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第三十七話 先生との外出は訓練に含まれますか

第三十七話 先生との外出は訓練に含まれますか


 翌朝。


 鏡の前で、襟元を整える。


「髪どうしたん」


「変か?」


『いや……なんかキモい』


「ひどくない?」


 珍しく整髪料まで使い、前髪を固めてみたのだが、どうやら正解ではなかったらしい。


 指先で少し崩し、横へ流す。


『そう。そっちのほうがマシ』


「…………」


『その上着で行くの?』


「駄目か?」


『ヴェイルのロゴついてるじゃん。仕事で来た人みたい』


「相手は知らないだろ」


『そういう問題じゃないでしょ』


 たしかに、デートに着ていく服ではない気がする。


 デートではないけど。


 結局、白いシャツと濃紺の上着を選んだ。


 たぶん、シティスタイルってやつだ。


「お前、本当に今日ずっといるつもりか?」


『まさか。こんなの長く見てられないし』


「だったら切れ」


『はいはい』


 接続が切れる直前、アレイシアが小さく言った。


『……まあ、今日の格好は普通にいいんじゃない』


「え?」


 返事はなかった。


 鏡を見る。何がいいのかは分からないが、悪くはないらしい。


「……行くか」


 俺はもう一度だけ襟元を確認し、部屋を出た。


 ◇


 待ち合わせは、中央広場の像の前だった。


 十分前に到着した俺は、休日を過ごす人々を眺めていた。


 この国にも、休日はあるらしい。


「エイユ」


 振り向く。


 一瞬、誰だか分からなかった。


 淡い色の上着に、濃紺のスカート。いつも束ねている栗色の髪を、今日は肩へ下ろしている。


 白い軍服も、医療衣も着ていない。


 それだけなのに、まるで別人に見えた。


 いや、目元も、少し困ったように笑う顔も、いつものリーネだ。


 それなのに。


 あれ。


 雰囲気違うな。


「待たせた?」


「いえ。俺も今来たところです」


 こういうときはそう答えるものだ。


「その服……いつもと違いますね」


 かわいいですね。という言葉が出かけて引っ込んだ。


 もっと言い方はあっただろう。


「ええ。軍服でお祭りに行くのも変でしょう?」


「そうですね」


「エイユも、今日はちょっと格好いいね」


「…………」


 天気の話と同じくらい自然に言われた。


「あ、ありがとうございます」


 声が少し裏返る。


 二人で会場に向けて歩き始める。


 リーネは気にせず、会場までの経路を説明し始めた。


 聞かなければならない。


 だが、頭に入ってこない。


 近いな。


 睫毛、長いな。


 増幅された神経が、髪の動きや足音、呼吸の間隔まで正確に拾っていた。


「――どう思う?」


「はい」


「聞いてた?」


「ちょっと考え事をしてました」


「今日くらい、訓練のことは忘れていいよ」


 原因は訓練ではない。


 それだけは確かだった。


 ◇


 企業連合フェアは、グラディエンの都市とは思えないほど華やかだった。


 白い砂を敷いた人工海岸。巨大な洞窟を模した体験型シアター。企業所属の強化選手が戦う拳闘場。


 通りには木造風の屋台が並び、色とりどりの灯りが昼間から星のように瞬いている。


「すごい……」


 リーネは人工海岸を飛ぶ発光生物を見上げていた。医療区画で見せる落ち着いた顔とは違う。


「これは、どんな料理なの?」


 透明な器に、青い麺のようなものが入っている。


「これは企業連合では有名な……」


「有名な?」


「……麺料理です」


「こっちは?」


「甘そうです」


「色しか見てないでしょう?」


 俺が企業連合で食べたものは、鉱山労働者と頼んだ正体不明の料理か、アマラに食べさせられた最高級品くらいだ。


 中間がない。


「あ、これは――」


 以前アマラから聞かされたやつだ。


「これは《アルジェント・ノワール》。希少な紅茶で、低重力農園で新芽だけを育てるから香りが――」


 説明はそこでやめた。


「意外。エイユって紅茶が好きなのね」


「いや。飲まされてただけです」


 ◇


 通りの先に人だかりができていた。


 並んでいたのは、『パラサイト・ウォーリアー』の関連商品だった。


 この売り場には近づかないでおこう。


 そのまま人混みへ入る。


 周囲には、手をつないで歩く男女がいた。


 俺たちは違う。普通に遊びに来ただけだ。


 ただ、はぐれないためなら手を握っても不自然ではないのではないか。


 いや。普通はまず声をかける。突然握ったら怖い。


 隣を歩くリーネの手を見る。


 俺の手まで、十・〇二五センチ。歩調によって九・八ミリ単位で変動している。


 神経増幅の無駄遣いだった。


「人、混んでるね」


「そうですね」


 リーネが俺の袖をつかんだ。


「はぐれたら大変だから」


「…………はい」


 手ではない。


 袖だった。


 それでも、そこから先の記憶が少し曖昧になった。


 ◇


 串焼きの屋台の前に、見覚えのある黒髪の女性が立っていた。


「シアーダ?」


「エイユ。今日は休暇か?」


 まずい。リーネと二人で会っているのがばれてしまう。


「あっ、いや……市街地適応訓練です」


 シアーダは無表情で俺とリーネを見る。


 もう一度、俺を見る。


「なるほど。では、訓練を継続しろ」


「はい」


「成功率は低そうだがな」


 シアーダは、人混みへ消えていった。


「大佐、何の話をしていたの?」


「さあ」


 俺にも分からないことにした。


 ◇


「先生って、辛いものは大丈夫ですか?」


「好き」


「甘いものは?」


「それも好き」


「嫌いなものはないんですか?」


「あるよ。セロリ」


「なんか意外だな」


「患者の好き嫌いには厳しいけれど、自分の嫌いなものまで克服したとは言ってないわ」


 少し恥ずかしそうに笑う。


 そういう顔もするのか。


 俺は鉱山で食べた料理を見つけ、二人分を買った。


 灰色の肉片。半透明の脂。黒く焦げた筋膜。赤黒いタレ。


「これ、おいしいんです」


「……本当に食べられるの?」


 明らかに疑っている。


 リーネは恐る恐る一口食べ、目を見開いた。


「な、何これ……おいしい!」


 反応がいい。


「気に入ったなら、これも試してみるか?」


 俺はテーブルの上にあった調味料の入った小瓶を取り出した。


「何、その怪しい粉」


「粉チーズ三号だ」


「こなちーず……さんごう?」


「そのまま食べるんじゃなくて、少しだけかけたほうがいい」


「これ以上おいしくなるわけ――」


「――っ!?」


 その手が止まる。


「な、何よこれ! さっきよりおいしくなってる!」


 俺が作ったわけでもないのに、妙な達成感があった。


 食事の途中、リーネが飲み物の表示を指す。


《渚の星空トロピカル》


 青い飲み物に白い泡と花、光る果実が飾られている。


「頼んでみます?」


「ええ」


 運ばれてきたのは、顔ほどもある巨大な器だった。


 中央で小さな花火が弾け、左右から二本のストローが伸びている。


「…………」


「…………」


「二名様用です。両側から同時にお楽しみください」


「あ、二人用だったのね」


 リーネは気にせず、片方のストローへ口をつけた。


「甘くておいしい。エイユも飲んでみる?」


 停止。


「どうしたの?」


「……いただきます」


 反対側のストローへ口をつける。


 青い飲み物の向こうで、リーネが普通にこちらを見ている。


 俺だけが意識している。


 たぶん。


『……うわ』


 頭の中に、聞き覚えのある声がした。


『ちょっと待って。二人で同じの飲んでるの?』


 無視する。


『ストロー二本で女の人とカップルみたいなことしてる。なんかこっちまで恥ずかしくなってきた』


「エイユ、顔が赤いけど辛かった?」


「飲み物が冷たかっただけです」


「冷たいと赤くなるの?」


『その言い訳は無理でしょ』


 俺は接続を強制的に切った。


 ◇


 彼氏とかいるのかな。


 だが、いきなり聞くのはおかしいよな。


「先生って、いつから医者になろうと思ったんですか?」


「適性検査で、戦闘より救急処置や生体科学に向いていると言われたの。それが最初ね」


「軍の中で、今の仕事を選んだ理由は?」


「身近に、放っておくとすぐ無茶をする人が多かったからかな」


 リーネは少し困ったように笑った。


「誰かのためなら、自分の命くらい平気で使ってしまう人っているでしょう? そういう人たちに、なるべく長生きしてほしかったの」


 その笑い方が、誰かに似ている気がした。


 毎日会っているのに、俺はリーネがセロリを嫌いなことすら知らなかった。


 医務室で見ていたのは、いつも俺を診察している先生だけだ。


「エイユは、企業連合にいた頃、何をしていたの?」


「俺は――」


 そのとき、広場の大型モニターが切り替わった。


 高級クルーザーが海岸を突き進んでいる。


『YO YO YO! 荒野から来たぜ、俺がE-YU!』


 金のチェーンと黒いサングラスを身につけた男が船首に立っている。


 見た目は完全に俺だった。


 両脇には水着姿の美女。


 札束をばらまいた後、仲間たちと意味もなく拳を突き合わせる。


「…………」


 リーネがモニターを見る。


 俺を見る。


 もう一度モニターを見る。


「あれ、エイユ?」


「違います」


「でも、顔が同じ」


「俺をモデルにして勝手に作られた映像です」


「撮影もしてません。歌ってもいません。船にも乗ってないし、あの女の人も知りません」


 聞かれていないことまで釈明してしまう。


 リーネが笑った。


「エイユにも、いろいろあったのね」


「ありました。特に知らないところで」


 ◇


 食事のあと、洞窟型シアターと人工海岸を回り、拳闘場では吹き飛ばされた選手をリーネが真顔で心配していた。


 日が傾き始めたころ、射的の屋台へ立ち寄る。


 十メートル先で、直径一センチほどの光点が不規則に飛び回っていた。


「これ、当てられる人いるんですか?」


「初日は大勢いたよ」


 店主が苦々しく答える。


「グラディエンの連中、射撃がうますぎるんだ。景品が一時間でなくなったから難しくした」


「上げすぎだろ」


 景品棚には、丸い原生生物の小さいぬいぐるみが並んでいた。実物なら人を食べるが、ぬいぐるみになると妙にかわいい。


「かわいいかも」


 リーネが、その一つを見つめる。


 取ってやりたい。


 そう思ったところで、後ろから声がした。


「おいおい、兄ちゃん」


 企業ロゴの入った競技服を着た、筋肉質な男が立っていた。


「その細腕で取れる景品じゃないぜ。彼女の前で恥かく前にやめときな」


 来た。


 よく見るやつだ。


 彼女ではない。


 そこは訂正したほうがいい。


 ただ――彼女の前で恥をかく、という部分には少し引っかかった。


 こんな安い挑発に乗るほど、俺も子供ではない。


「一発で充分です」


 口が勝手に動いた。

 

『やめときなって』


 アレイシアの声が割り込む。


『格好つけて失敗する流れじゃん』


 正直、格好つけているところはある。


 百分の一速で繰り返した射撃訓練。


 規定回数を終えても追加して鍛えた。


 全部、この瞬間のためだったのかもしれない。


 たぶん違うと思うけど。


 銃が俺へ渡される。


 光学照準器はない。


 呼吸を整える。


 光点の速度、進行方向、反転の間隔、引き金の遊び。


 すべてが細かく見えた。


『本当にやるの? やめるなら今だよ』


 背後に、リーネがいる。


 ここで外したら、ものすごく恥ずかしい。


 それでも、銃口を上げる。


 光点が右へ飛ぶ。


 反転。


 次に通る位置へ照準を置き、引き金を引いた。


 乾いた音。


 弾丸が光点のど真ん中を撃ち抜いた。


 光の円が中央から砕け、命中を知らせる鐘が鳴る。


「…………」


 店主も筋肉男たちも固まっている。


『え』


 アレイシアがつぶやく。


『……かっこよ』


「聞こえてるぞ」


『言ってない』


 リーネが隣へ来た。


「すごい。本当に格好いい」


 その一言で、訓練中に褒められたとき以上に胸が熱くなった。


 店主から、リーネが見ていたぬいぐるみを受け取る。


「これ」


「私に?」


「ほしそうだったので」


「でも、エイユが取ったのに」


「俺が持ってても仕方ないですから」


 リーネは両手で受け取ると、胸元へ抱えた。


「ありがとう。大切にする」


 また心拍が速くなった。


 今日は、身体の異常を診察されなくてよかった。


 ◇


 帰り道。


 屋台の灯りが、暗くなり始めた空の下で揺れていた。


 リーネはぬいぐるみを抱えて歩いている。


「今日は楽しかった」


「俺もです」


「誘ってくれて、ありがとう」


「案内は、ほとんどできませんでしたけど」


「いいのよ」


 リーネが笑う。


「知らないものを、二人で見るのも楽しかったから」


 何か気の利いたことを返したかった。


 また一緒に行きましょう、とか。次は別の場所へ、とか。


 だが、うまく言葉が出てこない。


 隣を歩く距離は、行きより少し近かった。


 今なら手を握れるかもしれない。


 そう思った。


 けれど、今日はこれでいい気もした。


 リーネが楽しそうにぬいぐるみを抱えている。


 それだけで十分だった。


 ◇


 翌朝。


 医務室へ入る。


 リーネの机には、医療端末と、角の欠けたカップ。子供が描いた不格好な女性兵士の絵。


 そして、その隣。


 昨日取った原生生物のぬいぐるみが置かれていた。


 誰かに見せるためでも、大げさに飾るためでもない。


 ただ、毎日目に入る場所へ、ひっそりと。


「おはよう、エイユ」


 リーネがいつもどおりに笑った。


「今日は昨日の分まで、しっかり訓練しましょうね」


「……はい」


 机の上のぬいぐるみを、もう一度見る。


 今日も、何でもできる気がした。


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