第三十二話 十日で一年分、死んでこい
第三十二話 十日で一年分、死んでこい
シアーダだった。
失われていたはずの左腕も、ちゃんとついている。
俺は念のため、小声で唱えた。
「《万象を見通す深淵の叡眼――アカシック・アナライザー》」
《シアーダ》
階級:大佐
所属:軍事勢力グラディエン
役職:第三遠征部隊指揮官
レベル:測定不能
攻撃力:300(+50)
防御力:250(+100)
素早さ:400(+0)
うん。
この意味の分からない強さ。
間違いなくシアーダだ。
「えっと……頭にチップを入れてるんだっけ?」
「ああ」
「じゃあ、サイボーグだから修理できたとか?」
「私はあのとき確かに死んだ」
シアーダは平然と言った。
「回収された組織と、保存されていた人格記録から、新しい身体を構築した」
「それ、本当に同じ人なのか?」
「重要か?」
「重要だろ」
「私には、死ぬ前の記憶がある。果たすべき任務も残っている。ならば、同一性について議論する時間はない」
シアーダは踵を返した。
「詳しい話は、必要になったときにする。ついてこい」
再会の余韻を大切にする女ではなかった。
◇
連れてこられたのは、要塞中央部にある作戦司令室だった。
壁面いっぱいに、巨大な地図が表示されている。
「突然出現する、強力な原生生物について知りたいのだろう?」
「ああ」
「結論から言えば、正体は不明だ」
「やっぱりか」
シアーダが地図へ触れる。
各地に、無数の赤い点が浮かんだ。
その一つが拡大される。
黒曜石のような身体を持つ、人型の怪物。
ヴェレスティンと戦ったとき、地面から現れたものと同じだった。
「ここ数か月、同系統の異常個体が各地へ出現している」
画面には、岩に無数の脚が生えたものや、複数の獣を融合させたような怪物が次々と映る。
赤い点は数か月で各地へ広がり、その多くが国境や居住地域の近くに集中していた。
「巣も、幼体も、移動した痕跡もない。文字どおり、何もない場所から現れている」
「俺が探している怪物と、関係があるかもしれない」
「可能性はある」
シアーダは、それ以上の推測を口にしなかった。
「一度、あの大型個体を調べた。でも、あのときは力を使い果たしてた。ほとんど情報が出なかったんだ」
「異常個体を直接調べたいなら、作戦に参加しろ」
地図が切り替わった。
《第四要塞》
《通信:途絶》
《防衛設備:喪失》
《駐留部隊:撤退》
《民間人死者:〇》
「四日前、異常個体の群れに占拠された。十日後に奪還する」
「死者は、いなかったのか?」
「民間人にはな」
シアーダの声は変わらなかった。
だが、その一言で十分だった。
死んだ兵士はいる。
それでも、守るべき人間は全員逃がした。
「要塞を捨てたのか?」
「壁を守るために人間を失う者は、指揮官ではない」
シアーダが地図上の要塞を指した。
「土地は奪い返せる。設備は作り直せる。だが、訓練された人間を育て直すには時間がかかる」
合理的な言葉だった。
人命を尊んでいるようにも聞こえる。
だが同時に、人間を貴重な軍事資源として数えているようにも聞こえた。
「参加を希望するなら、戦闘適性を証明しろ」
「俺、ヴェレスティンと戦って生き残ってるけど」
「生き残ったことと、戦えることは違う」
シアーダは即答した。
「幸運で一度生き延びた者を、兵士とは呼ばない。同じ状況から、何度でも生還できる者を兵士と呼ぶ」
◇
グラディエンでは、読み書きと同時に武器の扱いと生存方法を学ぶ。
戦争が起きるかどうかは選べない。秩序が明日も残っている保証もない。
だから、すべての人間が自分と隣人を守れるようにする。
それが、この国の教育だった。
俺が案内されたのは、戦闘適性を測定するためのシミュレーターだった。
肉体と神経反応を読み取り、疑似空間内に本人を再現する。
全身の走査が完了すると、武器選択画面が現れた。
《使用武装を選択してください》
《制式自動小銃》
《近接戦闘用ブレード》
どちらも、まともに使ったことがない。
「……銃のほうが、まだ何とかなりそうだな」
《制式自動小銃を選択しました》
◇
《ROUND 1》
視界が切り替わる。
コンクリート製の遮蔽物が並ぶ、簡素な戦闘区域。
手には、黒い自動小銃が握られている。
正面に敵の姿はない。
遮蔽物へ隠れながら、敵を探す形式だろうか。
学院のシミュレーションでは、動かない標的くらいなら撃てた。
これなら、少しくらいは――。
《3》
《2》
《1》
《START》
乾いた音がした。
次の瞬間。
俺の頭が吹き飛んだ。
《YOU LOSE》
◇
「…………」
現実の感覚が戻る。
俺は自分の頭へ触れた。
ついている。
「何が起きた?」
「開始地点で頭部を露出させていたため、狙撃された」
シアーダが淡々と説明する。
「敵、見えなかったんだけど」
「敵からは、お前がよく見えていた」
「撃ち返す時間くらい、くれてもよくない?」
「次は、実戦で敵に頼め」
「あ……これ、駄目なやつだ」
◇
《ROUND 2》
今度は近接戦闘用ブレードを選択した。
正面には、軍服姿の男が立っている。
両手に短い刃を持ち、腕を大きく広げていた。
距離はある。
近づかれる前に、《デッド・エンド・オブ・デス》を使えば勝てる。
《3》
《2》
《1》
《START》
「《因果を断ち命脈を絶つ終焉――》」
男の姿が消えた。
「え?」
視界が回転する。
地面へ落ちていく自分の頭。
その向こうに、首から上を失った俺の身体が見えた。
《YOU LOSE》
◇
現実へ戻る。
訓練室は、恐ろしく静かだった。
誰も笑っていない。
馬鹿にもしていない。
ただ、教官たちは測定結果を前に、言葉を失っていた。
現在の俺は、装備なしだと――。
《攻撃力:9》
《防御力:7》
《素早さ:12》
ヴェレスティンとの戦いを生き延びた。
巨大な原生生物も倒した。
経歴だけなら、歴戦の英雄である。
実際に測ってみれば、十二歳の初等候補生以下だった。
シアーダは測定結果へ目を通した。
「不合格だ」
迷いはなかった。
「待ってくれ。俺の能力なら、作戦で役に立つ」
「発動する前に殺される能力を、戦力とは呼ばない」
「原生生物を操ることもできる」
「お前の能力は希少だ。使い道もある」
そこで、シアーダは言葉を切った。
「だが、今のお前は戦場では荷物だ」
何も言い返せなかった。
「第四要塞奪還作戦には同行させない」
「それじゃ、俺は何のためにここまで来たんだよ」
「知らん」
シアーダは冷たく言った。
「お前の目的は、お前が用意するものだ。我々が達成させてやるものではない」
「俺は、世界を滅ぼすかもしれない怪物を止めたい」
「決意は戦力にならない」
シアーダは少しも揺らがなかった。
「戦場は、お前が何を願っているかを評価しない。生き残り、敵を排除し、隣にいる者を帰還させられるか。それだけだ」
正しい。
正しいからこそ、腹が立った。
ここで引き下がれば、また誰かに守られるだけになる。
「十日で、何とかならないか」
シアーダが振り返った。
「不可能だ」
即答だった。
「人体には限界がある。十日で、お前を一人前の兵士にはできない」
「じゃあ、作戦で荷物にならない程度まで」
「勘違いするな。我々に、お前を育成する義務はない」
「ああ」
「訓練技術も、設備も、軍事資産だ。希望者へ無償で提供するものではない」
「分かってる」
シアーダは、しばらく俺を見ていた。
次いで、測定結果と第四要塞の作戦情報を並べる。
「通常の方法では間に合わない。だが、イレギュラーな手段なら、可能性はある」
「あるのか?」
「お前の能力に利用価値があるのも事実だ」
異常個体の情報を読み取れる。
原生生物へ干渉し、戦闘そのものを回避できるかもしれない。
それによって兵士の犠牲を減らせるなら、グラディエン側にも俺を鍛える理由が生まれる。
シアーダが新たな画面を開いた。
《CIP――戦闘能力改善プログラム》
《作戦要員緊急適合処置》
「十日後の作戦に必要な能力だけを、強制的に形成する」
「強制的に?」
「正常な育成過程を省略するという意味だ」
シアーダは機械的なほど正確な動作で、訓練内容を追加していく。
《高密度生体基盤形成》
《神経系限界拡張処置》
《高重力下身体再構成》
《主観時間延伸型戦闘教練》
《段階加速式技能定着》
《多重戦場並列処理課程》
《完全痛覚連続実戦》
最後の項目を入力した瞬間、画面全体が赤く染まった。
《警告》
《作戦参加基準到達率:三十一パーセント》
《死亡率:三・二パーセント》
《回復不能な後遺症発生率:十七・四パーセント》
《規定上限を超える身体・神経負荷が予測されます》
《人格変容、記憶混濁、慢性幻痛、自我境界の崩壊が発生する可能性があります》
《医学統括システムは、本プログラムの実施を推奨しません》
「……これ、訓練の説明じゃなくて、やめろっていう説明だよね?」
「正確なリスク表示だ。医療システムは、常に対象者の生存を優先する」
死亡率三・二パーセント。
数字だけなら低く見える。
だが、三十人ほど受ければ、一人は死ぬ計算だ。
その下では、後遺症発生率十七・四パーセントという、さらに嫌な数字が明滅している。
「お前は我が国の兵士ではない。客人に死なれると、外交上の問題になる」
「心配してくれてる?」
「死ぬなら、国境の外で頼む」
「やっぱり違った」
「私も実施は勧めない。作戦への参加を取りやめれば、それで済む」
「次に異常個体が現れるのが、いつになるかは分からないんだろ?」
「ああ」
「それに、今回を逃したら、俺はまた何もできないままだ」
今までは、運よく生き延びてきた。
ミリアに逃がされた。
シアーダに助けられた。
アマラの金と兵器に守られた。
俺は原生生物を操れる。
相手によっては、触れずに命を奪うことさえできる。
だが、そのどれも、使う前に首を落とされれば意味がない。
さっきのシミュレーターが、それを証明した。
これまでは、誰かが俺の前に立ってくれた。
その偶然が、次も続く保証はない。
そして最後に目覚める怪物は、この世界のどこへ逃げても逃げ切れないという。
ならば、いずれは向き合わなければならない。
「怖くないとは言わない」
赤い警告から、目を逸らさなかった。
「でも、もう自分が弱いことを、誰かに守ってもらう理由にはしたくない」
シアーダは数秒間、俺を見つめた。
やがて、わずかに顎を引く。
「ようやく、自分の生存を他人任せにしない顔になったな」
褒められたわけではない。
ようやく判断するに値する人間として、認められただけだった。
「この者にCIPを適用する」
《警告:対象者の標準戦闘能力が基準値を下回っています》
《通常CIPの実施を推奨します》
「それ絶対、もともと落ちこぼれを追い出すための制度だろ」
「標準戦闘能力を満たさない者へ、改善の機会を与える制度だ」
「改善できなかったら?」
「適性のある部署へ配置する」
「急にまともだな」
《特別速成CIPへ移行》
《通常安全制限を解除します》
《医学統括システムによる強制停止権限を無効化》
「まともな部分が全部消えた」
周囲の装置が起動する。
「十日で、お前を簡単には死なず、他人を巻き添えにしない人間へ変える」
どうやら俺は、鍛えられるのではない。
戦場へ持ち込んでも迷惑にならない何かに、作り直されるらしい。
《特別速成CIPを開始します》
《現実経過予定時間:十日》
《主観訓練期間:一年》
「待って。十日じゃなかった?」
「肉体についてはな」
シアーダが、わずかに笑った。




