが――意外にも、メイはよく話した。


 聞けば何でも返ってくる。


 植物の話から、この土地の気候。建物の意匠から昔の建築様式。水路を泳ぐ魚について聞けば、なぜか古い詩の話にまで飛んだ。


 しかも、嫌味がない。


 俺が知らないことを笑わないし、自分の知識をひけらかすこともない。


 彼女には、会話を不快にする感情がほとんど存在しないのかもしれない。


「この街、花はあるんだな」


「花を嫌いだと思っていましたか?」


「いや……なんとなく全部コンクリートにしそうだなって」


「それは効率が悪いですね」


「そこなんだ」


「緑地には気温調整、保水、心理的安定など複数の機能があります」


「ああ、やっぱりそういう理由か」


「それ以外の理由が必要ですか?」


「綺麗だから、とか」


メイは道端の花を見る。


「綺麗ですね」


「……言うんだ」


「事実ですから」


 ◇


 日が暮れるころ、俺たちは公園のベンチへ腰を下ろした。


 公園といっても、ずいぶん殺風景な場所だった。


 直線の遊歩道。等間隔に植えられた樹木。同じ形のベンチが、同じ間隔で並んでいる。


 中央を流れる水路だけが、妙に立派だった。


 水路の上を、生温かい風が渡っていく。


 空には星がいくつか見え始めていた。


 水路の表面を小さな光が流れる。


 ソウル・フライではない。


 この土地に生息する、普通の蛍だった。


 淡い光が、規則性もなく浮かんでは消える。


 この国で初めて見る、勝手に動いているもののような気がした。


 隣にいるのは、とんでもない思想を持つ国家元首だ。


 それなのに、この場面だけを切り取れば、妙に幻想的だった。


 メイが、蛍を見ながら静かに詠んだ。


 天回北斗掛西楼

 金屋無人螢火流

 月光欲到長門殿

 別作深宮一段愁


夜は巡り、北斗は西の楼にかかる。

黄金の宮には人影もなく、蛍だけが流れてゆく。

月の光は、長門の殿へ忍び入ろうとして、

深い宮の奥に、またひとつの愁いを落としてゆく。


 メイの声が、夜の公園へ溶けていく。


「人は、失ったものそのものより、かつてそれを所有していた記憶によって苦しむことがあります」


 メイは流れる蛍を見つめていた。


「……苦しいってことは、それだけ大切だったってことだろ」


「そうでしょうね」


 あっさり肯定され、言葉に詰まる。


「ですが、大切であったことと、苦しみ続ける必要があることは、同じですか?」


「それは……」


 理屈なら、たぶんメイの言うとおりなのだろう。


 失ったものを大切に思いながら、苦しみだけを手放せるなら、そのほうがいい。


 それでも、メイの言うことだけがすべてではない気がした。


「乙女に捧ぐ我が魂の絶唱――マイ・ソウル・フォー・ユー」


 いつものように、勝手に言葉が口から溢れ出す。


 萬家燈火滿皇州

 風送流螢過小樓

 流水出門歸遠浦

 長門明月尚淹留


都には、万家の灯が満ちている。

風に送られ、蛍は小楼を過ぎてゆく。

流れる水は門を離れ、遠い岸辺へ帰ってゆく。

それでも長門の月だけは――なお、そこに留まっている。


「…………」


 メイは何も言わなかった。


 静かな沈黙が流れる。


「美しい返しです」


「そりゃどうも」


「ですが、月が留まっているのは、誰かを想っているからではありません」


「……知ってるよ」


「天体の運行に、人間が意味を見いだしているだけです」


「それも知ってる」


 メイが、わずかに黙った。


「では、なぜそのように詠んだのです?」


「月が、まだそこにいるから」


「…………」


 メイはもう一度、空を見上げた。


 月は何も思っていない。


 誰かを待っているわけでもない。


 それでも、去った者がいる場所を照らし続けている。


「……この月は」


メイが不意に言った。


「何を指しているのです?」


「月は月だろ」


「そうですか」


それ以上、彼女は追及しなかった。


 ◇


 メイと別れ、一人で来賓室へ戻る。


 空はすっかり暗くなっていた。


 街路灯が、等間隔に道を照らしている。


 人通りはない。


 生温かい風が吹き、街路樹の葉を揺らした。


 どこかで、女の笑い声が聞こえた。


「あはははっ、ふふっ……」


 足を止める。


 メイだろうか。


 何か言い忘れて、追ってきたのかもしれない。


 振り返る。


 街路灯の下に、一人の女が立っていた。


 黒い髪は、ぼさぼさに乱れている。


 黒い瞳。


 白い肌。


 整った顔立ち。


 一瞬、メイだと思った。


 だが、メイはこんなふうに笑わない


 その口元には、顔が裂けそうなほど大きな笑みが浮かんでいる。


 右手には、長い刃物。


「見つけた」


 女が笑った。


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