第三十四話 強くなったら、歩き方が分からなくなりました
第三十四話 強くなったら、歩き方が分からなくなりました
警報が、要塞中に鳴り響いた。
『外周部に多数の原生生物!』
報告を受けたシアーダは、即座に命令を下す。
「防御フィールドを展開。外周火器管制を自動迎撃へ移行。民間区画には第二種避難命令を出せ」
『了解!』
要塞を囲む無数の塔が、一斉に青白い光を放った。
光は空中でつながり、巨大なドームとなって街全体を覆う。
バチバチバチッ!
空を飛ぶものも、地上を這うものも、フィールドへ触れた瞬間に青白い稲妻に包まれた。
甲殻が砕け、焦げた肉の臭いと黒煙を残して、次々と荒野へ倒れていく。
俺を助けようとして来たのだとしたら、あまり笑えない。
俺はもう一度、原生生物たちへ意識を向けた。
もう大丈夫だ。助けはいらない。帰ってくれ。
その意思が伝わったのか、要塞を囲んでいた気配は、次々と荒野へ散っていった。
しかし、市街地に入った原生生物は、目の前のエサに興奮している。
「展開前に外周を突破した個体がいる」
シアーダの言葉とともに、壁面の映像が切り替わった。
数十体の原生生物が、すでに市街地へ侵入している。
「俺も行く」
立ち上がろうとしたが、脚に力が入らない。
床へ手をつきながら、それでも身体を起こそうとする。
「駄目だ」
シアーダは即答した。
「俺が呼んだんだ。俺が追い払わないと」
「今のお前を戦場へ出せば、守る対象が一人増える」
「でも、俺の能力なら――」
「お前はまだ、他人を守れない」
冷たい言葉だった。
だが、シアーダは俺を責めているわけではない。
ただ、事実を告げている。
「あの程度の数なら、我々だけで対処できる」
そう言って、シアーダは市街地の指揮へ戻った。
俺は唇を噛んだ。
確かに、今の身体では走ることすらできない。
だが、何もせず見ていることにも耐えられなかった。
そのとき、新しく得た称号を思い出す。
《原生の導き手》原生生物との感覚共有が可能
「感覚共有……」
現場へ行けなくても、原生生物の目を通して、市街地の様子を確認できるかもしれない。
俺は意識を集中させた。
要塞内へ侵入した原生生物の群れ。
その中から、小型の羽虫に似た個体を選ぶ。
「《魂魄を束ねし神経共鳴――ソウル・シナプス・ハーモナイズ》」
視界が暗転した。
◇
次の瞬間、俺は空を飛んでいた。
いや、飛んでいるのは俺ではない。
人間とはまったく異なる視覚。
色も、距離感も、光の捉え方も違う。
眼下には、金属製の四角い建物が並んでいた。
民間人の居住区だ。
『第二区画へ侵入を確認!』
『子供と高齢者を先に地下へ!』
『動ける者は人数を確認しろ! 一人で行動するな!』
住民たちは、驚くほど冷静だった。
大人たちが子供の手を引く。
誰かが転びそうになれば、別の誰かが腕をつかむ。
押し合いも、怒鳴り合いもない。
逃げる方向を奪い合う者もいなかった。
ほんの数十秒で、人影が通りから消える。
建物の扉が閉まり、窓へ分厚い金属製のシャッターが下りた。
その直後。
ガコン。
ガコン。
各住宅の屋根が開き、銃火器がせり上がってきた。
「家に銃がついてるのかよ」
照準装置が動く。
銃口が、侵入した原生生物へ一斉に向けられた。
ダダダダダダダッ!
住宅街の至るところから銃声が響く。
一軒が敵の足を止め、別の家が露出した弱点を撃ち抜く。建物同士が互いの死角を補い、侵入した原生生物を仕留めていった。
民家一軒ごとが、砲台だった。
遠くにいた甲虫の頭部が消し飛ぶ。
「あれ?」
俺は羽虫の視界を借りたまま、呆然とした。
「これ、俺の助けいらなくない?」
そのことに気づいた瞬間、別の問題が頭に浮かんだ。
「待てよ」
俺が視界を借りているのは、要塞へ侵入した原生生物だ。
つまり、防衛火器から見れば普通に敵である。
「このまま、俺も撃たれるんじゃ――」
銃口がこちらを向いた。
「待って。俺、中身は――」
乾いた音。
小さな身体が、一瞬で砕け散った。
◇
「うわああああああっ!」
俺は悲鳴を上げて現実へ戻った。
反射的に胸や腹へ触れる。
穴は開いていない。
手足もついている。
「どうした?」
シアーダがこちらを見る。
「撃たれた」
「お前はここにいる」
「視界を借りてた虫が撃たれたんだよ!」
「感覚まで共有できるのか」
シアーダは驚くより先に、俺の能力を分析していた。
「偵察には使えそうだな。ただし、接続対象の死による精神的影響は調査する必要がある」
「まず俺の心配をしてくれない?」
「負傷は?」
「してないけど、痛かった」
「ならば問題ない」
グラディエンでは、痛いだけなら問題に含まれないらしい。
しばらくして、通信が入った。
『市街地へ侵入した個体をすべて排除』
『民間人および防衛要員の死傷者、ゼロ』
『各区画の安全確認へ移行します』
もう終わったらしい。
原生生物の襲撃。
防御フィールドの展開。
市民の避難。
侵入個体の撃退。
そのすべてが、俺が一匹の羽虫へ接続して撃たれるまでに片づいていた。
「本当に、兵士以外も戦えるんだな……」
「だから言っただろう」
シアーダは市街地の映像を確認しながら答えた。
「軍が到着するまで生き延びられない市民は、軍にも守れない」
兵士だけが強い国ではない。
子供も老人も、逃げ方を知っている。
動ける者は、誰を優先して守るべきか知っている。
建物も、道路も、街そのものも、生存するために作られている。
「これが、グラディエンか……」
俺はようやく、この国が掲げる強さの意味を少しだけ理解した。
シアーダが通信を切り、俺を見る。
「ところで、エイユ」
「なに?」
「私の言ったことを覚えているか?」
「他人を巻き添えにしない人間になること」
「そうだ」
シアーダは、要塞を取り囲む原生生物の大群を指した。
「…………」
「先は長そうだな」
反論できなかった。
◇
警戒態勢が解除されたあとも、俺の訓練は終わらなかった。
神経増幅装置から出された俺は、まともに立つことすらできない。
情報が多すぎる。
天井の照明が、目を焼くほど眩しい。
換気装置の音が、一つではなく、何枚もの異なる音として聞こえる。
衣服が皮膚を擦る。
呼吸するたびに肺が広がる。
心臓が血液を押し出す振動まで、はっきりと分かった。
今まで意識していなかった感覚が、一斉に頭へ流れ込んでくる。
「うるさい……」
「この部屋にいる者は、誰も話していない」
「音じゃなくて……全部がうるさいんだよ」
腕を動かそうとする。
肩。
上腕。
肘。
手首。
筋肉と関節の動きを、一つずつ別の情報として感じてしまう。
足を前へ出そうとすれば、太腿、膝、足首、足の指へ同時に意識が向いた。
どの筋肉を。
どの順番で。
どれほど動かせばいいのか。
考え始めた瞬間、歩き方が分からなくなった。
右足と右腕が同時に前へ出る。
慌てて修正しようとして、膝が抜けた。
「うわっ」
床へ倒れる。
「強くなったんじゃないのか?」
俺は床へ頬を押しつけたまま尋ねた。
「性能は上がった」
シアーダは、倒れた俺を見下ろした。
「まだ、使い方を知らないだけだ」
今日は、もう終わりにしてほしかった。
だが、作戦まで十日しかない。
身体が動かないことは、訓練を休む理由にならないらしい。
◇
シアーダは俺の身柄を、生体調整官へ引き渡した。
「彼の神経適応を任せる」
「はい、大佐」
答えたのは、俺と同じか少し年上に見える女性だった。
柔らかそうな栗色の髪を後ろで束ね、白い軍服の上から薄手の医療衣を羽織っている。
軍人らしい張りつめた雰囲気はない。
穏やかな目元と、わずかに微笑んだ口元。
「生体調整官のリーネよ。立てそう?」
「無理そうです」
「そう。では、無理に立たなくていいわ」
リーネは俺の腕を肩へ回し、衛生兵と一緒に身体を支えてくれた。
「すみません、重くないですか?」
「鍛えているから平気よ。それより、腕に力を入れないで。今のあなたは加減ができないでしょう?」
言われて慌てて腕を緩める。
優しくされると、別の意味で緊張する。
◇
俺は別室へ運ばれ、医療用のベッドへ寝かされた。
リーネが頭と手足にセンサーを取りつける。
「ここからは、増幅された神経を調整します」
「少し休むという選択肢は?」
「今の状態で休めば、無秩序な反応がそのまま定着してしまうかもしれないの」
「休むほうが危険なんですか?」
「ええ。つらいと思うけれど、もう少しだけ頑張りましょう?」
そういうことなら、仕方ない。
最初に渡されたのは、ストップウォッチのような器具だった。
「開始から十秒後に止めて。表示は見ないでね」
開始。
十秒を数えて、停止する。
《10.000秒》
「え?」
「次は、十・〇〇五秒」
《10.005秒》
「正解。では、七・三八二秒」
《7.382秒》
それでも成功した。
「どうして分かるんだ?」
秒数を数えているわけではない。
心拍。呼吸。そのすべてが、時間を測る目盛りになっている。
「神経の処理速度が上がって、一秒を以前より細かく感じられるようになったの」
「時間が遅くなったみたいなもの?」
「正確には、あなたの認識が速くなったの」
少し格好いい気がしてきた。
今のところ、時間を正確に測れるだけだが。
次は指先の制御だった。
「人差し指を、一センチだけ動かして」
《移動距離:18.4ミリメートル》
「倍近く動いてる」
「以前と同じ感覚で命令を出しているからよ。焦らず調整しましょう」
《10.9ミリメートル》
《10.0ミリメートル》
「できた」
「ええ。では次は一ミリね」
「急に細かくない?」
何度も失敗し、ようやく表示が止まる。
《1.0ミリメートル》
曖昧だった感覚が、少しずつ繊細になっていく。
自分の身体というより、精密機械を調整しているようだった。
「……人間をやめた気がする」
「自分の身体を丁寧に扱えるようになるのは、人間をやめることではないと思うわ」
リーネは、額の汗を布で拭ってくれた。
「休憩は?」
「次の課題を成功させたら考えましょう」
「考えるだけ?」
「ええ」
待て。やっていることは、シアーダと大差がない。
そのとき、訓練室の扉が開いた。
シアーダが記録を確認し、淡々と言う。
「基礎調整は順調だな。次は歩行訓練だ」
《起立動作反復:五百回》
《歩行制御:八時間》
《転倒時受身訓練:習得まで》
「これ、マジで?」
リーネが俺の肩へ優しく手を置く。
「大丈夫。あなたが諦めないかぎり、私も最後まで付き合うから」
彼女はきっと、最後まで優しい。
そして俺が諦めないかぎり、訓練を終わらせる気もないらしい。




