第三十三話 助けを呼んだら、怪物の大群が来ました
医療区画へ入ると、消火用ホースのような器具を身体へ押し当てられた。
「ちょっと待って。それ、先端に何かついてない?」
「投与針だ」
「多すぎない?」
器具の先端には、無数の細い棘が並んでいた。
逃げる間もなく、脇腹へ密着する。
ガシュッ。
「いっ――!」
棘が一斉に皮膚を貫いた。
直後、冷たい液体が身体の内側へ流れ込んでくる。
血管だけを通っている感覚ではない。
筋肉の隙間へ染み込み、骨の表面を這い、内臓を包んでいく。
自分の身体へ、異質な何かを無理やり詰め込まれている。
「何を入れたんだ?」
「高密度栄養剤、造血促進剤、骨形成促進剤。それから、臓器保護用の医療機械群だ」
「最後だけ急に怖いんだけど」
「訓練中に発生する内出血、骨折、臓器損傷を抑制する。これがなければ、お前の身体は最初の工程で壊れる」
「これから何をするつもりなんだよ……」
「安心しろ。身体を壊さないための処置だ」
身体以外の何かが壊れる可能性については、何も言わなかった。
「投与した物質が全身へ定着するまで、少し時間がかかる」
シアーダは踵を返した。
「その間に、我々の兵士がどのように生まれ、何を受け継ぐのか見せてやる。ついてこい」
◇
連れてこられた区画の扉には、こう書かれていた。
《人的戦力継承区画》
扉が開く。
透明な培養槽が、部屋の奥まで並んでいた。
その中に、裸の人間が一人ずつ浮かんでいる。
同じ顔。同じ体格。同じ年齢。
人間を、工業製品のように生産している。
そうとしか見えなかった。
「希少で有用な能力を証明した者は、本人の同意のもとで遺伝情報を保存する。兵士だけではない。科学者も、医師もだ」
「……それ、やっていいやつなのか?」
「おぞましい行為だということは理解している」
シアーダは弁解しなかった。
「だが、この技術で救われた命の数を、我々は知っている。守れる命を見捨ててまで、守るべき倫理があるとは思わない」
答えられなかった。
神々の僕なら、迷わず忌まわしいと断じるだろう。
学院なら、倫理委員会を開いたうえで、似たようなことをする。
アマラなら、新しいビジネスにする。
「シアーダも、この中で作られたのか?」
「ああ。記憶は統合記録を通じて、他のシアーダと次の個体へ継承される」
シアーダは培養槽を見上げた。
「私は、雨の中でお前を逃がしたシアーダの記憶も持っている」
「自分が死んでも、次が作られる。……怖くないのか?」
シアーダは答えなかった。
「それとも、経験が残るなら、自分は不死身って感覚なのか?」
「違う」
静かな声だった。
「私が死ねば、私は死ぬ」
静かな声だった。
「次のシアーダは経験を受け継ぎ、自分のこととして思い出すだろう。だが、それは私ではない」
シアーダは自分の胸へ手を当てた。
「我々は同じ存在だ。だが、同じ命ではない」
「じゃあ、やっぱり怖いのか」
「当然だ」
「私は生きたい。だが、私が死を恐れたために、守れるはずの命が失われることは、それ以上に耐えがたい」
雨の中で死んだシアーダを思い出した。
片腕を失い、それでも俺を逃がそうとした、あの穏やかな笑み。
代わりがいるから、命を投げ出したのではなかった。
怖くても、それ以上に守りたいものがあった。
だから、自分で選んだのだ。
「そして、次の私は同じ失敗を繰り返さない」
シアーダの瞳に、迷いはなかった。
「敵が我々を殺すほど、次の我々は強くなる。最後まで立っていた者が勝者なら、最後に立つのは必ず我々だ」
狂気に似ていた。
だが同時に、この世界で生き残るための、恐ろしく合理的な答えにも聞こえた。
◇
隣の部屋には、保育器が並んでいた。
中にいるのは、民間人の赤ん坊だという。
「生まれたときに、身体能力と精神的耐性を調べる。兵士にするためではない。大勢を救える力を持って生まれた者を、見落とさないためだ」
「基準に届かなかった子供は?」
「愚か者め」
シアーダは心底、意味が分からないという顔をした。
「武器を整備する者も、弾薬を運ぶ者も、負傷者を治療する者もいる。銃を持つことだけが戦いではない」
生まれた直後から適性を測られ、進む道を決められる。
それを自由と呼べるのかは分からない。
それでも、この国は誰も切り捨てていなかった。
間違っていると、簡単には言い切れなかった。
◇
「一つ、確認したいんだけど」
医療区画へ戻る途中、俺はシアーダに尋ねた。
「これからの訓練で、俺の身体に機械を入れたり、遺伝子を改変したりするのか?」
「ミリアを気にしているのか?」
「助けるつもりなのは変わらない。でも、次に会ったとき、俺の頭から銃身が生えてたら、どんな顔をするかなって」
「すでに異端者なのだろう。今さら一つや二つ増えたところで、何が違う?」
「本人にとっては大違いなんだよ」
「安心しろ。機械は入れない。遺伝情報も変更しない」
「本当か?」
「その方が短期間で強くなるのは事実だ。しかし、十日では適合処置が終わらない。今回は時間がない」
倫理的な配慮ではなかった。
単に納期の問題だった。
そのとき。
急激な吐き気が込み上げてきた。
「うっ……」
胃が裏返りそうになる。
身体が熱い。
骨の内側が軋み、心臓が異常な速さで脈打っている。
立っていられず、壁へ手をついた。
「来たな」
シアーダが俺の瞳を覗き込み、脈拍を確認する。
「投与物質が全身へ行き渡った。神経系限界拡張処置へ入れろ」
「ちょっと待って。今、吐きそうなんだけど」
「正常な反応だ」
「正常の範囲が広すぎない?」
両脇を兵士に抱えられ、青い円筒形の装置へ運ばれる。
内部へ立たされると、拘束具が身体を固定した。
完全に逃げられなくなる。
「これは、何をする装置なんだ?」
「神経系へ直接負荷を与える」
青い隔壁が閉じていく。
《神経系限界拡張工程を開始します》
《警告:通常の安全基準を超過しています》
《警告:非適合者への実行は推奨されません》
「警告が二つ出てるぞ!」
「知っている」
「止めなくていいのか?」
「そのために、先ほど身体を壊れにくくした」
「壊れないって、痛くないって意味じゃないよな?」
シアーダは答えなかった。
《出力:一パーセント》
青白い光が点灯した。
その瞬間。
全身を、内側から刺し貫かれた。
「――ッ!」
声すら出なかった。
針ではない。
刃物でもない。
痛みを感じるための神経そのものへ、灼熱した鉄を流し込まれたようだった。
身体のどこかを刺されたなら、痛むのはその場所だけだ。
だが、この装置の痛みには、場所がない。
存在するすべての神経が、同時に「ここが致命傷だ」と叫んでいる。
《出力:二パーセント》
「ああああああああッ!」
ようやく出た声は、自分のものとは思えなかった。
拘束具の中で身体が跳ねる。
逃げようとしても、逃げる方向がない。
痛みは外から来ているのではない。
自分の神経が、自分を焼いている。
《出力:三パーセント》
「止めろ! 止めてくれ!」
隔壁の向こうに、シアーダの姿が見えた。
彼女は無表情で計器を確認している。
「もう無理だ! 頼む、止めろ!」
「お前が要求した訓練だ」
「撤回する! 全部撤回する!」
「開始から、まだ七秒だ」
その言葉が、何より絶望的だった。
《神経伝達速度:上昇》
《負荷への適応を確認》
《出力を継続します》
一瞬、痛みが途切れた。
そう思った次の瞬間、さらに強い負荷が押し寄せる。
意識が白く染まった。
気を失おうとしても、装置が脳を強制的に覚醒させる。
逃げ場は、眠りの中にすらなかった。
何度も死んだと思った。
そのたびに、まだ死んでいないことを教えるように、次の痛みが襲ってきた。
◇
どれほど時間が経ったのか分からない。
装置が停止したとき、俺は拘束具に吊られたまま、指一本動かせなくなっていた。
青い隔壁が開く。
拘束が解除され、床へ崩れ落ちた。
「……こ、ろせ……」
「工程は終了した」
「今さら事務的に戻るな……」
視界の端で、文字が揺れた。
《称号進化条件を満たしました》
《原生を招く者》が進化します
《新たな称号を獲得しました》
《原生の導き手》
原生生物との意思疎通・招集に強い補正
原生生物との感覚共有が可能
「……なんで?」
そのとき。
要塞中に、けたたましい警報が鳴り響いた。
《警戒警報》
《外周部に多数の生体反応》
《接近中の原生生物を確認》
シアーダの端末へ、緊急通信が入る。
『大佐! 要塞外周へ原生生物が集結しています!』
「数は?」
『測定不能! 現在も増加中です!』
シアーダが、ゆっくりと俺を見た。
「エイユ」
「……何?」
「何をした?」
「叫んだだけだよ……殺してくれ、助けてくれって」
視界の端に、先ほどの説明が残っていた。
《原生生物との意思疎通・招集に強い補正》
「あ」
やってしまった。
壁面に、要塞外部の映像が表示された。
荒野の彼方から、無数の原生生物が押し寄せている。
種族も生態も異なる怪物たちが、互いに争うこともなく、一つの場所を目指していた。
俺のいる場所へ。
「…………」
シアーダは俺を見た。
次に、外を埋め尽くす原生生物の大群を見る。
「俺のせい?」
「ほかに候補がいるなら教えろ」
特別速成訓練。
開始から、まだ一時間も経っていない。
どうやら俺は、十日を待たずに全員を巻き添えにしたらしい。




