第二十二話 俺は金のかかった俺になった
車窓の向こうから、赤茶けた荒野が消えていく。
代わりに現れたのは、黄金に輝く都市だった。
「なんだ、ここ……」
天を突き刺すような超高層ビル。
建物の壁面を覆う巨大な広告。
空中を行き交う車両の光が、幾重もの帯となって街を流れている。
通りには劇場や高級ホテルが立ち並び、その間には宝石箱のようなカジノが口を開けていた。
学院の洗練された静けさとも、聖都の古めかしい荘厳さとも違う。
この街は、富を隠そうとしていなかった。
むしろ、見せつけるために存在している。
ひときわ大きな劇場の正面には、有名らしい歌手や俳優の広告が並んでいた。
その中央に、見覚えのある黒髪の男が立っている。
『パラサイトウォーリアー』
『世界を救う、寄生の英雄!』
右目を青く輝かせた主人公が、胸の前で腕を組んでいた。
その下には、見覚えのある名前まで書かれている。
『エイユ役――本人出演交渉中!』
「交渉された覚えがないんだけど」
どうやらこの街では、俺の知らないところで俺の芸能活動まで始まっているらしい。
◇
リムジンは大通りを外れ、とある建物の裏手に止まった。
派手な看板はない。
磨き上げられた黒い壁に、小さな金色の紋章が刻まれているだけだ。
例の大男が扉を開ける。
車を降りると、建物の裏口で細身の男が待っていた。
年齢は五十歳くらいだろうか。
銀色の髪をきれいに撫でつけ、深い紫色のスーツを着ている。
どうやら、この店のオーナーらしい。
男は俺の顔を見る。
次に首元。
胸。
腰。
靴。
そしてもう一度、下から上まで念入りに眺めた。
「これはこれは……」
「なんですか」
「いえ。想像していた以上に、手を入れる余地がございます」
遠回しに、ものすごくダサいと言われた気がする。
オーナーが壁へ手をかざすと、継ぎ目すらなかった場所が左右へ開いた。
「ここならパパラッチに気づかれることなく、お入りいただけます」
「俺にパパラッチなんて来るのか?」
答える代わりに、オーナーは微笑んだ。
「アマラ様より伺っております。どうぞ、こちらへ」
隠し扉の先は、最高級のブティックだった。
床は鏡のように磨かれ、壁際には色も素材も異なる服が整然と並んでいる。
一着ごとに美術品のような照明が当てられていた。
客の姿はない。
「今日は休業日ですか?」
「いいえ。本日はエイユ様の貸し切りでございます」
「俺一人のために?」
「正確には、エイユ様と、エイユ様に似合う可能性のある衣服のためです」
どこまで本気なのか分からない。
「アマラ様より、現在の服装では人前へ出せないとのご指示をいただいております」
「そこまで言われたのか……」
「アマラ様は、言葉を濁されない方ですので」
店員たちが、次々と服を運んでくる。
フォーマル。
シティスタイル。
スポーティ。
金色の飾りが大量についた、用途の分からない服。
種類が多すぎて、どれを選べばいいのか見当もつかない。
ふと、近くにあったシャツを手に取った。
黒地に、金色の刺繍。
胸元には動物の頭らしき紋章が入り、ボタンまで金色に輝いている。
強そうだ。
少なくとも、着ているだけで道を譲ってもらえそうではある。
裏返して、価格を見る。
《三〇〇〇〇〇クレジット》
「……三十万?」
学院で飲んだビールは、一杯三百クレジットだった。
ビール千杯分のシャツ。
着たまま転んだら、服より先に地面へ謝りそうだ。
「無理です。買えません」
「代金はいただきません」
「え?」
「すべて、アマラ様の口座へ請求するよう承っております」
「本当に?」
「アマラ様の隣を歩く方が安価な服を着ていると、アマラ様の評判に関わりますので」
俺への贈り物というより、彼女自身が恥をかかないためらしい。
妙に納得した。
「じゃあ……お任せします」
「かしこまりました」
その言葉を待っていたかのように、店員たちが一斉に動き出した。
◇
まず、先ほどの黒いシャツを着せられた。
それに合わせて、細身の黒いズボン。
金色の鎖。
文字盤だけで人を殴り倒せそうな時計。
先の尖った革靴。
最後に、黒いサングラス。
「完成でございます」
鏡を見る。
そこにいたのは、異世界へ転生した一般人ではなかった。
違法な商売で一山当てた若手ギャングだった。
「これ、本当に似合ってます?」
「大変お似合いでございます」
「今、ちょっと笑わなかった?」
「接客中に笑うことはございません」
サングラスで目元が隠れているせいか、自分でも少し強くなったような気がする。
ステータスは何一つ変わっていないが。
「じゃあ、これで」
帰ろうとすると、オーナーに止められた。
「じゃあ、これで」
「お待ちください。まだ一着目です」
オーナーが、初めてはっきりと首を横に振った。
「会食にはフォーマル。昼間の市街地にはシティスタイル。舞台や撮影には、さらに別の衣装が必要です」
「撮影の予定はないんだけど」
「予定は、決まってから準備するものではございません」
そこから先の総額は、考えないことにした。
◇
服選びが終わると、隣の店へ連行された。
白い台へ寝かされ、顔へ何かを塗られながら、右手の爪を磨かれ、左手には保湿剤を塗り込まれる。その間にも髪を切られていた。
「同時にやる必要あります?」
「お忙しい方のお時間を無駄にはできませんので」
「俺、別に忙しくないんだけど」
誰も聞いていなかった。
ようやく解放されたころには、肌は妙につやつやし、髪は自分では絶対に再現できない形に整えられていた。
鏡の中の俺は、相変わらず俺だった。
ただし、金のかかった俺だった。
◇
再びリムジンへ乗り込む。
車は市街地の中心へ向かい、やがて一際高い建物の前で止まった。
見上げても、頂上が見えない。
金色と黒を基調とした巨大な塔。その正面には、ヴェイル・グループの紋章が掲げられている。
扉が開いた。
外へ降りた瞬間、光が一斉に瞬いた。
「パラサイトウォーリアーだ!」
「本物よ!」
「エイユ! こっちを向いて!」
建物の前には、大勢の市民と報道陣が集まっていた。
カメラらしき装置が、四方八方から俺へ向けられる。
「学院襲撃事件について一言!」
「アマラCEOとは、どのようなお話を?」
「神々の僕から聖女を奪還するという噂は事実ですか?」
「パラサイトウォーリアー第二期への出演予定は?」
「待ってくれ。俺はまだ何も――」
質問が多すぎる。
ボディーガードたちが俺の周囲を囲んだ。
「離れてください」
「下がって」
「通路を開けてください」
人の波を押し分け、建物の入り口まで進む。
そのとき、正面の扉が開いた。
アマラが姿を現す。
金色のドレス。
白い上着。
車内で見たホログラムと同じ姿だが、今度は本物らしい。
歓声が一段と大きくなった。
「アマラ!」
「アマラCEO、こちらを!」
彼女は報道陣へ微笑み、当然のように俺の手を取った。
大量の光が瞬く。
アマラは何も説明しない。
俺と手をつないだ姿を、報道陣に十分撮影させてから、建物の中へ入っていった。
これも、彼女が計算した演出なのだろうか。
たぶん、そうなのだろう。
◇
エントランスへ入ると、外の騒音は嘘のように消えた。
アマラは改めて俺の全身を眺める。
「あら。ずいぶん……分かりやすくお金持ちになったわね」
「褒めてないだろ」
「そんなことないわ。遠くから見ても、成功者だと分かるもの」
「今の間はなんだ」
「成功者にも、いろいろな種類があるのよ」
やはり、この服を選んだ店員は少し笑っていたに違いない。
アマラに手を引かれ、専用のエレベーターへ乗る。
数字が恐ろしい速さで上がっていった。
たどり着いたのは、塔の最上階だった。
巨大な扉の先に、アマラの執務室が広がっている。
部屋そのものが、学院の食堂より広い。
壁一面が透明で、都市全体を見渡せた。
黄金に輝く高層ビル。
空を流れる無数の車両。
巨大な劇場とカジノ。
そのすべてが、宝石を敷き詰めたように眼下で輝いている。
「エイユ」
アマラは街を背にして、両腕を広げた。
「この街は気に入った?」
「正直、驚いたよ」
「何に?」
「何もかもに」
服も、車も、建物も。
俺を題材にしたアニメも。
自分の特集番組を車内で流す女も。
これまで見てきた世界とは、何もかもが違っていた。
「そうでしょうね」
アマラは満足そうに笑った。
「この街では、望むものは何でも手に入るわ」
彼女は窓の向こうを指した。
「安全も、名声も、愛情も。十分な対価さえ支払えばね」
「俺には金なんてないぞ」
「構わないわ」
アマラの視線が、俺へ戻る。
「この世界で支払いに使えるのは、お金だけではないもの」
金色の瞳が、俺を値踏みするように細められた。
「そして、あなたには価値がある」
「ミリアのこと、忘れてないだろうな」
「もちろん。約束したことは守るわ」
そのとき、机の上に置かれた端末が淡い光を放った。
アマラは表示された名前を確認すると、わずかに眉をひそめる。
「少し失礼するわね」
通信をつなぐと、切迫した男の声が聞こえてきた。
『アマラCEO、第八工業区で労働者が生産ラインを占拠しました。参加者は現在も増加中です』
「要求は?」
『労働時間の短縮と、危険手当の支給。それから、先日の事故に関する責任者の処分を――』
「労務交渉部に対処させて。物流路の封鎖だけは認めないわ」
『警備部門も展開させますか?』
「ええ。ただし、報道車両の前では、武器を展開しないで」
アマラは窓の外を眺めながら、平然と続けた。
「暴動に発展したら鎮静剤を。濃度は規定値以内に抑えてちょうだい。死人が出ると、明日の市場が面倒なことになるから」
『承知しました』
通信が切れる。
先ほどまでの穏やかな笑顔へ戻ると、アマラは俺を見た。
「ごめんなさい、エイユ。急ぎの仕事ができてしまったわ」
執務室の扉が開いた。
濃紺のスーツを着た若い男が、端末を手に入ってくる。
「彼はネイサン。私の事業戦略補佐官よ。今後の話は、彼から聞いてちょうだい」
「ネイサンです。よろしくお願いいたします、エイユ様」
男は正確な角度で頭を下げた。
アマラは足早に部屋を出ていく。
扉の向こうで、アマラが誰かに通信をしている声が聞こえた。
「……ちょっといい? またマスコミ向けの弁明を準備しなくちゃならないわ」
扉が静かに閉じた。




