第二十七話 黄金の塔が倒れる日
第二十七話 黄金の塔が倒れる日
「ミリアについて話がしたい」
執務室へ入るなり、俺は切り出した。
机の向こうに座っていたアマラは、手元の資料から顔を上げる。
「ずいぶん性急ね。再会を喜ぶ挨拶くらいあってもよいのではなくて?」
「仕事は終わらせた」
「ええ。期待以上の成果だったわ」
アマラは机の上に置かれていた端末を操作した。
「優秀な働きをした者に、報酬は惜しまない。それが私の主義よ」
一枚の薄い端末が、机の上を滑ってくる。
《調査対象:ミリア》
《所属:神々の僕》
《前役職:聖女》
報告書には、現在のミリアの状況が記されていた。
ミリアは拘束されていない。
表向きは療養と保護を目的として、聖都郊外の修道院へ移されている。
ただし、外出と外部との連絡は厳しく制限されていた。
言葉を変えただけで、実質的な軟禁だ。
「暴力的な尋問を受けた形跡はないわ」
アマラが説明する。
「聖女としての地位は停止。宗教的行事への出席も禁じられている。ただ、彼女は国内で人気が高い。今すぐ処刑するのは、神々の僕にとっても現実的ではないでしょうね」
「今すぐは?」
「政争の道具にされれば、異端審問が再開される可能性はある。彼女を支持する枢機卿もいれば、失脚させたい者もいるから」
報告書の最後には、今後取れる手段が並んでいた。
《一、書簡の送付》
《二、監視下での面会》
《三、国外への移送》
《四、非公式な脱出工作》
「セヴェリン枢機卿を通せば、手紙を届けられる。条件を整えれば、面会も可能よ」
「脱出も?」
「必要なら」
アマラは何でもないことのように答えた。
「輸送業者、警備担当者、修道院へ物資を納入する商人。十分な対価を支払えば、扉は開くわ」
国外へ連れ出せば、ミリアは安全になる。
少なくとも、異端審問で処刑される危険はなくなる。
だが、それで本当に助けたことになるのだろうか。
ミリアにとって、神々の僕は単なる危険な組織ではない。
生まれ育った故郷だ。
信仰も、聖女としての役目も、そこにある。
俺が勝手に連れ出せば、彼女からすべてを奪うことになる。
会いに行くこともできる。
だが、異端者として追われている俺が姿を現せば、ミリアは再び疑われる。
彼女を安心させるため。
俺が約束を果たしたと思うため。
そんな理由で会いに行くのは、結局、自分が助けた気になりたいだけではないのか。
「今は、会わない」
口にすると、胸の奥が少し痛んだ。
「脱出もさせない」
「意外ね」
「ミリアがどうしたいのか分からない。俺の都合で、故郷から連れ出すことはできない」
ただし。
暴力的な尋問が始まったとき。
処刑される可能性が現実になったとき。
そのときは、たとえ本人に拒まれても連れ出す。
生きてさえいれば、あとから怒られることもできる。
「手紙を届けてくれ」
「内容は?」
俺はしばらく考え、短い文章を端末へ入力した。
『ミリアへ。
俺は生きている。
約束を忘れたわけじゃない。
でも、今は戻らない。
俺が戻ることでお前が危険になるなら、戻らない。
いつか、お前が自分で行き先を選べるようにする。
それまで、どうか生きていてほしい。
エイユ』
アマラは文章に目を通した。
「不思議ね」
「何が?」
「今の彼女は、あなたに何も与えられない」
アマラは椅子へ深く腰掛ける。
「軍隊も、財産も、地位もない。あなたの安全を保証することも、手助けをすることもできない。それなのに、ずいぶん高い代償を払うつもりなのね」
「助けてもらったからだ」
「私もあなたを助けているわ」
「同じじゃない」
アマラの笑顔が、ほんの一瞬だけ消えた。
「ええ。そこが気に入らないのよ」
「何が?」
「無償の奉仕なんて存在しないわ」
その声には、普段の余裕が戻っていた。
「誰かが必ず、ほかの誰かより多くを支払っている。ただ、彼らは請求書を見ないだけ。善意と呼べば、負担そのものが消えると勘違いしているのよ」
「ミリアは請求書なんて出さなかった」
「だから、あなたが自分で金額を決めて払い続けているのでしょう?」
俺は答えられなかった。
アマラの考え方を好きにはなれない。
だが、その考えを完全に否定もできなかった。
「待て」
報告書へ視線を戻したとき、ある名前が目に留まった。
「セヴェリン枢機卿とは、以前から取引があったのか?」
「ええ」
神々の僕にいたとき、廊下の陰でセヴェリン枢機卿が裕福そうな商人と話していた姿を思い出した。
そして、ナディアが持っていた新型検査装置。
そのケースに刻まれていた企業連合の印。
「じゃあ、ナディアが持っていたケースも、あんたの会社のものか?」
アマラは否定しなかった。
「製造元はヴェイル・グループよ」
口元には笑みが残っている。
だが、その目は笑っていなかった。
「それ以上、今の私に答える義務はある?」
何かを隠している。
ナディアとの関係。
検査装置が俺へ反応した理由。
学院で俺を騙した偽装人格。
もしかしたら、すべてにヴェイル・グループが関わっているのではないか。
それでも、今ここでアマラと対立することはできない。
彼女の情報網は、ミリアの命綱でもある。
無条件に信用することはできない。
だが、関係を切ることもできない。
◇
執務室の壁面が、突然赤く染まった。
『緊急報道です』
《ヴェイル・サイエンス製忌避剤に重大な欠陥》
《防護区域へ原生生物が侵入。多数の負傷者》
アマラが振り返る。
画面には、破壊された住宅街が映っていた。
救助隊が血まみれの住民を運び、その背後では、黒い甲殻を持つ原生生物が建物の壁を這っている。
『本日未明、ヴェイル・サイエンス製忌避剤を使用していた第九居住区へ、複数の原生生物が侵入しました』
「ネイサン。警備部隊を第九居住区へ」
「すでに向かわせています」
ネイサンが答えた、その直後。
別の警告が画面へ重なった。
《第十一居住区でも侵入を確認》
《負傷者、現在四十七名》
「二か所……?」
『調査の結果、原生生物の一部に忌避物質への耐性が生じていたことが判明しました』
さらに、新しい速報が割り込む。
《内部資料を独占入手》
《ヴェイル・サイエンス、三か月前から効果低下を把握か》
会議室の空気が凍った。
『流出した内部報告書には、現行製品の有効性が最大で三十二パーセント低下していたとの記載があります』
『しかし、ヴェイル・サイエンスは製品回収を行わず、販売を継続していました』
「広報部に否定声明を出させて」
「できません」
「なぜ?」
「報告書の真正性を、研究部門の責任者が認めました」
その瞬間。
執務室中の端末が、一斉に鳴り始めた。
《VEIL SCIENCE 株価-12.8%》
《VEIL SECURITY 株価-8.4%》
《ヴェイル・グループ全銘柄、売り注文急増》
数字が赤く染まっていく。
十二。
十八。
二十三。
下落は止まらない。
「市場安定基金を投入して。自社株を買い支える」
「承知しました」
《大手投資会社三社、ヴェイル関連株の売却を発表》
《企業連合銀行、ヴェイル・グループの信用格付けを引き下げ》
買い支えを始めるより先に、売り注文が倍へ膨れ上がった。
「主要取引先へ連絡を」
ネイサンが端末を操作する。
だが、返ってきたのは通話拒否を示す赤い表示だった。
《アルバース商会、ヴェイル製品の取り扱いを一時停止》
《東部都市連合、忌避剤供給契約を凍結》
《集団訴訟への参加者、一万人を突破》
数秒ごとに、新しい通知が古い通知を押し流していく。
「事故の被害者へ補償を発表して。金額は問わない」
「アマラ様――」
「早く」
そのとき、別の映像が壁面いっぱいに映し出された。
ヴェイル・サイエンス本社前。
すでに数百人の群衆が押し寄せている。
『人の命より四半期決算を優先した!』
『貧しい者から吸い上げた金で、黄金の塔を建てた!』
『労働者の血で宝石を買った女!』
群衆が、アマラの巨大広告へ縄をかけた。
金色に輝いていた彼女の姿が、建物の壁から引き剥がされる。
地面へ落ちた瞬間、大歓声が上がった。
《ヴェイル・サイエンス従業員組合、無期限ストライキを宣言》
「製造部門を代替要員で動かして」
《ヴェイル・ロジスティクス、危険物輸送を拒否》
「ほかの輸送会社を使って」
《独立輸送業者連盟、ヴェイル関連貨物の取り扱い停止》
「警備部門に輸送路を確保させて」
《ヴェイル・セキュリティ第三支部、出動命令を拒否》
アマラが命令を出す。
そのたびに、先回りするように新たな警告が表示された。
《第二製造区、生産停止》
《中央物流拠点、封鎖》
《西部採掘場、作業員が施設を占拠》
《第五発電所、出力低下》
《都市東部で大規模停電が発生》
窓の外で、黄金の街の明かりが消えた。
一本。
また一本。
高層ビルから光が失われ、夜の闇がこちらへ近づいてくる。
停止した交通網から、人々が路上へあふれ出す。
閉鎖された店舗。
動かない輸送車。
警報を鳴らす医療施設。
不安は怒りへ変わり、怒りは次の混乱を生んでいく。
《ヴェイル・グループ傘下、四十七社で操業停止》
《取締役三名が辞任を表明》
《企業連合議会、アマラ・ヴェイル氏の参考人招致を決定》
《ヴェイル・グループ本社前で群衆と警備員が衝突》
つい数日前まで、この街の誰もが彼女の名を叫んでいた。
今も、街中でアマラの名が叫ばれている。
ただし、その意味は正反対だった。
『アマラを引きずり下ろせ!』
壁面に映る群衆の声が、執務室を震わせる。
それでも端末は鳴りやまない。
事故は、まだ始まって数時間しか経っていなかった。




