第四十七話 この部屋は監視されていません
第四十七話 この部屋は監視されていません
案内された来賓室は、ひどく広かった。
壁も、床も、天井も白い。
継ぎ目の見えない壁面に、低いベッドと机、ソファ、洗面台が整然と埋め込まれている。
家具はどれも上等そうなのに、個人の趣味を感じさせるものが一つもない。
俺が室内へ入ると、画面が切り替わる。
《この居室には監視設備は設置されていません》
《安心してお過ごしください》
「そう言われると、逆に不安になるんだけど」
返事はない。
当然だ。
監視されていないのだから。
机に荷物を置いたところで、耳の奥に小さな音が鳴った。
『ステルス・マスターX』
ソフィヤの声だった。
誰がステルス・マスターXだ。
『何も話すな。私の声が聞こえたら、テレビをつけろ』
壁際の端末を操作する。
大型モニターに、穀物畑の映像が映った。
『この部屋は盗聴されている。うかつなことを話すな。分かったらチャンネルを変えろ』
さっき監視設備はないと言っていたはずだ。
チャンネルを変える。
今度は、同じ服を着た子供たちが、同じ動きで体操をしていた。
『よし。今回の任務を再確認する』
体操の音楽に重なって、ソフィヤの声が続く。
『盗まれた研究データと、自己増殖型遺伝子改変ウイルスの原株を回収してほしい。可能ならば製造設備も破壊しろ。理解したらチャンネルを変えろ』
チャンネルを変える。
白衣を着た女性が、正しい手洗いの方法を説明している。
『君が安全に通信できる場所を探してくれ。宿泊区画、公共施設、地下通路。候補はどこでもいい。ただし、ここで声を出して応答するな』
またチャンネルを変える。
今度は、無表情な男女が輪になって話し合っていた。
『それから、時間をかけて町全体を調査し、研究データが保管されている場所を特定してほしい』
チャンネルを変える。
画面の中で、老人が穏やかに笑っていた。
*『秘密を持たなければ、秘密が漏れる心配はありません』
この国の番組、怖いやつしかないのか。
『以上だ。定時連絡はこちらから行う。不審な行動は避けろ、ステルスマスターX』
通信が切れた。
直後、テレビ画面が暗くなった。
《短時間に複数の番組を切り替えています》
《注意力の低下が疑われます》
《長時間のテレビ視聴は、睡眠の質を低下させます》
「まだ三分くらいだぞ」
返事はない。
監視されていないのだから。
◇
コンコン。
扉を叩く音がした。
まさか、今の独り言を聞かれたのか。
壁面モニターに、廊下の映像が表示された。
金髪の男が一人、扉の前に立っている。
三十代半ばくらいだろうか。この国の人間に比べれば少し背が低く、服装も顔立ちも明らかに異なる。
扉を少しだけ開ける。
「こんにちは、エイユさん」
男は人懐っこい笑みを浮かべた。
「私はハルトマン。《月刊アポクリファ》の記者です」
「記者?」
「ええ。現在、この国について取材しています」
「ここは外国人記者も入れるんですか?」
「正式な許可を得ています。取材できる場所と、質問できる内容と、記事に書いてよい回答は、すべて事前に指定されていますが」
「それ、取材って言うんですか?」
「この国では言うそうです」
ハルトマンは笑った。
少なくとも、冗談が通じる。
この国へ来てから、初めてまともな人間と会った気がした。
「俺に何の用です?」
「国外から招かれた方が来ていると聞きまして。挨拶だけでもと思ったのです」
「それは、どうも」
扉を開けると、ハルトマンは軽く頭を下げて室内へ入った
俺たちはソファへ向かい合って座る。
「この国は、いかがですか」
「今のところ、すごく清潔です」
「なるほど。他には?」
「すごく静かです」
「それから?」
「すごく監視されています」
「大丈夫ですよ」
ハルトマンはいたずらっぽく、スクリーンを指さした。
「この居室には、監視設備は設置されていないみたいですから」
「もっとも、私は政治よりも、この国に伝わる奇妙な噂を調べているのです。読者は統計や政策より、怪談のほうを好みますので」
「怪談?」
「ご存じありませんか? 人民秩序共同体の七不思議」
「初めて聞きました」
ハルトマンは端末を取り出した。
「一つ目。切り裂き女」
その声が、少しだけ低くなる。
「夜更けに女の笑い声を聞いても、振り返ってはいけない。声をかければ、刃物を持った女が笑いながら、どこまでも追ってくる」
「よくある怪談ですね」
「追われた者も、最初はそう言うそうです」
「その人たち、結局逃げ切れてるじゃないですか」
「そこだけは救いですね」
ハルトマンは気にせず続けた。
「二つ目。顔のない男」
「夜間巡回の兵士を数えていると、ときどき顔のない男が混じっている。気づいても、決して顔を覗き込んではいけない」
「顔がないなら、覗き込むまでもなく分かるんじゃ?」
「分かってしまうから、覗き込みたくなるのでしょう」
「三つ目。十一番目の男」
「十人の労働個体を見かけても、決して人数を数えてはいけない。もし十一人いたなら、その中の一人は存在しない」
「一人多いなら、存在してるでしょう」
「存在しない者が混ざっているから、一人多いのです」
「分からない」
「私にも分かりません。理解した者は十二人目になる、とも言われています」
「設定を増やさないでください」
「四つ目。地下の幽鬼」
ハルトマンが、少しだけ声を潜めた。
「夜間、旧輸送トンネルを歩いていると、背後から名前を呼ばれることがある」
静かな部屋の空調音が、急に耳についた。
「振り返っても誰もいない。けれど、もう一度呼ばれる。最初より、少し近くから」
「返事をしたら?」
「二度とトンネルからは出られません」
「……それは、どうして?」
「返事をした者は戻ってこないので、誰にも分かりません」
また、怪談側に都合のいい理屈だった。
「ところで」
俺は端末を見る。
「七不思議なのに、四つしかないんですか?」
「ええ」
「残りの三つは?」
「ありません」
「は?」
「七不思議というのは、七つあるという意味ではありません」
ハルトマンは真顔で答えた。
「《七不思議》という名称の、四つの怪談です」
「名前がおかしいでしょう」
「昔は七つあったという説もあります」
「三つ消えた?」
「いえ。五つあった時期も、九つあった時期もあります」
「もう名前変えろよ」
ハルトマンは楽しそうに笑った。
この国へ来てから初めて、普通に笑う人間を見た気がする。
ハルトマンは端末をしまう。
「この国の方々は、皆とても親切です。質問すれば、許可された範囲ですべて答えてくれる」
「それ、親切なんですかね」
「ですが、国外の方と話すのも新鮮で楽しい。今後とも、お見知りおきを」
「今後も来るんですか?」
「ええ。よければ、情報交換をしましょう。あなたの知っている奇妙な話と、私の集めた奇妙な話を」
何か含みのある言い方だった。
ただの怪談記者なのか。
それとも、俺に接触するための口実なのか。
確かめる前に、ハルトマンは扉へ向かった。
「では、よい夜を。もし女性の笑い声が聞こえても、扉を開けないように」
「今それを言います?」
「開けなければ、たぶん大丈夫です」
「たぶん?」
「まだ、この部屋から消えた宿泊者はいませんから」
ハルトマンが廊下へ出る。
扉が閉じた。
部屋に静寂が戻った。
切り裂き女。
顔のない男。
十一番目の労働個体。
地下で名前を呼ぶ幽鬼。
今どき、そんなベタな怪談を本気にするわけがない。
全部、この国の奇妙さに尾ひれがついただけだ。
切り裂き女は脱走した犯罪者。
顔のない男は、暗闇で表情が見えなかった兵士。
十一番目の男は、労働個体の管理番号を数え間違えた。
地下の声は、古い通信設備の混線。
説明なんて、いくらでもつく。
分かっている。
分かっているのだが。
カタン。
どこかで、小さな音がした気がする。
俺は扉を見る。
誰もいない。
コン。
今度は、反対側。
空調設備の音だ。
たぶん。
《不安傾向を検出しました》
「え?」
《睡眠環境を最適化します》
照明が、ゆっくりと暗くなった。
室温が一度上がる。
壁面モニターには、穏やかな波の映像が流れ始めた。
《心拍数の上昇を確認》
《呼吸を整えてください》
「やっぱり監視してんじゃねえか!」




