第十三話 異世界の大学は、思ったより自由でした
「今日の実験は、これで終わり?」
白い部屋で、男が尋ねた。
「ああ。よく頑張った」
銀色の髪の女が、記録から目を上げずに答える。
「じゃあ、食堂行ってくる。今日のシチュー、少しはましだといいけど」
「あれは改善されない」
「だよな」
男が笑った。
扉へ向かって、一歩踏み出す。
次の瞬間、白い部屋は消えていた。
男は椅子に縛りつけられていた。
「え……?」
《試行を開始します》
悲鳴が上がった。
女は、記録から目を上げなかった。
《試行番号:一》
◇
森を抜けた頃には、雨はすっかり上がっていた。
雲の隙間から差す光が、眼下の街を照らしている。
中央には、巨大な半球状の建物。ドームを囲む金属環がゆっくりと回り、その周りに白い校舎や尖塔が並んでいた。
あれが、アカデミア統合理院。
ここなら、この能力を調べられる。
もしかすると、捨てることもできる。
◇
正門には、二体の人型機械が立っていた。
黒い装甲の隙間から青い光が漏れ、顔の位置には横長の発光部が一本あるだけだ。
「停止してください。許可なき者の訪問は禁止されています」
俺は両手を上げた。
話の通じそうな門番でよかった。
問題は、銃を持っていることだ。
「俺はエイユ。シアーダ大佐の紹介で、ソフィヤ教授に会いに来た」
「照会結果。訪問予定は登録されていません」
「待ってくれ。どうしても――」
『その人、通してあげて』
明るい女の声がした。
空中に光の粒子が集まり、人の輪郭を作っていく。
耳の下で揃えた短い髪。快活そうな青い瞳。
初対面でも、昔からの友人のように話しかけてきそうな女性だった。
ただし、身体がわずかに透けている。
『学院長の代理として許可します。滞在区分は特別研究協力者候補で』
門番が銃を下げ、重い音を立てて門が開いた。
危うく追い返されるところだった俺には、彼女の背後に後光が差して見えた。
『あなたが、例のエイユさんね』
「例の?」
『結構有名人なのよ。私はARIA。この学院の統合型AIアシスタントです。研究支援から生活相談まで、何でもどうぞ』
◇
門をくぐると、別の世界だった。
橋の欄干には数式が刻まれ、空中には透明な画面がいくつも浮かんでいる。
広場では、若い学生が白髪の老人に詰め寄っていた。
「教授、その仮定は成立しません。観測値に合わせて条件を選んでいるだけです」
老人は怒るどころか、楽しそうに笑った。
「生意気だな。よろしい、黒板を使え」
「ずいぶん自由なんだな」
『ここでは、正しいか間違っているかが一番重要だからね。もちろん、声が大きい人が勝つこともあるけど』
「あるのかよ」
『人間の集団だもの』
AIに人間の残念なところを説明されてしまった。
◇
ドームの講堂では、何百人もの学生を前に、一人の女性が講義をしていた。
銀色の長い髪。年齢の読み取りにくい整った顔立ち。黒い服の上に白衣をまとっている。
「両者を構成する要素が同じでも、配置が異なれば差異が生まれる。われわれは、それを情報と呼ぶ」
学生たちが真剣に頷いている。
「情報は物質でもエネルギーでもない。しかし、物理的状態を離れて保存も伝達もできない」
学生たちが真剣に頷いている。
なるほど。
分からん。
女性の視線が、俺の隣のARIAへ向いた。
「本日はここまで。質問はARIAに提出してくれ」
彼女は黒板を消しもせず、まっすぐこちらへ歩いてきた。
「学院長室へ」
「あなたが、ソフィヤ教授?」
「そうだ」
◇
学院長室で向かい合うと、ソフィヤはまっすぐ俺を見つめた。
表情が読めない。
いつもなら、スキルで相手の気分がなんとなく分かるのに。
俺を解剖するつもりかどうか、読んでみるか。
「万象を見通す深淵の叡眼――アカシック・アナライザー」
《解析に対する能動的干渉を検出》
《接続を強制排除されました》
「うわっ」
目の奥で何かが弾け、俺は椅子ごとのけぞった。
覗こうとしたことを検知され、追い出されたのだ。
「何かしたかね?」
ソフィヤは怒っていなかった。
自分の身に起きたことを、純粋に確認しようとしている。
「……それを説明するには、最初から話したほうがいい」
俺は、この世界へ来てからのことを話した。
名前も過去も分からないこと。女神から能力を与えられたこと。原生生物の感情を読み、ソウル・フライを退けたこと。
ソフィヤの顔は、ほとんど動かなかった。
話し終えたとき、初めてその目が見開かれた。
「信じられん」
「やっぱり、信じてもらえないか」
「逆だ。事実なら、信じられないほど興味深い」
ソフィヤが立ち上がり、俺のすぐ前まで来た。
「君を調べさせてほしい。血液、表皮、毛根、骨髄、隅々まで――」
最後の方、痛いやつ混ざってない?
「俺は、この能力が何なのか知りたい。できれば、捨てたい」
「できる」
即答だった。
「君の遺伝子を辿れば、能力の起源も、君自身の起源も分かる。すぐに始めよう。まず全身走査を――」
『ソフィヤ』
机の端に腰かけたARIAが言った。
『エイユさん、疲れてるよ。服も濡れてるし、怪我もしてる』
「基礎情報の採取だけなら、一時間も――」
『ソフィヤ』
「……分かった。明朝八時から開始する」
明らかに残念そうだった。
止められなかったら、本当に今夜中に骨髄まで取るつもりだったな。
ARIAを見ると、彼女は笑顔で片目をつむった。
◇
夕食は、中央食堂で取った。
配給機から受け取ったのは、茶色いシチューと固いパン、それにビールらしき飲み物。
「……まずい」
肉のようなものには妙な弾力があり、汁は苦い。
神々の僕で食べたもののほうが、百倍うまい。
思い出した瞬間、胸が痛んだ。
食堂の端で、大歓声が上がった。
円形の舞台で、二体の人型ロボットが殴り合っている。
「脚部出力を上げろ! 何やってんだ!」
隣の青年が、俺を見て笑った。
「第三機械工学研究室の週例戦だよ。賭けるなら、脚の太い方にしとけ」
賭け事までしている。
まずい料理と、薄い酒。
遠慮のない議論。
壊れかけたロボットに、本気で熱狂する大人たち。
俺は、飲み物をもう一口飲んだ。
やっぱりまずい。
それでも。
「ここ、いいところかもしれないな」
俺の呟きは、学生たちの歓声にかき消された。




